93.秋から冬へ
「桃香」
一先ず先に我に返った隼人が通路からは逸れるように桃香を誘導する。
エレベーター付近に設置された自販機スペースが手近で丁度良かった。
「えっと、えっと……」
「とりあえず……嬉しくないわけじゃないけど、離れようか」
「あ! うん」
嬉しかったし、名残惜しくない訳でもないが、桃香の感触が腕から離れるのを確認する。
その後で桃香が時々やる手を胸の前でわたわたさせる仕草を見せる、表情もそうだが非常にわかりやすい。
「今の、由佳子ちゃんだったよね」
「ああ、それは」
女の子は私服だと一瞬判らないけど……と夏休みのバイト時の友也や勝利の格好を思い出しながら言う。男子はそんなことは全くないな、と。
「わたしも、わからなかったりする?」
「桃香はわかるよ、俺は……見違えそうなくらい可愛かったりもするけど」
「えへへ……そう?」
「ああ」
桃香の返事や表情は好いものだったが……そうではない、と再度我に返る。
色んなものが緩んでいた、とも言える。
「……じゃないだろう」
「由佳子ちゃんだった!」
二人して上りエレベーターを見上げる、後ろ姿も当然なく、今から追いつけないのは明白だった。
戻ってくることはないだろうし、仮に友人に休日会ったとして……。
「声かけられる状況じゃなかったよな……」
「あ、あはは……」
割とためらいなくそういうことをする桃香も流石に今回は顔を赤くしていた。
「えっと……メッセージ、送っておくね」
「ああ」
二学期になって席が近くなったし、学園祭準備期間に結構仲良くなっていたものな……と思い出しながら桃香がバッグから出したスマホケースを見ていたが。
「……うーんと」
「?」
指が停止した桃香に、どうした? と尋ねるが。
「何って言えばいいのかな……」
「……」
困惑顔の桃香に、思わず癖で頭に手をやる。
さっきの今なので、無論自分の頭に。
「何って……」
言いながら整髪料の感覚に、普段と少し違う髪型をしていることを思い出し……ああ、これは完全に二人で出かけるのに決め込んでいる姿じゃないか、なんて考える。
間違いなくそのものだし、由佳子にもそう見えたであろう。
そんな状況で、隼人の腕に桃香が抱き着いている様を見られた訳で。
「何って言えばいいんだろうな……」
「ね」
でしょ? と柔らかめの困り顔をした桃香が見上げてくる。
「誤解……は違うよな」
「わたしがはやくんにくっついちゃいたくなったのは、本当なんだよ」
ほんのちょっとだけ、桃香の頬が膨らんだ。
「うれしかったから」
「……ああ、わかってる」
「うん」
それは間違いなく同じ気持ちだ、という意味を込めて頷き返す。
「ええと、そうじゃなくて……いや、その、桃香が喜んでくれたのがどうでもいいという意味じゃ全く無いけど」
「うん」
若干いつもより回ってないな、と自分で思う頭で考えていると。
「あ」
「ん?」
通知に画面に視線を下ろして桃香が呟いた。
「由佳子ちゃんから」
「……何って?」
何と言われたんだろうか……という疑問と、あと多分気を使わせているであろうと考えられるので申し訳ない気持ちと。
「『すぐ忘れます』だって」
「……見られてはいたんだな」
「それは、そうだよ」
だよな、と思いながら。
「気をつけないとな」
いくら桃香と過ごす時間に溶けていても総身全てそこに浸っているのはいけなかったな、と呟くと。
「あ」
「うん?」
「『以後気をつけます』って送っておくね」
「そうだな」
他に思い付かないのでそうとしか言えないか、と頷く。
「わたしたち、もうちょっと、気をつけないとね」
「……俺もか?」
「はやくんがうれしいからだよ」
「それはどうしようもないというか……何も言えなくなるだろ」
「そんなことは言ってないもん」
送信しながら呟く桃香と軽く言い合いながら……もしかしてこれが世間一般で言うところの痴話というやつか? とさっきまでのせいで少しは自分たちを客観しようと思っている意識で自覚する。
「……由佳子ちゃんだ」
「え?」
慌てて周囲を見回す、も。
「あ、メッセージがもう一回来た、ってこと」
「そうか」
何って? と表情で尋ねたが。
「えへ」
「?」
桃香はにこりと笑って。
「これは、女の子の話だから」
「そ、そうか」
「はやくんにはないしょ」
ね? と小首を傾げた桃香に「じゃあ、帰ろう?」と促されて下りのエスカレーターに引っ張られる。
一階に降りた後、縦から横に並び直して……それから。
「これは、いいよね」
「ああ」
もう自然な形で互いに手を伸ばした後、一応は確認して。
軽めに手を繋いで駅の方向を目指した。
「思ったより夕方だったね」
「そうだな」
明らかに外の明るさが落ち始め街並みは明度を失いつつあり、もう少しすれば茜色になるであろう空を見上げながら桃香が呟いた。
「もう結構日も短くなってきているしな」
「そうだね」
それとあと、と桃香が付け足す。
「外に出た瞬間、ちょっとだけ寒いかも……」
「ん」
「はやくんはそうでもない感じかな?」
「むしろ店内が気持ち暖かかったから、どちらかというと気持ちいい」
「そっか」
歩きながらもさり気無く触れ合わせる程度に繋いでいるお互いの指先の感触に遊びながら。
そんな中、ふと思い付く。
「ああ、そうか」
「はやくん?」
「いや、やっぱりコートは必要だったな、って」
「そうなの?」
同じ場所を行動していたのに、隼人のそれよりは気持ち冷たい指先に。
「桃香と冬も出かけるなら……暖かめにしておかないといけないな」
「……それって」
桃香と繋いでいた手を一旦解いて、隼人の手の中に包む形にして伝える。
「多少は、役に立つだろ」
「ううん、最高で最強だよ」
喜んでくれてるのが誰だって自信をもって断言できるくらいの表情。
「あ……」
「うん?」
「でも、気をつけないと……だったよね」
桃香が囁き声で聞いて来る。
「いいの? はやくん」
「桃香を大事にするのは当たり前に大事なことだからいいんだよ」
瞬き一つの後、くすぐったそうに笑う。
「そうなんだ」
「そうだよ」
「そうなんだ」
ありがとう、という声色に頬が熱くなるのを感じながら。
防寒着ではどうにもならない個所がこういう時にそうなるのはある意味理にかなっているなと仕様もないことを考える。
「それでさ……」
「うん」
「さっきはああも言ったけど、桃香が凍えないようにも気をつけるから……」
「? うん」
「寒い時期の寒い時間帯になるとは思うけど……また、出かけないか?」
空いている方の手の人差し指で駅前から続いている街路樹を指して……。
「その、少し調べたんだけど結構大掛かりにイルミネーションするらしいから、この通りと先にある公園」
少し、というには結構費やした時間を伏せて。
「うん、知ってたよ」
「……そっか」
まあ、多少遠いものの行動範囲内なのだから当たり前か、と思ったところで。
「知ってたけど、見るのは初めてになるね」
「……!」
「いつかはやくんと、って思ってたから」
イルミネーションに負けずに輝きつつ、より柔らかな灯りを思わせる表情で桃香が見上げてくれていた。
「じゃあ、また……お許しを貰いにいくから」
「はやくん、真面目」
「大事な事だろ?」
「うん、ありがと」
また手の繋ぎ方を変える。
今度は、小指同士での方法で。
「冬のおでかけ、約束ね」
「ああ」