92.それなりに、近場
「あとは」
隼人が持とうとした二人の服が入った袋を、このくらいは持つよと軽やかに三歩ほど先に行ってしまった桃香が振り返りながら。
「はやくんの、コートだね」
「桃香が他に買い物ないなら」
「わたしのは終わったから、そっち行こう」
「ん」
頷いた桃香が、エスカレーターに向かいつつフロアの店舗案内をチェックする。
「楽しそうだな」
「たのしいよ?」
「一応、俺の買い物だけど」
「でも、着ているはやくんをいちばん見ることになるのはわたしじゃないかな?」
「……」
「ね?」
確かにそうかもしれないけれど、そのつもりなのか……と黙らされてしまう隼人を他所にガイドを指差して。
「上の階だね」
「だな」
もう、素直に頷いて連れていかれるしかなかった。
「一応、学校にも着ていくんだよね?」
「使えるようなものにはするつもりだけど、基本要らないとは思ってる」
「え……」
桃香が信じられないものを見る目で隼人を見る。
「学校に辿り着く前に凍えちゃうよ」
「……そんなことはない」
そういう観点で見れば今日の桃香の服装は街行く人の中でも最も重厚、と言っても良かった、そのくらい寒がりだった。
そういえば、と冬の日に外で遊ぼうとしたら見事に着ぶくれして現れた姿を思い出す。
「なんだか笑ってる?」
「いや、別に?」
ついでに、それで笑ってしまってしばらく頬の方まで膨れさせたことも……過ちは繰り返してはいけない。
「じゃあ、指定でも大丈夫なデザインの中でそんなに重くならないのかな?」
「だな」
気を取り直した様子の桃香が丈の長い男性物にちょっと埋もれそうな感じで陳列の中に分け入って行った。
勿論、口に出すと怒られそうなので黙って付いて行く隼人だった。
「これか……これ?」
「そうだな」
幾つか、隼人が自分で選ぶ時より倍の候補を上げられてからの選択で二つにまで絞って。
「こっちの方が、収納が多くていいかもしれない」
「はやくんはそこで選ぶんだね」
ふむふむ、と頷いた桃香が。
「わたしもこっちかな」
「それはなんで?」
黒い生地を摘まんでいる桃香に流れで理由を尋ねることになる。
「こっちの方が、大きめで余裕あるから」
「まあ、長く着ることになるだろうしな」
なるほどな、と頷くと桃香が小さく笑って。
「はやくんまだまだ伸びるみたいだし、それもあるけど……」
「ん?」
「あとね」
背中を向けられて、そのままその向きで隼人に接触される……丈のある服の陳列の影を味方に付けて。
桃香に腕を内側から触られる。
「ちょっとだけ、お邪魔させてもらうこともあるかも……だから、かな」
「……その季節だと桃香は着膨れしてるから無理だろ」
目下にある桃香の旋毛を押してから離れる。
言葉も行為も照れ隠しなのは自覚があった。
「もー」
「それが用途じゃないだろ」
「でも、一回はやってみたいし」
「狭いだろ……」
呆れた声を装ってみるも。
「それがいいの」
「……」
「それが、いいの」
二回言われてしまい、黙るしかなかった。
「……とりあえず、これで良いかな?」
「羽織ってみたら?」
「そうだな」
一応念のため、とハンガーから外して身に付けてみた後、フロアにある鏡に映してみる。
「うん、いいと思うな」
「じゃあ、これにするか」
鏡の中で桃香と目があって、笑顔で頷かれる。
ならば、と脱いだコートを。
「えへへ」
桃香が両手を出して待ち構えている。
「……自分で持っていくけど」
「はやくんは荷物おねがい」
「……」
「ね?」
確かに持つと言い出したのは自分だった……と思いながらも大人しくベンチに置いていた紙袋を持つ隼人の隣で、桃香がコートをまだ商品だからということ以上に丁寧に畳むのだった。
「あー、たのしかった」
「結構付き合わせたけど……」
一着に掛けた時間で言えば桃香だけれど品数で隼人もそれなりに時間を費やした形になっていた。
「疲れてないか?」
「ううん」
微塵も感じさせない様子で桃香が首を横に……これは出るとしたら帰った後か、なんて思っていると。
「そういえば、マフラーとか手袋とかはいいの?」
「手袋は一昨年買ったのが一応まだ使えるし、マフラーは襟で充分だよ」
「そう?」
あった方があったかいけど……と呟いた桃香にとっては必須アイテムらしかった。
「まあ、それはおいおいかな。寒さの具合にもよるし」
何せまだこちらに戻ってから冬は体験していないから、と口にすると。
「そっか」
「うん?」
素に戻った表情に目線でどうした? と尋ねれば。
「はやくんが帰って来てから……半年なんだね」
「ああ、そうなるな」
正確にはプラス半月、といったところだけれど細かすぎるので思うだけに留める。
そんな間にも桃香はずっと何かを考えるように隼人を見ていた。
「どうした?」
「うん……どっちかな、って思って」
「どっち?」
あまりの脈絡のなさに服はもう選んだぞ、などとそれは違うだろうと自分でも思う答えしか出なくて困惑している所に。
「『もう』かな? 『まだ』かな? って」
桃香の瞳がじっと見つめてくる。
「はやくんとまた一緒にすごせるようになって」
「ん……」
「あっという間だった気もするし……でも、たくさん色んなことをした気もするし、ずっとこうだった気もするし」
不思議だね、とはにかむ桃香に隼人もどちらだろう……なんて考える。
大人びているようで、でも何処か子供みたいに無邪気な、そんな桃香の表情に。
「特別、ってことじゃないか」
そんなことを考えていると、そんな言葉がぽろりと口から零れていた。
「とくべつ」
「……でいいんじゃないかな」
「はやくんも、そう思ってくれたの?」
「ああ」
「そっかぁ」
それで合っている気がしたし、桃香の表情もそうだと言ってくれていた。
そして桃香は表情だけでなくて。
「えへへ……」
器用に紙袋を除けて隼人の腕を抱き締めていた。
「こら……」
場所が悪い、それだけを隼人は窘めるけれど。
「荷物なしなら、もっとぎゅっとしたいんだよ?」
「……全く」
「えへ」
桃香がもう一度隼人の腕を抱き締め直して、笑う。
「うれしいな」
それこそこのまま見ていたら、思わず抱き締めてしまいたくなりそうな桃香から懸命に目を逸らして……ふと視界に入ったエスカレーターに、そこまで行けばさすがに「お互い」離れざるを得ないだろう、と考えた時だった。
「あ」
「……!」
偶然、上りの方に乗っていた女性と目が合った気がして……もう一度しっかりと見れば。
「……」
「はやくん、どうした……の!?」
突然止まった隼人に不審そうに同じ方を向いた桃香も声が裏返る。
「由佳子ちゃん!?」
私服のため一瞬自信が持てなかった隼人だったが桃香もなら間違いないか……と確信した瞬間、間違いなくまずいと思い至る。
思い切り、知らない人しかいない場所でしかしないくらいのことをしていたのを見られた、と。
気がするではないのは桃香の声の後、一瞬だけ曖昧な会釈の後、耳を赤くして目を逸らされた様からもはっきりしている。
桃香も同じことを思ったのか呆然としたまま二人で彼女が上の階に消えていくのを見送るしかなかった。