114.ハートと星と、盛り合わせ
「できたよ」
「ありがとう」
桃香の声に招かれて何度か食事をしたことのあるテーブルのところに。
そこでいつもの席の椅子を引こうとしたところで、手が止まる。
「場所、どうしようか」
「え? あ、そうだね」
普段なら桃香の隣で、桃香の両親が対面になる位置で座っていたけれど……今は二人。
そこで並ぶのも、何かバランスが? と言う気もした。
最近教室で弁当を食べる時は机を横移動しているだけなので並ぶことにはなってはいたが、今回はどうしようか、と迷うことになった。
「じゃあ、こうしちゃおうか」
桃香が普段は自分の母親が座っている、隼人の正面側の席に自分のカップを置く。
「何か運ぶか?」
「じゃあスープお願いね、ちょっと多めの方がはやくんの」
「わかった」
わかめスープを隼人が置いた後、オムライスの皿を二つ持った桃香もやって来て。
「じゃあ、座って座って」
「ああ」
エプロンを畳んで隣の席の背もたれに掛けた桃香が真正面に座る。
「……」
「どうかしたの?」
「いや、ちょっと新鮮で」
「あ、そうかも」
肘の手前まで捲っていたパーカーの袖を戻しながら、確かにね、と頷かれる。
「でも、お出かけの時のご飯とか甘いもの食べにいったときはこうじゃない?」
「いや、位置的にはそうかもだけれど……何と言うか」
「そう、なんだ……そうかもね」
冷めちゃう前に食べよっか、と桃香がケチャップの蓋をプラスチック音と共に開ける。
「はやくんのは、これでいい?」
「……」
鼻歌混じりに、気持ち小ぶりのトマト色のハートが玉子の上に作り出された。
「どうしても恥ずかしかったら、反対にして桃にするけど」
「葉っぱ付けてか?」
「そうそう」
どちらにしろ桃香の名前が名前だけに凄いことになってしまうな……と思ってから、大人しく皿を自分側に引き寄せる。
「これでよかった?」
「……うん」
ケチャップかけ過ぎになるだろ、何て呟きながら。
「あ、でも」
「でも?」
「それだと崩してしまうことになるのか……」
どう考えても一口で食べれる大きさではないし、その前に玉子部分を割らなければ醍醐味がない気もする。
「ちゃーんと」
「ん?」
「残さず全部、食べてくれるなら大丈夫じゃないかな?」
「そうかな?」
「そうだよ」
にこやかに言い切られてしまえば、そういう物かと納得するしかない。
「二人だけだからって大胆過ぎるだろ……」
「だけだから、だよ……それに」
「それに?」
「最初に教室ではやくんにお弁当渡したときの方が、緊張したよ?」
「それは、そうか……」
「それは、そうだよ」
少し照れ笑い気味の桃香に、そう思いながらもしてくれたことに、自然に口が動いた。
「でも、ありがとうな」
「うん!」
頷いて笑った桃香が、じゃあ……と自分の分を隼人側に差し出した。
「わたしのは、はやくんがケチャップかけてね?」
「……普通にかけるしかできないけど」
「それでも、いいよ?」
絶対に言葉通りではないだろう表情に……迷いに迷って。
「……じゃあ、これで」
「うん」
流石に同じものもな、と思いながら、星を一つ書いてお茶を濁す。
それでも桃香は楽し気に受け取ってくれた。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
スープの量は隼人側が気持ち多いだけでほぼ同じだったけれど、オムライス方はというと二割ほど大きめで……それでも隼人の方が先に食べ終えた。
「お味は、どうだったかな?」
「美味しかったよ、本当に」
一口目でも食べた直後素で言ったけれど、大切なことだともう一度感謝も込めて。
「玉子の焼き加減は?」
「もうちょっと固めでもいいけど、丁度よかった」
「そう?」
「ああ」
小さめにもう一口食べてから……また桃香の質問が来る。
「家のお母さんのと比べても」
「負けてないよ」
「そう? よかった」
安堵のためかへにゃりとした笑い方をした桃香に、思わず苦笑いが出る。
「そんなに俺の好みに合わせなくても」
「だって、大事なことだよ?」
「まあ、ありがたいけど……さ」
頬を掻いた隼人を桃香がじっと見つめる。
「いっぱい、食べてほしいもん」
「美味しいから沢山食べれるけど、物理的な限界はあるからな?」
「ううん、そうじゃないよ」
即座に首を横に振った後、秘密を囁く声色で。
「いっぱい、は回数の方」
「え?」
「いっぱい、はやくんに食べてほしいな、って思ってるから」
最後の一口を口にして……口の中と隼人の表情をゆっくりと味わうようにしてから。
「じゃ、お皿洗うから」
ゆっくりとした動作ながらも手際よく食器をまとめた後。
「あ、俺も……」
「ううん、ゆっくりしてて」
お互い様なトマト色の隼人の頬を一度突いてから、エプロンをして流しの方にご機嫌に食器を下げて行った。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「えへへ……」
ゆっくり、と言われても。
そうしていると音を立てているのもあって必然的に洗い物をしている桃香の方に目が行ってしまう。
さっきみたいな会話を三度、時間を置いて繰り返してしまっていた。
「あれ?」
「あ、はやくん、お願いしていい?」
「ん」
そんな時、店舗の方からチャイムと声が聞こえて。
手の泡を流す桃香に頷いて、仕切りの戸を開けて履物を引っかけながら出て行くと。
「はい、お待たせしま……」
「あ、すいません……」
見覚えのある、短いポニーテールの女性と顔が合った。
「杉田先輩」
「や、吉野君」
気さくに片手を上げた後。
「って、あれ?」
首を捻って、そのまま数歩バックして一旦店の外に戻ってから。
「……」
多分、看板のある辺りを見上げてから再度入店を……当然ながらチャイムは続けさまに二度鳴ることになる。
「綾瀬青果店」
「はい」
表の看板を指して確認されたので、頷く。
「君は吉野君」
「そうです」
隼人にも確認されたので、頷く。
「……君の彼女は綾瀬ちゃん」
「……そうではありませんが」
一応、未だなので首は横に振る。
そんなタイミングで。
「すみません、お待たせしまし……」
手を拭きながら看板娘モードで出てきた桃香に、思い切り訝し気な視線が隼人に向けられる。
「やっぱり綾瀬ちゃんいるんじゃない」
「まあ、桃香の家の店ではありますので」
「しかも何? 綾瀬ちゃん洗い物してたん?」
「さっきまでお昼食べてました、から」
「お昼? 誰と? っていうか色々と何で?」
「……まあ、色々とありまして」
「あ、あはは」
「ふーん、成程ね」
「ええ、そういうことでして」
頷きながらも再度バックして店から出たと思いきや、今度は視線を横に向けて隼人の家の看板を確認して戻ってくる。
「お隣さんの幼馴染、と」
「はい」
「そうなんです」
成程成程、と頷く姿に隼人と桃香も合わせて首肯する。
「吉野君」
「はい?」
「こんなに可愛い子予約済みはさぞ恨まれたでしょ」
「……ははは」
笑って誤魔化す以外の何物でもないな、と内心で苦笑いする。
「あ、でも」
「うん?」
「はやくんのことは、お隣だからとかだけじゃないですから!」
「そっかそっか」
にこやかに笑った後、肘の辺りをスナップの利いた細腕でどつかれる。
「果報者じゃない?」
「……自覚はあります」
「なのに付き合ってないと?」
「…………諸事情です」
「ほーん?」
直接的な所属ではないけれど、女子陸上部の前主将は伊達じゃないのか吹き付けてくる先輩オーラに隼人は従わされる。
「え、えっと……先輩は、お買い物、ですか?」
「あ、そうだった……えっと、果物の籠盛を一つ予約入れてたんだけど」
「これって先輩のお家の、だったんですね」
「そそ、親戚のおばさんのお見舞いなんだけど、ここの果物は全部美味しいからって熱烈リクエストされちゃって」
「わ、ありがとうございます!」
桃香が両手を合わせて嬉しそうにする。
「で、店名からもしかして……と思って親の代わりに取りに来てみたら、ねぇ?」
意味深に、隼人の方を見つつ分厚いブルーの財布をバッグから取り出していた。
「いいもの見せてもらったわ」
「あははは……」
「恐縮です」
お釣りの後、果物の籠を受け取って……。
「じゃ、また学校でね?」
「はい、また」
「ありがとうございました」
片手をひらひら振って、出て行こうとするところに。
「あ、あの」
「?」
「「親戚の方、早く良くなるといいですね」」
「……」
「「あれ?」」
桃香と一字一句重なって、顔を見合わせることになって……無論、その様を見ていた人には爆笑される。
「ありがと、二人とも」
「は、はい」
「それじゃあ……また」
振り向きながらの、友也情報で結構おモテになられた、というのも納得できる笑顔の後で。
「とっとと、くっつきなよー」
「え、えっと……」
「今でも充分、夫婦みたいだけど」
「「!」」
そんな置き土産が、残された。