134.一日早い年越しそば
「お」
帰省の荷造りも一段落してお茶でも飲もうかと階段を下りていると微かな出汁の匂いに鼻をくすぐられる。
ついでにテレビの音に混じって揚げ物の音もして、胃袋が自己主張を始める。
「母さん、今日のお昼って」
これは好物の予感がする、と台所に入れば。
「お蕎麦だよ?」
海老天の尻尾色のシュシュで髪を纏めたエプロン姿の桃香と目が合った。
「はやくん、明日出発でしょ?」
「ああ、始発で」
「だったら、年越しのお蕎麦一緒に食べれないから」
「まあ、うん、そうなるけど」
「今日食べちゃえばいいかな? って思ってお昼はわたしが作ることにしたの」
「成程?」
天ぷら鍋から菜箸で見事な海老天を摘まみ上げる桃香の後姿を見ながら、そういうものか? と考える。
「二日連続になっちゃうかもだけど、はやくんのお家はみんなお蕎麦好きでしょ?」
「まあそれはそうなんだけど」
今時ちょっと珍しいくらいの和風テイストが強めの一家だとは思う。
「ね? 折角はやくん帰ってきてくれたんだから」
「ん」
「そういう行事も今までできなかった分、一緒にしたいし」
まあ一つ確実に言えるのは、桃香はそういうことを考えるしこのように本当に実行するタイプだ、ということ。
「お昼の準備が助かるのは間違いないんだけど……」
此方も帰省の荷造りをしながら覗きに来た母に「また桃香ちゃんに色々させて」何て物言いたげな目を向けられるので「俺は何も言ってない!」を全力でジェスチャーしアピールする。
それよりも「桃香ちゃんに対してきちんと責任取るんでしょうね?」的な意味も込められている気が自意識過剰ではなくするが、それについて実際親にどう表明するべきかは……まだ、困っている部分が大きい。
「あ、おばさん」
「はい、どうしたの?」
「天ぷら、少し多めに作ったんですけどお塩にします? それとも天つゆ?」
「頂き物で抹茶塩があるからそれにしましょう」
「はい」
テーブルに肘を付いてそんな遣り取りを見ながら……。
さっきから頭の中で花梨や美春たちが「実質お嫁さんね?」だの「エプロン姿大好きでしょ?」だの「この果報者」だの騒ぎ立てている……何なら友也たちに背中をどつかれている感触すらしてくる気がする。
「あ、はやくん」
「……お、おう」
そんな時、突然話を振られて慌ててだらけた体勢から体を起こす。
「大根おろすの、お願いしてもいい?」
「ああ、勿論」
「よろしくね?」
とても今更ながら、ここ俺の家の台所だよな? と思いつつも余計な事を考えて大根が紅葉卸にならないよう細心の注意を払う。
何故なら。
「?」
思わず桃香の唇付近に注いでしまった視線に気付かれてしまい慌てて逸らす。
今のご機嫌にノリノリ桃香なら迷わず構わずそういう手当をやりかねない、と思うので。
「うん、美味しかったよ、ご馳走様」
「そうね、お店で食べているみたい」
「えへへ……ありがとうございます」
天婦羅蕎麦及びプラスアルファ天婦羅盛り合わせを食べ終えて感想を述べる両親と、それに照れ笑いする桃香に遅れて。
「うん、美味かった」
「ありがと」
このくらいの男子相応に食べるのが早い隼人が遅れた理由はプラスアルファの盛り合わせを喜んで食べていたせい……特に獅子唐が美味かった。
つまり、この昼食を思い切り満喫していた。
「じゃあ、お片付けしますね」
「あ、手伝う……というか、俺がする」
「うん、ありがと」
母の目配せが来る前に勢い込んで挙手し立候補する。
かくして。
「えへへ」
「ん?」
「ううん」
台所で、再び二人並ぶことになったのだった。
そして片付けが済めばそのまま。
「えへへ」
隼人の編んだストールを羽織って、専用の座布団を敷いて隼人の部屋の炬燵にスムーズに滑り込む。
その桃香の前にこれまた桃香用のマグカップを置いて隼人も対面に座りながら。
「……おじさんたち、寂しがらないか?」
今もそうだけれど、冬休みも同じ時間を共有することが多い状況にそう尋ねるも。
「明日からはしばらくちゃんとお家だもん! あと、午前中はしっかりお手伝いしてきたからね?」
「まあ、そう、か」
さっきから頭に居座っている面々が一斉に「敷かれてる」と指摘するが、それはちょっと違う筈だ……と反論する。
主導権を握られっ放しだということはどう頑張っても否定の仕様がないが。
「はやくんのお部屋は」
「ん」
「大掃除要らなそうだね」
まあ、本棚がぎっしりだけれど物は少ない方だよな、とは自分でも思う。
「一応昨日のうちに整理して雑巾がけしたけど」
「えらいっ」
指先で丸をくれた桃香がふと隼人の部屋の時計に目を留める。
「明日の今頃は……」
「ん? ああ……」
桃香の視線を追って時計を見て時刻を確認し、脳内に軽く控えてあった時刻表と対比する。
「遅延が無ければそろそろ母さんの実家の最寄り駅に辿り着く頃かな」
「始発で出てもそんなにかかるんだ」
「新幹線はいいけど、乗り継ぎが二度あって接続もそんなに良くないから」
「そうなんだ」
頷いてから桃香が続ける。
「でも、さっきのはそうじゃなくってね」
「ん……?」
「明日の今頃……きっと、もうさみしいな、って」
炬燵の向こうから手を伸ばして指先を捕まえてくる桃香に、苦笑する。
「早くないか?」
「でもね」
桃香のするように任せていた指先を絡められる。
「わたしの部屋から、はやくんのいないはやくんのお部屋が見えるんだよ?」
「……」
「さみしくなっても、いいでしょ?」
「!」
逆に置き換えて想像した隣の窓が思った以上に寒々しくて冷たくて。
今、桃香と指が触れていて本当に良かったと思わされる。
「……かも、な」
そして桃香には六年間そんな光景が見えていたのかと思い知らされる。
「その、電車の中とかはきっと暇、だから」
「うん」
「迷惑じゃない程度に……メッセージするよ」
そんな言葉に一気に桃香の表情が華やいで、絶対に実行しなければ……と密かに決意する。
「幾らでもどんと来い、だよ?」
「トンネルとか山中とかあるから、程々だって」
ああ、桃香はこんな調子の方がずっといいな、と思いながら。
もう少し、笑って貰えること喜んで貰えることを考える。
「あとは、隙を見て……夜とか、通話もするから」
「そんなにこっそり、なの?」
「まあ……だって」
考えてみて欲しい、と繋いでいない方の肩を竦めて頭を掻く。
「年頃の従姉妹たちも居る中で……女の子に電話しているところを見られたらどうなるって話だろ?」
「わ……」
桃香がくすくすと笑い出す。
「大変なことに、なっちゃいそう……かも」
「かもじゃない、間違いなく、だ」
「仲の良い幼馴染です、って言ってもだめ、かな?」
学校でですら余り信じてもらえていない建前を桃香が口にしてみるものの。
「まあ、それで釈放をしてはくれないだろう……な」
「そう?」
「うん」
桃香と確り繋いでいる手に視線を落とす。
くすぐったくなる笑顔を浮かべながら……桃香は離してくれる気配はないし、隼人も今は解く気がない。
繋いで、いたい。
「じゃあ、今は……こっそり、だね」
空いている方の人差し指を秘密の形にする桃香を見つめながら。
母と大喧嘩にはなるし向こうの親戚には申し訳ないことこの上ないが、今からでも帰省をキャンセルすることは出来ないかと考え始める隼人だった。
いっその事、それこそ新幹線が止まるくらいの大雪でも降りはしないだろうか、と。
冬休み編、突入します。