14.恐らく六年と二ヶ月ぶり
「あー、面白かった」
映画館を出て、外の明るさに目を細めながら桃香が伸びをする。
「はやくんは?」
「こっちも楽しめたよ」
映画の内容も評判になるだけはあるものだったが。
「桃香も、なんというか……面白かったし」
ピンチのシーンにはキュッと縮こまり、逆転するタイミングでは小さくガッツポーズ、などとシートの中に納まって迷惑にならない範囲だが、実に満喫している様子だった。
そしてそれを横目で見ていた感想だった。
「ちゃんと映画を観ててよ」
「観てた観てた」
軽く頬を膨らませる桃香を宥めながら。
映画館を出る直前に館内の時計で確認した時間を念頭に相談する、超大作は所要時間も大物だった。
「あともう少し何か出来そうだけど」
「少しかな?」
六時半までに帰れば大丈夫だよ? という桃香に隼人は六時迄と主張した。
「心配性?」
「まあ、その、田舎の方は夕方でも危なかったりするし、それとは違うのもわかってるんだけど」
女の子を預かっているわけで……と頬を掻く隼人に桃香は笑って。
「はい」
「ん?」
「はやくんの、言う通りにします」
少し澄ました声色でそういった後。
「そのかわり、六時ぴったりまでいっしょだからね」
元の笑顔に戻るのだった。
さて、時間は決まったもののどうしたものか。そう思ったところで周囲が一気に賑やかになった。
「すごい人」
思わず視線を引き寄せられた桃香が呟いたようにさっきまで居た映画館から次々に人が出てきて街中へと流れていた。
タイミングと規模からみて隼人たちがもう一つ候補にしようとしていた映画が終わった模様だった。
「あ、あはは……」
隼人たちが観た方の客層は親子連れから友人グループまで様々であったけれど、今二人の前を通っていくのは映画の性質上仲良さげな男女ペアばかりだった。
「すごい、ね」
話題となる映画だけあって余韻に浸る姿も散見され、桃香の言う「すごい」の二回目の方が人の数ではないことは明らかだった。
隼人の方もすごいは何か違うんじゃないかとも思ったが、でもいざ何か表現しろと言われればすごいとしか言えない気分だった。
そんな中。
「ね、はやくん」
桃香が数センチだけ、それでも隼人との距離を少なくして問いかけてきた。
「えっと、どう、しようか?」
次やることの問いかけではあるものの、今後予定のことでないのは明らかだった。
「その……」
「うん」
「桃香さえよかったら、だけど」
前置きを入れているんじゃない、と頭の中の何名かと、誰より隼人自身が思ったけれど。
多少勇気の要る、すらすらと出せる言葉ではないのも事実なのだ、と言い訳する。
「手、繋いでいいかな?」
「うん!」
「ええと、じゃあ、はやくんのおとなりに行った方がいいのかな?」
「そりゃあ正面からだと……」
何だか意味合いが変わる気がしたし、視界の正面に桃香を入れるとまともに見れる気がしなかった。
「だ、だよね」
ちょこちょことした細かい足取りで桃香が隣に移動してくる。
「あのさ」
「う、うん」
「そっち側だと、ちょっと不便じゃないか?」
桃香の肩にかかったバックについて指摘する。
間に挟むと少し邪魔にはならないかな、と思い。
「そ、そだね」
同意の下で位置を入れ替えようとするが、横移動しようとする隼人と回転しようとした桃香でぶつかりそうになる。
「わ……ごめんね」
「大丈夫」
一旦距離を取り、位置関係を確認し。
「じゃあ、行くよ」
「うん」
互いを真横に確認し、半歩ずつ近付くと。
「……!」
意識を集中し始めていた隼人の左中指に桃香の少しひらひらしている袖口が触れた。
「はやくん?」
「いや……その、思ったより低いところにあるのかな、と」
「どうせはやくんほど伸びてないもん」
膨れる気配に、小さく謝ってから、確認をする。
「この場合って、こっちが少し屈めばいいんだっけ?」
「わ、わからない……けど、それだとはやくん歩きにくくない?」
「あ、そうか」
衝撃の事実、のように感じられた。
「?」
「そのまま、歩かないといけないのか」
「そ、そうだよ? 時と場合によると思うけど、基本は」
日差しのピークが過ぎた外気温は下がり始める気配があったが、二人の頬は逆だった。
「じゃあ、桃香に少し高くしてもらっていい?」
「うん、わかった」
半袖で露出している隼人の手首付近に指先と思しき感触があった。
「よ、よし……じゃあ、失礼します」
「よろしくお願いします……」
何だか手間取っているぞと自覚する余裕もなく、ただただそのせいで緊張感が増してしまっている。
「あ、あれ?」
そろりそろりと桃香の指先に接近していた筈の隼人の手を、桃香の手が空振り寸前に接触して通り過ぎ、僅かな感触だけが残る。
「桃香?」
「その、なかなか来ないから、わたしも調整した方がいいのかなって」
隣に並び真っすぐ真正面を向いたままの二人の会話。
一応ちらちらと横目で互いを伺ってはいるのだが、しっかり手元を確認してするのは初心者とはいえあまりにぎこちなさ過ぎるので避けたかった。
「ちょっとかかると思うけど、二人とも動くと難易度が上がるので」
「だ、だよね!」
「桃香はそのまま待っててほしい」
「うん……じっとしてるね」
もう一度「行きます」と前置きしてノールックで桃香の手を探す。
「……ここ、は?」
「く……薬指」
そっと触れる感触に、くすぐったい……と呟く桃香に。
「我慢できる?」
「だ、だいじょうぶ」
それともう一つ、確認する。
「一本一本の方が良いんだっけ? この場合」
「さ、さいしょからそんな高度なのじゃなくていいよ!」
「……い、一応の確認だって」
思わず、といった感じに声が上がった桃香を宥めて。
「じゃあ」
「うん」
力が入りすぎないことを意識しながら桃香の手を包む。
「手、おおきいんだね」
「それはまあ、男だし」
「うん……」
一旦動きを止めた後、依頼を出す。
「ええと、位置はそのままで……ちょっと桃香も形じゃなくて角度を変えてくれれば」
「うん……こう?」
二、三度の修正と接触の後。
桃香の手が隼人の手に収まった。
「桃香の手は……ちょっと小さい」
「ん……」
大丈夫かな、と思いつつも少しだけ力を強めて触れているから握るに変える。
「あと、すべすべで温かい」
「そ、そう? ……いやじゃ、ない?」
「むしろとても心地いい」
思わず、自由の利く親指で桃香の肌を撫でてしまう。
「だ、だから……くすぐったいよ!」
「ごめん!」
指だけを止めるつもりが、全身静止してしまう。
「はやくん?」
そんな隼人に桃香が怪訝そうな声を出すものの。
「いや、もう、どうしたらいいのか」
正確に言えば触れている場所にもう少し集中して味わいたい欲求はあるのだけれど、この場所でそれはいけないと思える程度の冷静さもまだあった。
「どうしたらって……歩いて、みる?」
桃香の声も、どう聞いても余裕があるものではなかった。
「そう……だな」
「じゃあ、ゆっくり……ね」
小さく、せーの、という声に笑ってしまう。
笑ってしまって、折角合わせようとしてくれたタイミングがずれてしまい。
「わ!」
「ご、ごめん」
慌てて修正しようとした歩幅が大き過ぎて、桃香を割と強めに引っ張る形となってしまう。
「大丈夫?」
「びっくり……したよ」
やっぱりはやくんおおきいんだね……と立ち位置を修正して感心する桃香がさっき出した声と今の状態に隼人はふと思いついた。
「桃香」
「うん?」
「残りの時間、だけど……」
一つ提案をし、それに桃香も頷いた。
そしてとても今更ながら。
駅近の映画館前でやることではないことに周囲の好奇の視線が気付かせてくれた。