107.置いてきぼり
「吉野君吉野君」
「はい?」
週明けから一日置いて火曜日。
桃香が提出物を由佳子と連れ立って職員室に持って行ったタイミングで、美春が肩を叩きつつ話し掛けてくる。
その後ろには琴美と絵里奈も控えていて……で、その様を若干呆れた表情で自分の席から花梨が眺めている。
「あの、可愛い女の子、なんだけど」
「……和花ちゃん、のことかな?」
「そうそう、その和花ちゃんなんだけど」
「昨日も遊びに来てたよね?」
続きを引き取った絵里奈に苦笑いしながら答える。
「なんか、家の犬のこと気に言ったみたいで」
「「「ふーん」」」
三人揃って「左様でございますか」って顔をした後、美春が声を潜めて尋ねてくる。
「あの子ってさ」
「うん」
「吉野君の許嫁、とかだったりする……?」
「……はい?」
想定の外も外な発言に意味合いを理解するまでに時間を要し……彼女たちの言いたいことが把握できた瞬間、もう一度声が出た。
「はいっ!?」
「うひゃっ!」
美春が思わず後ずさりするくらいの、声量で。
「あー……びっくりした」
「ごめん、でもそれはこっちの台詞なんだけど」
謝りながらも、何でまた……と聞き返す。
「前にちょっとだけ聞いたけど、吉野君の実家って結構大きな家、なんでしょ?」
「……田舎の土地だけはある感じだけどね」
「で、なんだか男の子が少ないと問題がある感じの……」
「うん、まあ」
「一方、例の和花ちゃんも何だか物凄いお家の子、っぽいじゃん」
「家の母さんの実家とは比較にならないくらいね」
「だったら、親同士が早めに決めた、とかあるんじゃないの?」
美春と琴美が交互に言ってくる。
「で、一方吉野君は桃香にうつつを抜かしている」
「……言い方」
「だから、しびれを切らして婚約者の首根っこを押さえに来た、と」
「この人は私のです! ってね」
「随分と愉快な想像だね」
もはや苦笑いしか出てこない隼人に、でも、と二人が指を突き付ける。
「だってそれなら」
「吉野君があの子を邪険に出来ない理由になるじゃん」
「……それは」
「だったら面白いなー、って週末からちょっと話題にしてたんだ」
ニヤニヤ笑って聞いていた絵里奈が最後に経緯を付け加えてくれた。
まあ、女子にとって面白おかしい話題ではあるのだろうとは思う……あと、絶対ちょっとどころではなく面白おかしく語ったのだろう。
「邪険って……普通、小さな女の子には優しくするものじゃないかな?」
「うちのアニキが高校生の時はもっとぞんざいに扱われたよ、ホント」
「それは実の兄妹だからでは?」
「まあね」
実際問題、実家の従姉妹たちに比べれば……比べ物にならないくらい大人しくていい子な和花である。
あはは、と笑う琴美の後を美春と絵里奈が引き取る。
「まあ、百歩譲って吉野君がそうだとしても」
「優しくされた方がどう受け取るかは別じゃないの?」
「……」
「あと、小さいとは吉野君は言うけれど……甘く見過ぎかもよ?」
やはり、それはそうなのだろうか……と遊びつつもその点については真面目に言ってくれているであろう指摘は素直に受け取る。
「少し仲の良いお兄さんから逸脱はしてないつもりなんだけど」
「まあ、仮にあの子がどう受け取っているとしても、吉野君は絶対にぶれないものね?」
「……それは、そうだよ」
「吉野君が本気で優しいのは……」
「……」
花梨に言われたところで、丁度教室に戻って来た桃香と目が合った。
「……?」
隼人の視線に、桃香は一瞬不思議そうな表情を浮かべたものの、にこりと笑って手を振ってくれた。
「ん?」
そんなことがあった日の午後。
教室移動から戻ってくると机の上に普段とは違う色合いがあることに気付く。
「どしたの? はやくん」
「いや、机の上に」
その紫色の紙片を取ろうとして、端が机に張り付いていることがわかって付箋なのか……と思ったところで、どこかで見たことがある筆跡が目に留まる。
「!」
「?」
思わず固まる隼人の手元を不思議そうに桃香が覗き込み。
「あっ!」
「!」
いけない、と思うも時遅く次は桃香が静止していた。
「どうかしたんですか?」
「え? 何々?」
そんな二人に由佳子と美春も近付いて……これは更にいけない、と思った隼人がその付箋を畳む前に美春が手元を見て。
「あ」
「……」
「ごめん」
「いや、仕方ないよ」
バツの悪そうな顔をする。
その付箋には以前隼人の下駄箱に入っていた手紙と同じ字で「まだ私にもチャンスがあるのかと勘違いしてしまいますよ?」と書かれていた。
「……」
その直後の本日最後の授業中。
黒板は反対側なので不自然だが、普段とは逆に今は隼人の方が桃香の方を気にしてしまう。
普段なら、視線を合わせて柔らかく微笑んでくれる桃香は今日は何やら手元のノートに目を落としつつ授業とは全く違うペースで何かを書き記していて。
そして。
「はやくん、今日はわたし、用事が出来ちゃったから先に帰るね?」
「!?」
授業の担当が担任だったためそのままシームレスに始まったHRが終わった直後、そう言って鞄を持って立ち上がっていた。
「え、あ? 桃香?」
それなら、と言いかけた言葉が遮られる。
「はやくんは、ちゃんと和花ちゃんの相手をしてから帰ってね?」
「……そう、言われても」
「誰も待っていないんじゃ、悪いでしょ?」
よろしくね、と言った後。
隼人の隣を抜けて教室から出て行った桃香の後姿が階段の方に消えた頃に。
「おい、聞いたか今の」
「聞いた、聞いた」
教室の中が、騒めき始めた。
「流石の綾瀬も怒ったか……」
「そりゃそうだろ」
「綾瀬さんも可愛いけど、あの子も尋常じゃない美少女だもんね」
「内心穏やかでは居られないよ、あれは」
「うん、やはり吉野は多少は酷い目にあっとけ」
そんな中で。
「やっちまったなぁ、はや……」
ニヤニヤと隼人の席の正面に回って席に座っている隼人と同じ高さにしゃがんだ蓮の顔が「と」のまま固まるのを見て、窘めるように近付いていた誠人と友也が怪訝な顔になり……。
「こりゃひでぇ」
「大丈夫か? 吉野」
「この世の終わりのような顔してるね……」
そんなに? と美春たちも順に隼人の顔を見て。
「吉野君? 気を確かに持って」
「重症っぽいねぇ……」
「大丈夫、桃香ちょっと妬いてるだけだよ」
そんな隼人に近しい面々が心配しだした様子に騒ぎは徐々に沈静化していき。
「どうしようか? 急いで桃香引き留めとくから」
「吉野君、帰り支度急いで追いかける?」
美春と琴美がそんな風に申し出てくれたが。
「いや、ここで和花ちゃんを置いて帰れば本当に怒られると思うから」
「そうね、それはそう思うわ」
「吉野君と花梨がそう言うなら間違いないだろうねー」
頷く花梨に絵里奈がそう引き取って。
「……後で、しっかり話すことにするよ」
「そうなさいな」
皆が順番に、隼人の背やら肩を叩いてくれた。




