94.スポーツの秋
「ちょっとだけ寒いでしょ?」
「全然」
月曜日の朝。
そんな会話をしてから、しっかりと手を繋いで……校門に近付いてからは一応離して。
「あ、おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
下駄箱の前で、由佳子と昨日ぶりの遭遇を果たす。
「え、えっと……昨日は」
「失礼しました」
「わ、忘れましたので」
一応、並んで桃香は軽く隼人は深々と頭を下げるも、由佳子には遮られて。
その後、桃香と由佳子の世間話を後ろで聞きながら到着した教室では。
「……普通だね」
「そりゃそうでしょ」
「……?」
何故か不満げな美春とそれを窘める花梨に迎えられ……琴美と絵里奈にも何故か普段より注視されて思わず頭に疑問符が出る。
「はやくんがどうかした?」
「ううん、何でも」
「そなの?」
そんな様子に桃香も不思議そうにしていたが、何でもないと宥められて、まだ首を傾げながらも鞄を置いて授業の準備を始めた。
そんな日のHRの時間。
「それじゃあ体育祭の出場競技を決めるよ」
持ち前の人当たりの良さで後期の学級委員に推挙された友也が黒板の前で発言する。
「まず、最初に確認するけど、球技大会の時みたいにクラス対抗の勝ちは狙いに行くってことで良かったかな?」
「おー!」
「もっちろん!」
「ったりめーだろ!」
蓮、美春、そして勝利と体育会系だったり武闘派気質の面々が気勢を上げる。
少し気になって誠人や琴美といった静かめな運動系が得意の面々に目を遣るとそちらも声には出していないもののやる気は十分、といった様子だった。
「みんな、盛り上がってるね」
「ああ」
こちらもやる気はある感じの、角席の関係上椅子に横向きに座った軽く楽し気な桃香に話しかけられて小さめを、目立たないことを意識して頷く。
そんなタイミングで。
「じゃ、お邪魔して悪いけど隼人は僕とリレーね」
「!」
桃香の方を見るとどうしても黒板前の友也が斜め後ろになるので、いきなり話題が振られて少し驚く。
「あ、ああ……皆がよければ」
「良いも何も友也と隼人が短距離タイム、クラスでトップだろ? ……帰宅部なのが勿体ねーことに」
「ホントにねぇ」
肘付きしながら教卓前の席の蓮がぼやくと友也も同意し、まあ順当よな……という空気にクラスもなる。
「はやくん、はやくん」
決まりだね、と友也が言ったところで小さく呼ばれて再び一五〇度ほど振り返る、何気に忙しい。
「がんばってね」
ぐっ、と握り拳と笑顔で激励される。
「おうおう、見せつけてくれちゃって」
「だって、がんばってほしいのはホントのことだし」
「まあ、それで吉野君のタイムが縮まるならそれに越したことは無いわね」
「……誠心誠意走らせていただきます」
机の上にだらけている美春と、背筋も綺麗に伸びている花梨からコメントを貰ったところで。
「そうそう、委員長」
「委員長は柳倉君でしょ?」
「まあそうなんだけど」
どうしてもイメージがね? 何て後期の委員に切り替わった後も花梨と何度かやっている遣り取りで笑いを誘った後。
「女子は誰が良いかな?」
「美春と琴美かしら?」
「花梨も同じくらい速いじゃん」
「ああいう競争の場でここ一番奮起するのはこの二人よ」
私は私で得意な別競技があるからそこで稼ぐわ、と花梨が述べると、じゃあそれでという形になり男女混合クラス対抗リレーの枠が決定する。
「よっし、いっちょやりますか」
「よろしく」
斜め後ろから親指を立てた美春に呼びかけられて頷く。
そして。
「ん」
隼人の後ろの花梨の美春とは逆方向の斜め後ろから、同じポーズの琴美にも隼人と美春で頷き返した。
「なんだか」
「ん?」
「いいね、こういうの」
それを見ていた桃香も終始ご機嫌な様子だった。
「残りの個人競技は身体能力あんまり関係なさそうだから、希望制にするね」
リレー選手を決めた後、種目リストを板書しながら友也が手際よく話を進めていく。
クラスの中でもいくつかのグループに分かれて話し合いが始まったところで、隼人も当然の如く桃香に尋ねる。
「桃香はどうするんだ?」
「借り物競争」
「……成程」
指を立てて即答された内容に確かにと頷く。
走力はそこまでどころか下から数えた方が、な桃香だけれど籤に関しては強運の持ち主のため。
「いいお題引けば、一番取れるかも?」
「だな」
「うん」
そしてそれを証明するかのように、希望競技が被ったためジャンケンで決める際も。
「やった♪」
一発で勝ち抜いて出したチョキと笑顔をそのまま席に座ってる隼人の方に向けてくれる。
「あれは吉野君を選ぶ気満々じゃん」
「……どうだろうか」
「むしろ、もう選んでいるとも言う」
「意味が違いませんか?」
教卓付近を見ていた首を回して桃香の席を間借りしている琴美と美春に苦笑いを見せたところで。
「綾瀬さん、もっちろん吉野君を引いちゃうんでしょ?」
「え? さすがにそれはわからないよ?」
「で、そのままゴールイン、と」
「ライスシャワー準備しちゃおっか」
さっきまで視線をやっていた辺りから女子の黄色い声が聞こえてきて頭を抱える。
「……それも違う」
「それがあたしたちのみならず概ねクラスの総意だよー」
「普段の自分たちの行動を省みなさい、ってことよ?」
ぐうの音も出ないな……と真正面を向くものの。
「由佳子ちゃん、がんばろうね」
「はい」
もう一人の借り物競争出場が決定した由佳子と軽くタッチしている様を横目で盗み見てしまう隼人だった。
「結構寒いから……窓は、閉めようか」
「うん」
夜。
随分と夜風の冷たい季節にはもうなっていたものの、入ってきた窓を閉めてしまう行為に長居することや物音と立てることへの抵抗を減らしてしまう気がしてそうせずにはいた……けれど、もう限界を感じていて。
そっと桃香の部屋の窓を閉じて桃香と二人きりの空間を普段以上に周囲から切り離す。
僅かな緊張感と共に心臓の音が大きくなった気がした。
「えっと……」
「こっちこっち」
基本的に腰かけていた窓枠も使えなくなることに今更気付いて迷いながらも桃香に目で伺うと、テーブル付近のクッション辺りに座った桃香に手招きされる。
「えへへ」
「どうした?」
「あったか、だから」
そして夜の肌寒さに比例してこの時間の桃香との距離も縮まっていた、普段以上に。
袖越しにくっついている箇所が体の中で一番間違いなく温まったくらいのタイミングで、桃香が口を開いた。
「みんなにも言われちゃったけど」
「ん?」
借り物競争、と桃香の言葉に頷く。
「やっぱり、はやくんを引いちゃいたいな」
「まあ、自分で走るから何か持つより楽かもな」
「……」
桃香の指が隼人の頬を軽く摘まむ。
「そうじゃないよ」
「ごめん」
照れ隠しがまだ残っていたのを認めて、謝る。
「二人で、一番……だよな」
「うん」
桃香が頷いたことがそれに伴って揺れた髪の感触でわかる。
それを感じながら、今より幼い桃香の、泣きべそ顔を思い出していた。
「今度こそ、ね」
「ああ」
特訓したものの、本番で桃香が転んでしまいビリになってしまった二人三脚の思い出。
でも、今にして思えば、一番になりたかった思いは勿論隼人も同じで、転んだのは桃香だったとはいえ……。
結果は、二人のものだから。
「今度は、桃香をちゃんとリードするよ」
「わたしも、出来るだけがんばるね」
桃香が人差し指を立ててもう一度呟いた。
「ふたりで、一番になろうね」