両親に売られた少女は魔女に買われて一番弟子になりました。引き継いだ知識チートで王国相手に無双します。
「この子を買ってくれませんか?」
それは私の最も古い記憶だった。
母親の言葉。
久しぶりに外へ出して貰えたと思えば、母は通行人にそう聞いて回った。
奴隷市場ならいざ知らず、街中で見知らぬ人にそんなことを言われても、買う人なんているはずがない。
だが母はそんなことも理解してくれない。
「もっと笑いなさい。貴方が不愛想だから誰も買ってくれないのよ」
母はそういうと私の頬を叩いた。不愛想な顔がもっと悪くなる。
痛みよりもなおのこと買い手が付かなくなることの方が心配だった。
「その子がどうされたのですか?」
もう一発頬を打たれる寸前で誰かが声を掛けた。
声の方向を見ると立っていたのは笑顔の老婆だった。
作り笑いが皺となり、面のように張り付いていた。
「この子を買いませんか?」
母は乱暴に私を老婆の方に押し出した。
老婆は私の姿を下から上へ見定めるよう首を動かし、最後はその真っ黒な瞳を私の瞳に覗きこませた。
「貴方はどうしたい?」
「…」
「買ってくれますか!!」
母は嬉しそうに声を上ずらせた。
そして次々に私の価値を提示した。
1か月の家賃、2週間分の食費、本1冊。
それが私の価値だった。
「貴方はどうしたいのかしら?」
「…」
老婆は母の言葉を無視し再度私に尋ねた。
私に決定権などあるのだろうか。
母の視線が痛い。私を睨み、はいと言えと圧力をかける。
老婆の皺が少し動いた。
生まれて初めて向けられたその表情に、私の口は自然と動いた。
「…私を買ってください―――」
私は生まれて初めて自分の意思で選んだ。
自らの価値と両親の元を離れる選択を。
この日、私は魔女に買われた。
それから十数年の歳月が経った。
私と老婆は二人だけで暮らし、そして少し前に老婆はこの世を去った。
街はずれの田舎から、更にはずれた山の中。
私たちはひっそりと人目を避けるように暮らしていた。
老婆との暮らしは意外なほど充実していた。
知らないことを教えて貰い、一人で生きる知恵を授かった。
ただ一つ不満があるとすれば話し相手が居ないことだった。
ここで暮らし始めてから老婆以外の人間とは数える程しか話したことがない。
1度目は老婆を尋ねてきた初老の男性。2度目はこの山に迷い込んだ子供。
そのどちらも私は老婆の後ろに隠れ、曖昧に頷いただけだった。
改めて考えると老婆以外の人間とは一度たりとも話したことはなかった。
それが今や老婆とも話すことは出来ない。
「今日もいい天気ね」
私は発声練習のように声に出す。
自身の口から出た言葉は確かに意味を持っていることに安心する。
いや実際には動物の鳴き声のように意味など―――
「誰か、居ませんか!!」
「!?」
扉の外から声がした。若い男性の声。
もう何年も聞いていない異性の声だ。
声色は掠れており、困っていることが伝わってきた。
こんな山奥に来る人間なんて限られる。きっと迷い込んだのだろう。
「どうしよう…」
思わず声が漏れる。
助けないと、という気持ちがあると同時に老婆以外の人間。
未知の生物に遭遇するような恐怖心。
私は恐怖に立ち尽くしてしまう。
それでも助けないという選択はなかった。
それは老婆の遺言でもあった。
『この小屋に訪れた人は必ず助けなさい。
それが貴方の幸せに繋がるから』
普段から意味深なことを言う人だったが、最後の最後ぐらい理由を教えて欲しかった。
だが老婆の言葉は不思議と説得力があった。
ツバを飲み込む。恐怖心ごとお腹の中に押し込んだ。
そして私は扉に手を掛けた。
「よっ、よかった…」
青年は私の顔を見て安堵の息を漏らしていた。
生地の良さそうな服はボロボロになっており、整った顔にも切り傷が所々に付けられていた。
それでも透き通った青色の瞳には何者にも屈しない強い意志が感じられた。
「カッコいい人ですね」
「えっ?」
「あっ、いえ。すみません」
思わず声に出てしまう。
普段から独り言の多い生活を送っていた為からだ。
発声練習と称して考えを口にしてしまっていたことを後悔した。
「ありがとう。ただ今の姿を褒めるなんて君は中々に変わりものだね。
もしかしてこういう野性的な見た目が好みなのかな?」
「そういう訳ではないのですが」
彼は気を遣って話を広げてくれたのだろうけど、瞳が綺麗だったなんて恥ずかしくて言う事は出来ない。
「それで…えっと、どうされたのですか?」
「あぁ、すまない。聞きたいことがあって尋ねてきたのだが…」
男は先ほどまでの快活な様子から一転、歯切れ悪く言った。
そして恥ずかしそうにお腹をさすりながら、子犬のような笑顔をこちらに向ける。
「ひとまず何か食べられるものを頂けないだろうか?」
「旨い。なるほど。こういう食べ物があるのか。
こっちも。うん、旨い。なるほどなぁ」
男は私の差し出した料理を少々オーバーなリアクションを交えつつ平らげた。
「すみません、こんなものしか出せなくて」
余っていた食材を急いで調理したものだった。
普段ならこの時間には食材を採りにいくものの、タイミングを逃してしまっていた為、鮮度の落ちた素材しかなかったことが申し訳なく思えた。
「初めて人が来た時はもっと豪華な料理にしたかったのに…」
「そんなことはないさ。初めて食べる食材に料理の数々。
王国お抱えの料理人ですらこれ程素晴らしい料理を出す者は稀だ」
「そんな大袈裟な」
あからさまなお世辞に申し訳なさを覚えた。
それか余程お腹が減っており、土でも美味しいと感じてしまっているか。
「ここは貴方一人で暮らされているのですか?」
男は手を止め尋ねた
「はい、今は一人です。
少し前に一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなりました」
「っ!!」
男は手に持っていた食器をテーブルに置き、完全に食事を辞めた。
そして少し考えた様子を見せると口を開く。
「君のおばあちゃんとは…魔女のことか?」
「魔女…?」
聞きなれない単語に思わずピクリと反応してしまう。
私の様子に気づいたのか、男は慌てて弁明した。
「気を悪くしたのなら申し訳ない。
なにぶん私はその方の本名を知らないのだ。
伝聞でこの付近に魔女がいる、そう聞いて私はここに来た。
ただ魔女という呼び方は良くなかった。申し訳ない」
男はひとしきり話すと深く頭を下げ謝罪した。
誠実な人で本当に悪気がなかったことがよくわかった。
「いえ、まさか魔女と呼ばれているとは知らなかったもので。
私こそすみませんでした」
私もお返しのように頭を下げる。
二人とも無言で頭を下げたまま数秒。
気まずい空気になってしまったので、私は彼の言葉に触れた。
「そのおばあちゃんを…。
魔女がここにいると知って、貴方はどうしてここへ?」
てっきり迷い込んだものかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「あぁ、それについても話させて貰いたい。
だがその前に―――」
男は手を自身の前で合わせた。
「美味しい食事だった。まずはこのご恩に感謝する」
男は姿勢を正し、再度深く頭を下げた。
「本来ならば恩を受けたならば、何より先に返すべきなのだが…。
再三の非礼を詫びさせて欲しい。
その上でどうか私のお願いを聞いて頂けないだろうか」
男はずっと決めていただろう言葉を確かめるように口に出す。
「我が国を救ってほしい」
「すみません、こんな雑用を手伝わせてしまって」
「いや、全然問題ない。むしろあれほどの食事を頂いたのだ。
頂いた分の材料を手に入れることは当然として、恩義に報いたいと思う」
私と男は家を出て山で山菜を取ってきた。
そして今度は薪割りをお願いした。
その手つきは慣れていないものの、しかし数度やる頃にはコツをつかんだのか軽快な音を立てながら割り続けていた。
その音を背中で聞きながら私は畑で作った野菜を収穫する。
「しかし凄いな。本当に凄い。
魔女…、君のおばあさまは素晴らしい人だ」
男は足を止めるとしみじみとそう呟いた。
「道具の一つ一つが、女性一人でも生活できるように作られている。
こんな道具は王国ですら見たことない」
「そうなのですか?」
私の反応に男は「あぁ」と答え、確かめるように【ペダル】を踏み込んだ。
「本当ならば重たい斧を何度も振り降ろさないといけない。
女性は勿論、男性でも体力の居る作業だ」
そういうと男は割った薪を集めた。
その体には汗一つ流していない。
「この道具を使えば女性でも簡単に薪を割ることが出来る。
何より効率的だ。こんな技術は我が国には無い」
そう言われても私にはイマイチ実感が湧かなかった。歯車とバネを用いた簡単な道具だ。
老婆特製ではあるものの、私が何度も修理している。
こんな山奥でも作れるものが、街で作れないとは到底思えない。
信じていない私の反応に困っていたのか、男は他にも指をさした。
「傷口に塗り込んだこの薬。はじめこそ染みたものの、すぐに痛みが引いた。
何より傷口が塞がり、血が垂れない」
「この植物から取れたぬめりを乾燥しないように張り付けただけですよ」
「まずこの植物が見たことないのだが」
てっきりそこらに自生している植物なのだと思ったのだけど、どうやら街には無いらしい。文化の違いを感じた。
「そして頂いた料理に入っていた果実は?」
「あれも無いんですか?
街の人は一体何を食べているのですか?」
「いやある。あるがあれほど芳醇な甘みがある食べ物ではない。
街では少し前まで毒のある食べ物だと思われていたし、毒が無いとわかった今でも積極的に食べられている果実ではない。
あの独特の苦みとエグ味は好みが分かれる味だからだ」
かく言う私も、と男は続けようとしたものの、会話が脱線すると思ったのか話を戻した。
「これが魔女の魔法なのか?」
「魔法…?」
本で読んだことがあった。なんか空を飛んだり火を出したり。
勿論そんなものではない。ただ老婆が作ったものを引き継いだだけだ。
「私はおばあちゃんが教えてくれたことをやっているだけですよ」
ここに暮らし始めてから老婆に様々なことを教えてもらった。
道具の作り方、植物の育て方、野獣の捕まえ方。
果実の品種改良のやり方に、難しいこの世界の法則。
あとは星の綺麗な見方に、飼い猫の機嫌を治す方法、幸運のクローバーの見つけ方。
私の興味があったことは何でも教えてくれた。
「なるほど、誤解を恐れず言うならば…」
男は引きつった笑みを浮かべながら私の方を見た。
「君は魔女の弟子であり、後継者なんだな」
「後継者ですか…」
老婆に直接そのように言われたことはなかった。
自分の知識を残したいだとか、名を継いで欲しいだとか。
ただ老婆が言っていたのはいつだって、幸せになって欲しいと。
その手助けになる知恵を、便利な知識を教えてくれた。ただそれだけ
だけど―――
「すまない。魔女と言われるのは嫌だったはずなのに。
その後継者なんて言い方をしてしまって―――」
男はまた頭を下げ掛けた。
ただ今は謝罪を受けたくはなかった。
「いえ、私こそ魔女です」
「!?」
売られた私を育ててくれたのは老婆だった。
この世界でただ一人私に優しくしてくれたのは彼女だった。
何より私は、彼女の名前を引き継ぎたいと思った。
「私は先代の魔女メルム・ソフィーティアの一番弟子にして、
当代の魔女アトリ・ソフィーティアです」
私は胸に手を当て男に宣誓した。
亡き先代の、魔女の名を継承したことを告げるように。
男は私の行動を見て目の前に膝をつき直った。
「私はゲムル王国、第二王子ライル=アルマーニ。
アトリ・ソフィーティア殿に我が国を救う為、その知識をお借りしたく参りました。
共にゲルム王国へ来ていただけないでしょうか?」
本当は先代魔女に頼もうとしていたのだろう。
ならば今は私が引き受けるべき依頼だ。
「わかりました。
ソフィーティアの名において、私が受け継いだ知識をお貸しいたします」
こうして私とライル様との王国再建物語が始まった。
「ライル様、心配しておりました。
さぁ、陛下がお待ちです」
家臣と思わしき初老の男性に案内された先には、ライル様を少し老けさせた男性が鎮座していた。
私とライル様は共にゲルム王国へ来て、国王陛下に謁見することとなった。
どうやら先代の魔女メルムの力を借りしたいと提案したのは、他でもない陛下だったらしい。
周囲には同じく家臣らしい身なりの者たちが並んだ。
案内してくれた初老の男性も同じく列に並ぶ。
「よくぞ無事に帰ってきたな、ライル」
「はっ、陛下。無事当代の魔女アトリ・ソフィーティア殿に助力頂くことが出来ました」
ライル様は片膝をつき頭を下げた。
私も習うように膝をついて見せる。
「わっ、私が先代魔女メルム・ソフィーティアの弟子であり、当代の魔女アトリです」
緊張しながらもとりあえず名乗ってみせた。
失礼がないか心配だったものの特に怒られることはなかった。
「わざわざ来ていただき感謝しますぞ、アトリ殿。
話はライルから聞いておりますか?」
「はい、農作物の不良により困っているとお聞きしております」
王国に来る道中でライル様から説明があった。
王国主導で育てている小麦がここ数年不作に見舞われていること。
その所為で物価は上がり、民は満足に食事をとることができないこと。
「魔女の魔法でどうか、助けてくれはしないか?」
「魔法ですか…」
魔女を名乗っているものの魔法など使えるはずもない。
あるのはメルム様から受け継いだ知識だけだ。
否定しようとも考えたが、この場で口を出すことは気が引けた。
後でライル様に伝えて貰おう。
「どこまでお力になれるかはわかりませんが、原因の調査を手伝わせてください」
私は深く頭を下げた。
視線を地面に落とす寸前、大臣たちの視線が目に入った。
歓迎されていない、邪魔をするなという視線。
悪態こそ陛下の手前付けないものの敵対していた。
どうやらこの問題は根深そうだ。
街はずれの農村に訪れた。
そこは街で消費される小麦の80%が生産されるはずの村だった。
だが村民は痩せこけ疲れ果てていた。
畑を見れば本来この時期には黄金に輝く小麦畑が広がっているのにも関わらず、葉は未だ青く、背丈も異様に低い。
原因は一目でわかった。
「病気にやられていますね」
「病気?」
「はい。小麦などが掛かる病気があります。
その病気がこの村の小麦全体に流行っているのだと思います」
どの畑も症状の差こそあれ、不調に見舞われていた。
道中で干ばつや異常な猛暑に見舞われていないと聞いたので、天候が影響したとは考えづらかった。
「流石当代の魔女アトリ殿だ。一瞬でわかるなんて」
「…ありがとうございます」
ライル様の言葉は嬉しく思うと同時に違和感があった。
王子であるライル様が小麦の病気のことを知らないのは仕方ないのかもしれない。
だがこんな初歩的な病気を農村の民や王国の大臣が知らないはずがなかった。
いくら魔女から受け継いだ知識とは言え、病気のことは本にも普通に載っている。
「早速、農業大臣にこのことを」
「待ってください。もう少し村の人と話がしたいです」
私の様子に何か思う事があったのか、ライル様は「いくら時間が掛かってもいい。気になることを全て調べて欲しい」と、頭を下げた。
「なるほど。つまり3年前から小麦しか育てなくなったわけですね」
村長の家へ訪れると、今回の不作について色々なことを質問した。
そして小麦の病気が流行っている原因もわかった。
連作障害。同じ作物を連続で育てることで、土の中の栄養が偏ることが起こる症状であり、それにより様々な病気になりやすくなる。
今小麦に病気が流行っているのも、それが原因なのだろう。
「では今後は小麦の収穫が終わった後は大豆を育てましょう。
作り方はご存知ですか?」
「はい、3年前までは大豆を作っていましたので」
「…そうですか」
問題は意外な程にあっさり解決してしまった。
連作障害は同じ作物を連続して栽培するのが原因だ。
だが別の作物を同じ畑で育てるだけでかなり軽減することが出来る。
厳密には植えるべき作物にも種類があるが、小麦ならば大豆を植えれば問題はない。
…だからこそおかしいのだ。
「どうして3年前から辞められたのですか?」
連作障害も珍しい病気ではない。
むしろ農業やっている人間ならば一番はじめに気を付けるべき問題だ。
現に3年前までは大豆を育てることで対策していたのだから。
だからこそ問題は別にある。
一体何があって大豆を育てることを辞めたのか。
「…」
村長は黙っていた。
「ライル様。ちょっと村民にクワを借りてきてもらってもいいですか?
村人全員分のクワを、ゆっくりでいいので」
「ん?わかった」
ライル様は疑問に思いながらも席を外してくれた。
足音が遠ざかっていくことを確認すると、私は口を開いた。
「私のことは信用してくれますか?」
「…」
「私はメルム・ソフィーティアの弟子です」
「メルムさんの!?」
賭けではあったものの、どうやら当たっていたらしい。
この男性には見覚えがあった。
以前山奥の家にメルム様を尋ねてきた人間の一人だ。
村長は眼をパチクリさせながら、どうやら面影があったらしく納得してくれた。
「あぁ、あの時メルムさんの後ろに隠れていた」
「その説はどうも…」
恥ずかしい気持ちはあったものの、どうやら信用はしてくれたようだ。
「ライル様のことも信用しても良いと思いますが、まぁ難しいですよね」
だからこそ席を外して貰ったわけであり、同時にこんなことになった原因も予想が付く。
王国関係なのだろう。
だから第二王子であるライル様には聞かせることが出来ない。
敵か味方かわからないのだから。
「私のことは信用して貰えますか?」
「勿論ですとも。メルムさんのお弟子さんならば当然。
なによりもう貴方に頼るしか方法もないでしょうし…」
このままいけば間違いなくこの村は滅びるだろう。
今年はまだギリギリ小麦が取れる状態であるものの、もう数年もすれば土壌成分は完全に偏り、最終的には小麦以外も育てることのできない不毛の地へとなりかねない。
「安心してください。私は先代魔女メルム一番弟子。
魔女の名において必ず解決して見せます」
「大きくでましたね。
けれどメルムさんのお弟子でしたら安心です」
村長はそう言うとさっきまでの優しい笑みを浮かべた顔から、すっと笑みが消えた。
「実は…」
「アトリ殿!!クワを集めてきました」
「間が悪いです。もう一度出て行ってください」
なんて間が悪いのだろうか。ていうか速いな。
「いや、大丈夫です。
アトリ様も信用されているのでしょう」
思わず追い出し掛けたライル様をどうにか捕まえた。
「まずライル第二王子殿。
この度は貴方様を疑ってしまい、申し訳ございませんでした」
そういうと村長は深く頭を下げる。
「えっ、いや。私は大丈夫だ。顔を上げてくれ」
ライルは状況を呑み込めていないようでこちらに顔を向けた。
説明するのも面倒なのであえて話を進めることにした。
「この度の不作の原因、連作障害について貴方がたもご存じですよね?」
「はい。勿論でございます」
「大臣たちの仕業ですか?」
「…はい」
「…」
ライル様は事態を把握したのか苦虫を噛み潰したように厳しい顔をした。
「農業大臣の命により、我が村では大豆の栽培を禁止されております」
「なんでまた」
「表向きは小麦の生産量の向上のためとなっています。
主食である小麦に栽培を絞ることで、栽培面積を拡大し、生産量を増やす狙いがあるそうです」
村長の言葉にライル様は何かを思い出したように肯定した。
「そういえば以前、そのような話を陛下としていたな。
まさか生産量を上げようとした政策が裏目にでるとは」
だが農業の知識が無いライル様には、いや陛下も真の狙いに気づけていない。
「むしろ逆です。農業大臣は初めから小麦の収量を低下させることが狙いだったのでしょう。不作が原因に思わせて。」
「なに!?」
専門でないライル様や陛下ならいざ知らず、農業の大臣が連作障害のことを知らないはずがない。
ならば狙いが別にあると考えるのが普通だろう。
「左様でございます。
大臣に進言した者は反逆罪として捕まえられております」
「表向きは国策に逆らう反逆者ですか。
何も知らない者からすればそのように映るのでしょう」
農民が大臣に進言することはまずあり得ない。
国家運営を担う立場であり、本来ならば知識も大臣の方があるはずだから。
何より連作障害を知らない人間から見れば合理的な政策に思える。
現に陛下とライル様は賛同したのだろう。
「それで大臣の方の狙いは?」
「わかりません。ですが数年前から新たな畑の開墾を始めたと聞いております」
私はライル様の方を見た。
「あぁ、私も聞いている。こことは別に新しい農作地区を作る計画だ。
その計画も大臣主導で行っている」
「偶然この村で小麦の生産量が減り、たまたま大臣の地区では豊作。
物価の上がったところに大量の小麦を売れて潤い、陛下への信頼も獲得。
そんなところでしょうか?」
ホント上手いことやっている。
ここまでわかっていても、私と村長さんだけではどうしようもなかっただろう。
だからこそ、ライル様が居てよかった。
「ライル様。陛下に大豆栽培の禁止令を解いて頂けるでしょうか?」
「もちろんだ。原因がわかって根拠もある。
撤廃することは容易だろう」
第二王子という立場の人間が居て良かったと心の底から思う。
でなければ魔女と村民の言葉なんて聞いてくれなかっただろう。
これにて一見落着。
そう思い村を出ようとした時だった。
王国の方から行列が出来ている。
雑草を踏みつけながら真っすぐにこちらの方に近づいてくる。
嫌な予感がする。だけど回避する方法がない。
「魔女アトリ・ソフィーティア。
お前を国家反逆罪で拘束する」
大臣が不敵な笑みを浮かべた。
拘束された私は陛下の前へと転がされた。
「陛下、この魔女こそが小麦不作の原因であり、呪いを掛けた張本人でございます」
家臣らしき男性は膝をつき陛下に進言する。
なるほど、そういうシナリオか。
全ての罪を私に擦り付ける。
もしかすれば初めからこのつもりで私を呼んだのかもしれない。
「本当に貴殿は悪しき魔女なのか?」
陛下は悲しそうな顔をこちらに向けた。
演技なのかそれとも本当にわからないのか。
陛下にはことの真偽がわからない。
どちらが本当のことを言っているのか確かめようがないのだ。
そうなると残るは互いの信用のみ。
長年連れ添った家臣と山奥の魔女。
どちらを信用するかと言われれば火を見るよりも明らかだ。
「待ってくれ親父。彼女は!!」
同じく拘束され陛下の前に連れ出されたライル様。
いつもとは違い声を荒らげ弁明をしようとした。
「陛下、ライル様は魔女に操られております。
忌々しい魔女め!!」
大臣の杖が私の頭を小突いた。
「いっ」
「おい!!」
ライル様から怒号が飛んだ。だがそれこそが大臣の狙いなのだろう。
普段の快活な息子が豹変する。それこそが魔女が呪いを掛けた証拠なのだと。
「何か弁明はありますか?アトリ・ソフィーティア殿」
弁明したいことはいくらでもある。
だがこの場を切り抜けられる証拠が何もない。
ならば―――
「はい、私が魔女です。
ライル様を操ったのも、村の小麦を不作にしたのも私がやりました」
『なっ!!』
その場にいた誰もが目を見開いた。
それは私を罠にハメた大臣すらも。
まさか自白するとは思っていなかったのだろう。
「そうですか。残念だ」
陛下は私が魔女と確信したのか。深く息を吐きだした。
そして決心したように厳格な声色で言い放つ。
「この罪人を牢へ連れて行きなさい」
乱暴に押し込まれた牢屋は今の時期でも肌寒むかった。
「あのまま家に籠っていればよかったのかな」
勇気を出して家から出た結果がこうして罪人に仕立て上げられ牢に入れられる。
それならばライル様の申し出を断り、ずっと籠っていた方が良かったのではないか。
でなければ周りに迷惑を掛けずに済んだのだから。
「皆さまが、どうかご無事なら…」
心配だったのはライル様と村長、そしてこの国の民たちだった。
もし魔女に加担したことを罪に問われれば。
もし魔女の呪いが解けないと言われれば。
きっと彼らは殺されてしまう。
ならば死ぬのは私一人で十分だ。
悪しき魔女が処刑され、今まで通りの日常が戻る。
この国に関してはきっとライル様がどうにかしてくれるだろう。
だからこそ私がライル様の足を引っ張ってはならない。
全ての罪を被り、私は死ぬべきなのだ。
悪しき魔女が死に、王子がこの国を変える英雄譚の為には。
「遅れて済まないアトリ…。助けに来たよ」
「!?」
ライル様は初めて会った時と同じように、傷だらけでボロボロの服で現れた。
ここに来るまでに何があったのか想像に難くない。
ライル様は奪い取っただろう鍵で牢を開ける。
「さぁ、逃げよう」
「駄目です!!」
彼の提案を私は強く拒絶した。
「私は貴方に呪いを掛けました。私が死ねば呪いは解けます。
今ならまだやり直せます。だから―――」
仮に逃げられたとしても何も解決しない。
今度は私とライル様が追われてしまう。
彼が追われればこの国はどうなる。
悪しき大臣に乗っ取られ民はより苦しむ。だから―――
「あぁ、俺は呪いを掛けられているさ」
ライル様は強い語気で言った。
怒っている、そう思い胸が痛む。
「初めて遭った時に呪いを掛けられた。
だけど君は優しい魔女なのだろ?」
そうこのまま処刑される上で一番嫌なことはそれだった。
悪しき魔女として殺される。それは私だけでなく、おばあちゃんの名を汚すこととなる。
「だから俺を操ってくれ。どうすればこの国を良くすることが出来る。
君の魔法(知識)で俺たちを救ってくれ」
勝手なものいいだ。
魔女が何でもできると思い込んでいる。
この世界に魔法なんて無い。
あるのは知識と経験。だから出来ないことは出来ない。
だけど―――
「わかりました。
ソフィーティアの名において、必ず救って見せます」
私は改めて宣言した。
奇跡を起こすのはいつだって魔女の役目だから。
脱獄してから1年ほど経過した。
あの後私は表舞台に上がることはなく、見知らぬ地に隠れ住んでいた。
あれからライル様には会っていない。
脱獄を手助けしてくれたライル様に一言魔法を掛けただけだった。
その魔法が上手く機能してくれればいい。だけどもし失敗すれば―――
「お待たせ、アトリ殿」
「ライル様!!」
少しだけ大人びた彼は私の前に現れた。
清々しい表情を浮かべ。その様子を見て全てを悟った。
「全て上手くいったのですね」
私は深く、深く安堵の息を漏らした。
成功するかは大な賭けだった。
何より脱獄の手助けをしたライル様が殺されていた可能性だって十分にあった。
「無事大臣は捕まり、君の無実が晴らされた。
まぁ捕まらなかったとしても、今頃多額の借金で回らなかっただろうが」
「今年は小麦が安定生産されたのですね」
どうやら私の魔法が上手く機能してくれたようだ。
「しかし驚いたよ。
まさかあんな雑草を植えるだけで解決するなんて」
ライル様は未だ納得していないように指をアゴに当てた。
ライル様と別れる前にお願いしたことは、小麦畑にクローバーを植えることだった。
出来る限り自然に、雑草として生えてきたかのように。
「クローバーには大豆と同じ効果があります。
土壌中の特定の栄養を吸い取り、そして別の栄養を増やす効果が」
連作障害による成分の偏りを治す効果があった。
この知識はあまり世間には出回っていないようだった。
農業をやる人間でも理由がなければ大豆を栽培した方が都合は良いはずだから。
だからこそ農業大臣も気づかなかった。いや知っていても警戒をしなかったのだろう。
村の監視をしていた手下には大豆の栽培を始めたら報告するように伝えていただろう。
だが実際に育てていたのが雑草ならばどうだろうか?
偶々畑に生えていた雑草を疑問に思うことはないだろう。
大臣が直接見ていたら疑問に思ったかもしれない。
クローバーのことを調べ、私の作戦に気づいたかもしれない。
だからこそ賭けだった。
大臣が村を見に来るか否かの。そして賭けに勝つことが出来た。
「実際に小麦の収量が増え、アトリ殿の言葉が間違っていなかったことが証明された。
それと同時に大臣の信用は失墜し、大豆禁止令が国家転覆を目的としたものだと判断された」
大臣は今頃牢屋に入れられていることだろう。
全てが解決できた。いや―――
「とりあえずこれで一段落だ」
そう、まだ問題が一つ片付いたに過ぎない。
王国の食糧問題は解決した。
だが王国にはまだまだ問題が山積みだった。
きっと農業大臣も尻尾切りをされたに違いない。
この国はまだまだ闇が残っている。
「そこでだ。アトリ殿に二つほど提案があるのだが」
「?」
ライル様は片膝をつき、頭を下げる。
「君には悪しき大臣に代わって我が国の農業の復興に携わって欲しい。
この提案は既に陛下にも了承を受けている。
二人で引き続きこの国を救ってはくれないだろうか?」
きっとおばあちゃんが残した魔法(知識)は、国の発展とライル様の手助けになるだろう。
これ程嬉しいことは他にない。
「はい、是非私に手伝わせてください」
ソフィーティアの名をいい意味でこの国に広める。
おばあちゃんが私に残してくれたものを大事にしたかった。
「それともう一つが…」
ライル様はいつになく歯切れが悪く、目線を合わせてくれない。
だけど意を決したように口を開く。
「初めて会った時に一目ぼれしていたんだ。
十三年前、あの山の中で会った時から―――」
「…」
おばあちゃんとの暮らしていた時に、出会った人間は二人いた。
おばあちゃんに助力を求めた村の村長さん。
そして山へ迷い込んだ少年。
「あれライル様だったのですか?」
「やはり気づいていなかったのか」
ライル様は少し残念そうに息を吐いた。
そうは言われても、こちらはおばあちゃんの後ろに隠れるのに必死であまり目を合わせられてもいない。
「では改めて。
初めて会ったときから好きだった。
そして再会し、君と過ごしたことでより好きになった。
どうか俺と結婚してくれないか?」
ライル様は私の手の甲に口づけをした。
「はい、喜んで」
最後まで読んで頂きありがとうございました。
これからもバディ小説を書いていこうと思いますので応援していただけたら幸いです!!