166.女の子たちの時間②
「なあ、隼人」
「うん」
「今日は部屋に戻らないのか?」
何度使っても小さな古書店な我が家には不釣り合いな立派な将棋盤を挟んで父が聞いて来る。
「まあ、そんな気分の日もあるよ」
手にした桂馬を指先で遊びながら手堅くいくか少し思い切るかを考えながら適当に答えたものの。
「桃香ちゃんの所にお友達がお泊りしているから居辛いのよ」
事情をよくご存じの母が卓袱台の方から湯呑を両手で持ちつつしれっと看過してくれる。
「母さん」
「何?」
「今日は……向かいの部屋、使っていいかな」
まあ、話題に出たのは仕方がないので、今が好機と母に今夜の希望を述べる。
先日、桃香と二人きりの夜を過ごした際に桃香に使ってもらった二階の自室の廊下を挟んだ部屋。
十中の十で自分の話題をされているはず、というか美春たちがそう息巻いていたお泊りなので……とんでもない話を漏れ聞いてしまうよりはそうしようかという判断で実は昼過ぎから風を通して掃除機も掛けていた。
「良いわよ」
「ん」
ちょっと助かった、と思ったところで。
じゃあ今日は微妙に離れて眠ることになるか、何て考えてから、そもふつうこんなに近くないよな……と至ってから。
そう言えば今日、眠る前の挨拶はどうしようか決めてなかったけれど、流石にあの面々が居る中では無理だよな……と内心頷きながら、思い切った方の手を打つ。
「残念だったな」
「……あ、あれ?」
が、一瞬で切り返されて一気に窮地に陥ってしまう。
やはり集中しないと駄目だな、というのと共に、やっぱり自分は手堅くの方が合うのだなと知った。
***
「みんな、ひどい」
軽めとはいえ全員からデコピンを見舞われた桃香が額を押さえながら口を尖らせる。
「桃香があんまりにも愉快なことを言うからよ?」
「そうそう」
「あれはない」
「あんだけラブラブな空気出しといて……ってか、イチャイチャしてて見えないわけないじゃん」
「あれでそうじゃないなら付き合うことの定義がおかしいからね」
口々に諭されながらも、でも、と。
「ちょっとみんなから見てどうかな、は気にしてもいいでしょ?」
「それを言うならどう控えめに見たって夏休みには桃香と吉野君、付き合ってる判定よ」
琴美の断言に、真矢と絵里奈が続く。
「大体、夏祭りの日に浴衣姿でくっ付いてたし」
「結城君たちから聞くにその後、二人っきりで花火大会行き直してたみたいだし」
「えへ……実は、はやくんが誘ってくれて」
「そーいうとこよ」
照れ笑いする桃香に、花梨が断言する。
「そういうことだから、貴方達は完全にどこからどう見ても両想いで恋人同士、わかった?」
「あ、うん、ありがと」
「もしかしなくても、吉野君も今頃桃香のこと考えてるかもね」
「わ」
ぽん、と手を合わせて桃香が声を弾ませる。
「どんなこと、かな?」
「そりゃあ……桃香分が足りない、とか?」
「あたしら、完全にお邪魔虫だもんね」
「まあとはいえ、桃香にはまだまだ吐いてもらわないといけないことがあるから」
「今夜は寝かさないぞ~」
「まあそれで」
「うん」
「桃香が吉野君のこと大好きなのはあらためてよーくわかったんだけど」
「うんうん」
今度はうまい棒を差し出した美春に桃香が上機嫌に頷く。
「ぶっちゃけ、楽勝で昔の吉野君より好きになってるでしょ?」
「えへ……昔の、はやちゃんもすきだけど……いまのはやくん、とっても男の人になってるし」
「まあ、たしかに結構整っている顔に」
「あの身長で軽く細マッチョだもんね」
「冷静に考えるとモテ要素もあるんだよね、吉野君」
うんうん、と頷き合う真矢たちに桃香が首を傾げる。
「冷静に考えないとだめなの?」
「そりゃ、最初っから桃香しか見てないのが丸わかりだからよ!」
「初日からああだから基本的にそういう目で見られてないの、吉野君は」
「えへへ……」
そうなんだ、と更にご機嫌麗しくなる桃香に、花梨がしれっと本棚に目線をやりながら言う。
昔は遊びに来るたびに伏せてあったスタンドも堂々とそのままで、花梨たちの中学生時代の思い出もあるけれど、それより桃香の本音が溢れている。
「まあ、昔の吉野君も素敵だったんでしょうけど、ね?」
「うん!」
自分の事のように嬉しそうだな、という感想を全員が抱いたところで桃香の表情が少し変わる。
「そうなんだけど、ね」
「お?」
「ん?」
「はやくんが大人になって……してくれなくなっちゃったことが一つあったの」
「ははーん、そういうのがあって」
「さらに話を拗らせていたわけね」
ほうほう、と琴美と頷き合った絵里奈がニヤニヤしながら少しだけ唇を尖らせている桃香に聞く。
「で、一体何がご不満だったの? 愛され姫」
「ほっぺにチューをしてくれなくなった、とか?」
小さく口笛を吹いて茶化す真矢に桃香が首を横に振る。
「そうじゃ、なくって」
「あら意外」
「結構してそうに見えるけど」
「さすがにそれは……特別な時に、わたしからしか、してないし」
これには指先をもじもじさせながら頬を赤くして目を伏せる桃香に、全員が「したはしてたのね」という顔になる。
「じゃあ、一体……何が足りなかったって言うの?」
「ええと、ね……」
暫く迷った後、口を開く。
「むかしは、ね」
「うんうん」
「ふたりきりの時になら、わたしが大好きって言ったら『僕も好きだよ』って言ってくれたのに……はやくんになったら」
「ああ、そういうこと」
「まあ、男性は大きくなればそうかも?」
「そう? うちのアニキなんかは結構電話とかでも言ってるけど、愛してるぜー、とか」
「少なくとも吉野君のイメージとはちょっと違うでしょ」
「確かに」
行動の端々に桃香への愛情が見られるものの、基本的には堅物で桃香には押されっぱなしに見える隼人である。
「照れちゃってたんだ」
「なのかな?」
「桃香のラヴに押されて黙っちゃったんでしょ」
桃香はぐいぐい行ってたからねー、とからかう絵里奈に桃香が首を横に振る。
「あ、ううん」
「「「「ん?」」」」
「何も言ってくれなかったわけじゃなくって……その、わたしのこと特別で大切、とは言ってくれてたんだけど」
「「「「……」」」」
無言で絵里奈が桃香にヘッドロックを仕掛け、美春が反対から耳を引っ張る。
「あのね? 桃香さんや」
「それ、フツーに愛の言葉だと思うのはあたしだけかな?」
「で、でもでも!」
全く力は籠っていないので、抵抗は言葉だけな桃香が主張する。
「好きって言ってほしいな、って思っても……いいでしょ?」
「ん……まあ、それは」
「確かにそうかも」
顔を見合わせて目で審議の結果、桃香は解放された。
「と、いうことは……なんだけど」
「うん」
桃香が呼吸と髪を整え直すのを待って花梨が微笑みながら尋ねる。
「吉野君がストレートに桃香に好きっていう出来事が、あったわけね?」