106.犬好き?
「この子が、かぐやなんだ」
「まっしろ……」
三連休の中日の昼下がり。
そろそろ仔犬の大きさではなくなりつつあるかぐやの白い毛並みに、雪のように色白な和花がそんな風に呟いた。
「触っても……?」
「大丈夫だよ」
こちらもじいっと和花のことを見ているかぐやに、おっかなびっくりの見本のような手つきで和花が手を伸ばす。
「大人しい子だから、安心して」
「はい」
実際隼人も感心したのだが、母は実にテキパキとかぐやを躾け、例外の時を除けば実に良い子と散歩のときに商店街の犬愛好家の方々に褒められるくらいのかぐやだった。
「わ……」
「どうだった?」
「ふかふかで、あったかいです」
白い毛並みを撫でてから今回は年相応な感じに笑う和花に、隼人の方も少し頬が緩む気がした。
何でも家の中に万が一にも壊れたらまずいものが多すぎて飼っていると言えば小鳥と錦鯉くらいらしい。
そんな話を思い出しながら、かぐやにも、良い子だ、とわしわしと頭を撫でる。
初顔合わせが済んだところで……隼人の休日の過ごし方の話題の中で犬に食い付いた和花に尋ねる。
「この公園、結構広くて……開けたところで遊んだり、外周を散歩したりできるけどどっちが良いかな?」
「かぐやちゃんはどっちがお好きなんですか?」
「それはもうどっちもなんだけど」
先ずはもう少し慣れてもらってから遊ぶ方がいいか、と考えて。
「散歩から行ってみようか」
「はい! さっきここに来るとき」
「うん?」
予想以上に良い食い付きだな、と和花を見れば。
「銀杏が色付いていて、とても気持ちよさそうだと思いましたので」
「ああ、そっか」
確かにいい季節になったな、と頷きながら指先でこちらから外周のコースに出られるからと先導する。
桃香より小柄な和花だから歩調は抑えた方がいいのか? でも桃香はかなりゆっくりだから案外桃香と一緒の時くらいので……? とか考えつつ。
丁度二人目掛けて落ちてきた黄色い葉を手で避けて。
「ペース、速かったら言ってね?」
「はい」
「和花ちゃん」
「はい?」
「リード、持ってみる?」
外周を半分ほど来てそれなりに慣れたかな、と思ったところでそんな風に提案をしてみる。
「大丈夫……でしょうか?」
「平気平気」
少し不安げな和花に、こちらも少々いつもの自分より陽気だなと思う声を出す。
「危なそうだったらちゃんと助けに入るから」
折角だから楽しんでほしいというのは間違いないから。
「じゃ、じゃあやってみます」
「うん」
手渡された赤いリードを緊張の面持ちで握っている和花を少しだけ見上げたかぐやが散歩を再開する。
「わっ、わっ……」
「そのままそのまま」
これでいいのか? とこちらを見た和花に頷いて走ってはいないけれどしっかり伴走する。
「いい感じだよ」
「はいっ」
「楽しいですね」
半分のもう半分を行った辺りで緊張の解けてきた和花の表情も随分と柔らかくなる。
「なら良かった」
「……実は」
「うん」
「悠姉様のお家の子も気になってたんですけど、前に見たときあんまりに大きくて……」
「ああ」
立派な毛並みとがっしりした成犬の姿を思い出して頷く。
確かに慣れていないと多少腰が引けるかもな、と納得しながら。
「かぐやちゃんは仔犬だと聞いたので」
思ったより大きくてちょっとだけ驚きましたけど、といつもより口数多く和花が言う。
いつもと言うにはこの一週間だけだけれど。
「絶賛成長中なんだよ、こっちも大型犬だし」
「隼人さんも助けてくれましたし」
「大したことはしてないよ」
手を横に振って、その後で提案する。
「じゃあ、今度はマイケルと散歩に挑戦かな」
「え……」
軽く表情が固まって動作全体がしり込みする和花に笑いかける。
「大丈夫大丈夫、結構やんちゃで動きは激しいけど言うことは聞いてくれるし」
「隼人さんは……その」
「遊びに行ったときに気に入られた、かな? 一緒に思い切り走ると結構気持ちよかったよ」
「……すごいです」
「大したことじゃないよ、身体を動かすのが好きなだけ」
言葉通りの表情でこちらを見上げた和花が少し何かを考えるように黙った後、切り出す。
「あ、あの、隼人さん」
「うん」
「では、今度挑戦しようと思うので……その時は同行願えますか?」
「勿論だけど」
「?」
快く頷きながらも含みを持たせると和花が不思議そうに首を傾げる。
そんな和花に、わざと渋い顔を作って指摘する。
「そろそろマイケル連れて悠姉さんが現れそうじゃないかな、って思わない?」
「……確かに!」
手で口元を覆いながらも転がすように笑う和花に、共通の話題で多少は打ち解けられたかと思う隼人だった。
あと、ダシにするのはお互い様だよな、と。
「予想通り、だったね」
「はいっ」
「ん?」
そんな会話をしていたので。
本当に公園を一周散歩してきた辺りで後ろからランニングのペースで悠とマイケルが現れたことに二人で笑う。
「や、マイケルが今日は遠出の気分だって言うから」
「言うと思った」
肩を竦めると和花も頷いてくれる。
「お、そんなに私達に会いたかったのか?」
「まあ、そういうことにしておこうか」
「そうですね」
「隼人、和花に良からぬことを教えていないか……?」
「いや、全く?」
三人と二匹になって外周から広場の方に入って行くことにした。
「あの、悠姉様」
「うん? どうした、和花」
「あとでマイケルちゃんに触ってみても大丈夫ですか?」
「お、今日の和花は積極的だな」
「そんなことは……」
勿論オッケーさ、と笑いながら。
「ただ、隼人さんが大丈夫だよって言ってくれたので」
「マイケルだけじゃなくて私の可愛い和花まで隼人に懐いてしまったか……」
今度は悠の方が肩を竦めた後。
「じゃ、その間私はかぐちゃんともっと仲良しになってしまおうかな」
ほいっ、とマイケルのリードを隼人に寄越してかぐやに触りに行く。
仔犬が貰われてきたとの報で素早く会いに来て以来都合三度目の悠にかぐやも尻尾を振っていて……。
あっさり慣れた和花と言い、今までかぐやに苦戦してきた商店街のおじさん方を思うに、こいつもしや美人に弱いのか? と疑惑を深める隼人だった。
「もう少し手首を返す感じ、かな?」
「こう、でしょうか?」
「うん、そうそう」
フリスビーに挑戦するも一投目はそこまで飛ばずにかぐやが「?」な顔で戻って来て責任を感じている顔になった和花に目の前で軽くアドバイスを。
一緒にマイケルに触れてみる、をあっさりクリアして次なるわんこたちとの遊びに挑戦中だった。
「おーし、じゃあ次はマイケルの番だぞ」
「い、行きます……!」
そこまで緊張しなくても、と思わず苦笑してしまうくらい真剣な顔で挑んだ和花の二投目は、それでも筋が良いのか秋空に綺麗に舞ってマイケルが弾かれたように飛び出していった。
「やりました!」
「うん、上手だよ」
「はいっ!」
称賛も込めて片手をタッチ用に上げたところで、手ではなくて肋骨の辺りにヒットする感触が入る。
「和花ちゃん!?」
「隼人さんのお陰です」
「それは、良かったんだけど」
上げた片手をそっと和花の肩に下ろして、和花の場所は変えさせずに一歩下がる。
「これは、駄目だよ」
「す、済みません」
隼人の手以上のスピードで飛び退いた和花のところに、フリスビーを咥えたマイケルが駆け戻ってきて、かぐやも次は自分だとばかりに和花の膝辺りに頭を擦ってアピールをしてくる。
「ほら、リクエスト来てるよ」
「は、はい」
正直二匹に助かる、と内心で呟きながら和花を促す。
和花がもう一度投げるために離れたところで。
「は・や・と?」
「……」
今度は隼人の方が、結構強めに悠に肩を掴まれる。
「深い意図はないんだけど」
「有ったら流石に許さんぞ」
「加減が難しい……よ」
いいお兄さんでは居たいんだけど……という言外の呟きは、そういうのは結構伝わる相手なので理解して貰えたらしく肩を掴んで喰い込んでいた指から早めに力は抜いてくれた。
そんなことを意図して出来る程じゃないという自覚はある。
と言うか、もう少し器用であれば……昔に比べて足りないことが上手く満たせていれば。
「……!」
そんなことを考えた途端、花壇の向こうから近付いて来る人影に目が吸い寄せられる。
「あ、かぐやちゃん!?」
和花の投じた円盤そっちのけで、そちらの方に駆けだしたかぐやの姿を見ながら。
「だからと言って」
「?」
「桃香が来た瞬間、かぐやちゃんに負けず劣らず顔を輝かせ過ぎだよ、隼人」
そちらも劣らず、何だかんだ犬系だよな、と今度は耳たぶを抓んで来た悠にそんな風に囁かれた。
「隼人さんのお家の子、ですよね?」
「……その筈なんだけどね」
桃香の姿を認めた途端一目散に駆け寄ってスカートに頭を擦り付けているかぐやに和花も隼人も思わず苦笑いをする。
あと、隼人としては桃香が一緒なのは嬉しいのは間違いないけれどここまで出してはいない筈だ……とちょっと複雑な気持ちで千切れんばかりのかぐやの尻尾を見ている。
「どうした、隼人……ヤキモチか?」
「違います」
かぐやの代わりにフリスビーを咥えて来てくれたマイケルと一緒にゆっくりと追い付いて来た悠が再度肩に手を置いて来るのを身を捩って外す。
「えーっと、お待たせ?」
そんなかぐやをしゃがんであやしながら、ご家庭の事情でどうしても店番を外せない時間帯があった桃香が小首を傾げる。
「まあ、待ち焦がれてたっぽいけどなぁ……?」
「みたいだね」
かぐやのことだろ? と呟けば悠と桃香にも笑われる。
「……」
そんな様を、そんな隼人と桃香を和花が順番に見比べるように見上げていた。