146.ご報告。
「ただいま」
「おかえり、大変だったね」
「それは昨日の隼人の方だけれど」
荷物を抱え戻って来た両親は流石に疲労の色が隠せない様子だった。
「お疲れさまでした」
「お、桃香ちゃん」
「来てたのね」
「えへ……あけましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう」
「今年もよろしくね」
「はいっ」
あの後何度かの唇やハグの感触はまだ真新しく残っているのに、そんな様子は全く見せずにこやかに話している桃香に少し感心してしまう。
少なくとも、自分より度胸は座っていると感じる。
「これ、お土産」
「わ、ありがとうございます」
「あとでお年玉の方も準備しておくから」
「えへ……じゃあ、ありがたく」
思い切りご当地の絵柄の紙袋を下げた桃香が、こちらを向いて。
「じゃあ、えっと……かぐやはいつ頃迎えに行くの?」
「迎えというか、送迎付きのところにしてあるから一時ごろには……ほら、電車に乗せるにはもう結構大きいから」
「あ、そっか」
なるほど、と頷いてから。
「あとで一緒にお散歩行こうね?」
「しばらく一人にさせたからいっぱい構ってもらえると喜ぶだろうし、頼むよ」
「うん」
じゃあ、またその時にね……と手を振って出て行こうとする桃香を。
「一応、送ってく」
「すぐそこだよ?」
「いいから」
いつものようなやり取りをしながら少しだけ時間を伸ばす。
「……」
背中に来る母からの訝しげな視線は、一旦気付かなかったことにして。
「じゃあ、わたしたちこっちにするね」
「ん……」
夕方になって。
二家族で連れ立って乗った電車で、入り口から見て左側に二人分、逆側に四人分の空きがあるのを見て桃香が隼人のコートの腕を取りながらお互いの両親に宣言する。
そのまま並んで座りながら。
「電車ってことは……父さんたち飲む気満々だな」
「きっとね」
二人で頷き合った後。
「わたしたちも、そのうち、ね?」
「約束したもんな」
「うん」
最初のお酒は一緒に、と。
そんなことを話しながら、一〇数メートル向こうで話をしている親たちをちらりと見ながら。
「昔も、こんな風に分かれたよな」
「うん」
「俺と桃香は扉の所で外見てて、母さんたちは母さんたちで話し込んでて」
「そうそう」
楽しそうに相槌を打ってくれた桃香が、懐かしそうに一度目を閉じてから話題を変えてくる。
「そういえば、今日はどのお店行くと思う?」
「いや、この組み合わせでこの方向の時点で何となくわかったぞ」
「だよね」
人差し指を立てた桃香とタイミングを合わせる。
「彩お姉ちゃんのお店」
「彩姉さんのとこ」
「やっぱり」
「うん」
「お店の名前、姉さんに引っかけてあるのかな?」
「たぶんね」
三駅隣の街で「Arc-en-ciel」と書かれた喫茶店が見えてきたところでそんな風に話し合う。
「お姉ちゃんのお父さんお母さんもお名前空関係だし」
「確かに」
頷いてから、ついでにその喫茶店の不思議な営業形態にも疑問を一つ。
「一組限定でディナーもするのに喫茶店なんだよな」
「おじいちゃんのお店に思い入れがあるみたい」
「ああ、一号店の方」
「そうそう」
確かあちらはフランス語で青、だったっけ……と思ったところで。
電車の時間から読んでいました、とでもいう風に「貸し切り」の札が下がった扉を開けて彩が彼女なりの歓迎の表情を見せてくれた。
「桃香もスパークリングで大丈夫?」
「うん」
出てくる料理は固定で、飲み物だけをオーダーするスタイルのディナーコース。
「せっかく、だから」
「了解です」
「……グラスに注いだ後聞いても」
「隼人が二杯飲めば問題なし、ですよ?」
家族ぐるみの付き合いなので店内はひたすらアットホームな空気に満たされている。
マスター夫妻が現在調理に注力中なので彩が飲み物と前菜を運んでくれて。
「ほら、兄貴」
「またか?」
「そっちが年長者だろ」
「むぅ」
こちらはこちらで四〇数年隣同士をしている凸凹コンビな父親同士が促し合って。
「ええと、それでは」
隼人の父がグラスを持って。
「新年早々少々ありましたがこれで厄は落ちたと思い」
性格上固い挨拶だよな、と思ったところで自分も学園祭の時に散々そう言われたな、と思い出すものの。
いや、父さん程ではなく……色々、祭りらしいことをやって楽しみはしたぞ、と記憶を漁れば。
「?」
微妙な表情で見つめられた桃香が、不思議そうにしながらも笑い返してくれる。
いや、あれやこれや色々あったはあっただけど……あんまり今思い出すことではないか、と首を横に振る。
そんなうちに。
「今年も皆、事故なく仲良く円満に過ごしましょう」
どこかの大企業の新年会か、と隼人だけでなく他の親たちも皆そう思っているのが顔に出ているものの。
「かんぱーい」
無事、グラスを掲げるところまでは辿り着いた。
「そういえば」
「はい」
「隼人くんが帰って来てからは初の新年だね」
間違いなくこの中でトップクラスにご機嫌に斜め向かいのおばさんが話を振ってくる。
「少し心配もしたけれど、桃香とも仲良くしてくれているみたいでよかった」
「私は懸念なんてしませんでしたよ?」
「もぉ……二人とも」
いや微塵も心配していなかったですよね? と言いたくなる顔でグラスを飲み干したところに澄ました顔でおかわりを注いでいる彩との会話に、桃香が少し顔を赤くしながら突っ込んでいるが。
「「……」」
隼人としては隣の母と対角線向かいの桃香のお父さんの複雑そうな顔の方が余程気になる。
桃香と仲良く、している……していく。今までよりずっと、と口の中で呟いてから。
「ええと、その……」
丁度ボトルが空になった、と彩が奥に引っ込んでいったところを見計らって。
「おじさん、おばさん」
「ん?」
「どうしたの?」
「あと、父さんと母さんも」
「「?」」
グラスを置いて、居住まいを正して。
しっかりと視線を桃香の両親に固定して。
「その、報告があって」
「「「「!」」」」
「この度、桃香、さんとお付き合いを始めさせていただきました」
前髪がテーブルに付くか否かくらいにまで頭を下げた。
「……ええと」
「……」
困惑しているおじさん……いや、今は隣のおじさんではなく桃香のお父さんのうめくような声を聞きながらもそのままの姿勢を維持している。
とりあえず間を持たせるかのように呷って空にしたグラスに。
「あら、素敵な飲みっぷりですね」
タイミングよく戻って来た彩が並々と注いだ後、もう少ししたら魚料理の方もお持ちしますね……とボトルを置いて下がって行く。
「ほら、あなた」
「うん」
「ここで唸ったままでいるのは、真っすぐな隼人くんに失礼じゃない?」
「……」
「ちなみにわたしは、隼人くんになら安心してお任せできる、ってこの半年で改めて思ったんだけど」
顔を下げたままだが、一瞬テーブルの向こうに後光が見えた気がした。
「隼人くんが素敵な男の子なのは」
「……それは充分、わかっている」
「だよねっ!」
ここで初めて声を発した桃香と合わせて、母娘のオーラが押し込んでいくのがはっきりわかる。
「確かに」
「!」
「桃香を大切にしてくれてはいるのはわかるし、幸せにしてくれそうなのも……」
「世界中探したってはやくん以外の誰にも無理だよ」
「あの、桃香……」
それは過言、と口から出そうになったけど。
けれど。
「いや……」
顔を上げて、真っすぐ桃香とその両親に順に目を合わせて。
「そのくらいの覚悟で、います」
「はやくん……」
腹に力を込めて、言い切った。
「隼人君……」
「はい」
「よろしく、頼む」
「お父さん!」
「はいっ」
「えっと……わたしからも」
嬉しそうに、嬉しそうに笑った後で顔を引き締めた桃香が今度は口を開く。
「はやく……はやとくんと、お付き合い、はじめました」
「うん」
「……」
「その、至らない所とかいっぱいあると思いますけど……あらためて、よろしくお願いします」
真剣な桃香の言葉の後で、少し考え込んでいた母が口を開く。
「ももちゃ……桃香ちゃん」
「はい」
「至らないとかじゃなくって、桃香ちゃんなら、その……もっといい男性が」
若干言葉を探している隙間に、桃香が踏み込む。
「いません」
「!」
「ずっと前から、はやくんのことがいちばん大好きです」
らしくないと言えばらしくない強めの口調だけれど、芯の座り方は実に桃香らしい言い切りに。
「……わかりました」
「あ!」
「その、駄目なところはすぐに改めさせるので……隼人のこと、よろしくね」
「はい」
そんな桃香に優しく笑いかけた、と思いきや横目で「大切になさいよ」と思い切り念を押される。
無論だ、と頷き返した所で。
「あとは……兄貴か?」
「うん?」
静かに場を見守っていた父に視線が集中するも。
「桃香ちゃん」
「はい」
「改めて、隼人のことよろしくね」
「はいっ♪」
「隼人」
「うん」
「大事にな」
「勿論」
簡潔に事態は進む。
「それでいいのかよ」
「それでいいんですか」
隣の弟分と妻からの指摘にも飄々とグラスを傾けてから。
「二人の気持ちはさっき聞かせてもらった通りだし」
「えへへ……」
「それに」
「「それに?」」
「むしろ……まだ、付き合ってなかったんだなぁ、というところだ」
確かにそう言えば一昨日も、普段は察しが悪いのに望愛と詩乃にも隼人の彼女と振られてノータイムで桃香のことを答えていたよな、と思い出す隼人だった。