119.橙色の灯り
「昔、家族旅行で行ったお宿でね」
「うん」
「露天風呂があるところが離れで少しこんな感じに歩いたことあったの思い出すかも」
「成程」
戸締りをして鍵を仕舞った桃香と改めて手を繋いで。
そんな話をしながら歩けばあっという間に今度は隼人が鍵を取り出す番になる。
「こんなに近くなかったかも」
「隣、だしな」
「特等席だよね」
にこっと笑った後、桃香が首を傾げた。
「席で、いいかな?」
「まあ意味は通じるな」
「そうだね」
開錠の音の後で戸を引いて桃香を入らせてから、隼人も中に入った後、後ろ手に鍵をかけた。
その一連の動作中、脳裏に蘇る「まさか誰もいない家に連れ込むなよ?」に対してこれは非常事態なので、と言い返していた。
「とりあえず、上がって」
「うん、お邪魔します」
邪魔どころかいつも居て欲しいくらいだけどな、と内心で返しながらも手探りでスイッチを押して灯りを点ける。
「ね、はやくん」
「ああ」
少し古い家屋なのもあって仄暗い廊下で、桃香が小さなバッグを持った手を前で揃えて尋ねてくる。
「わたしは、どこのお部屋使わせてもらえばいいかな?」
「二階の、俺の部屋の向かい」
「うん、わかった」
頷いた桃香が狭い廊下でも慣れた動作で踵を返したところ。
「あ」
「起きた、な」
奥の方からかぐやの鳴き声が聞こえたので。
「ちょっとだけ、顔見てくるね」
「ああ、喜ぶから」
桃香に頷き返しながらも、きちんと隼人と桃香以外にも居るよと咎められたような気もして……少々内心複雑だった。
「なんだか、懐かしいかも」
「ん」
ちょっとだけと言いつつも五分ばかりかぐやを甘えるに任せた後で、隼人の向かいの部屋に移動して桃香が呟いた。
「はやちゃんとかくれんぼした時、以来かな?」
「そうだな」
頷いてから。
「桃香がそこの押し入れに隠れたけど、襖が閉まりきってなくてすぐわかったんだった」
詳細に覚えている顛末を語れば頬を膨らませた桃香に脇腹を突かれる。
「だって、閉め切ったら真っ暗だもん」
「ん、そうだな」
「……すっごく微笑ましそうに見られてる」
「実際、微笑ましいだろ」
確かに少し頬が緩んでいるな、と自覚しながらも続ける。
「暗い所苦手な女の子は」
「……暗いところが苦手なんじゃないもん」
「ほう?」
「暗いと、お化けがいそうだから……だし」
それを暗いところが苦手と言うんじゃないだろうか、と思いつつもこの状況で拗ねられると困るので胸に仕舞う。
「じゃあ、そういうことにしておこう」
「もー」
まだ不満げな桃香をジェスチャーで宥めつつ。
「灯りは常夜灯にして、俺の部屋の襖は少し開けておくから……怖かったりしたらいつでも呼んでくれていい」
「あ……」
瞬きを一つしてから、桃香が微笑む。
「ありがと、はやくん」
「当たり前だろ?」
「でも、ありがと」
そうした後、一拍置いて桃香が追加で尋ねてくる。
「じゃあ、さみしかったら、どうすればいいかな?」
「幾らでも話し相手になるよ」
「えへ……そっか」
「ん」
桃香の嬉しそうな表情に満たされるものを感じた後で。
「あとは……」
「?」
「夜、下に降りた後戻る時に……いつもの癖ではやくんのお部屋に入っちゃったら、どうする?」
「……こら」
真っ赤になりながらも聞くのかよ、と思わずいつもみたいに頬に突っ込みを入れそうになって、慌てて指先を引っ込める。
「その時は」
「……うん」
「桃香を寝かせた後で、使ってない方の部屋に行く」
「そう、なんだ」
「ああ」
頷いた後、少し考えて付け足す。
「桃香に、そういう魅力がないとかじゃなくて……むしろ、そっちも、その……大いに気にはなるけれど」
スタイル抜群、というわけではないけれど……触れる度、折に付けて少年心をくすぐってくる華奢な部分と豊かな所。
「……うん」
「だからこそ、軽々しいことはしたくない、な」
「そうなんだ」
「ああ、そうだ」
意識して、しっかり頷くと桃香が柔らかく笑う。
「そこも、はやくん、って感じがする」
「……面倒臭い感じが、か?」
「それもちょっとだけ、思ったけど」
「おい」
思わず口に出した後、どちらからともなく笑って……僅かに生じていた緊張感が霧散する。
「それよりずっともっと、はやくんがこんな人で、よかったって思ってるよ?」
「なのか?」
「うん……好きになった人が、はやくんで、って」
そう告げてくれた桃香の表情に息を呑んだ後、整えてから、桃香の瞳を見つめ返す。
「彼女になって貰うのも、その先も、しっかりと手順を踏みたいので……待っていて、下さい」
「はい」
微笑んで頷いてくれた桃香に、思わず抱き締めるように両手が伸びかけて……寸前で引っ込める。
「ごめん」
「謝ることじゃないけど……」
「ん……」
指一本触れない、は早まったか? と思ったけれど……そう約束しなければ本気で危なかったと結論する。
これで良かったんだよな、と心を落ち着かせたところで、桃香がそっと切り出した。
「あと、いちおう……なんだけど」
「うん?」
「その、さっき、わたしが言いたかった、のは」
「……ん?」
まだ赤い顔のままで、視線を彷徨わせて。
「はやくんといっしょのお布団に、ちょっとだけ、入りたいな……だったんだけど」
「……!?」
多少落ち着いた熱が、一気に戻って心臓が跳ねた気がした。
「で、でも……はやくんもけっこう男の人、なんだからそう……いう意味に、なっちゃう、よね、うん」
「あ、ええと、その……」
「え、えっと……ちゃんとわたしもそういう対象なんだって、安心した……かも」
「桃香……あの、な」
「み、みんなには……その、わりとおっきいって褒めてもらえてる、し」
「桃香!」
フォローを試みてくれているのはわかるものの、コメントし辛い方向に話が転がっていて……でも、顔は見れないし、今は間違いなく触れるわけにはいかなくて。
強めの声でしか、制止できない。
「え、えっと……」
「……俺が、悪かった」
「う、ううん……わたしも、誤解されるようなこと言ってた、し」
居た堪れなさに、畳とにらめっこをするしかない。
「その、一応、高校生男子をやっているので……そういう面もあると知っておいてもらえる、と……助かる」
「わ、わかりました」
「ありがとう」
「う、ううん」
外の通りを、一台の車が通り過ぎていくのがはっきりわかるくらい、そのくらいの間分の沈黙が下りて。
「……ちょっとだけ、冷えてきたね」
「あ、すまん……その、布団とか使って」
「うん」
「ヒーターは、持ってくるか?」
「お布団に入っちゃえばだいじょうぶだよ」
頷き合ってから、一歩分後ずさりして。
「ええと、そろそろ遅いよ……な」
「まだいつもくらいの時間だと思うけど」
「ん」
わざとおどけたように、照れ隠しの笑い方をしながら、桃香が電灯の紐を引っ張る仕草をする。
「一旦、おやすみなさい、しよっか?」
「一旦?」
「さみしい間は、お話相手、してくれるんでしょ?」