第56話「月下、少女は笑う」
[SIDE:ロゼ]
目の前の光景に、言葉が出なかった。それは少しも想像していなかったことで、僕の考える彼女の姿とはかけ離れた事実だったからだ。
「・・・影宮さんが、奴隷?」
その衝撃の事実に愕然として、僕はただただその場に立ち尽くすしかなかった。彼女の背にあった模様は僕を閉じ込めていた檻にあったものと同じだったから、奴隷の刻印というのも頷けた。
彼女は服を着直すと、再び僕の方を見て座った。僕もゆっくりと座るが、頭は混乱したままだった。どうして彼女が奴隷に・・・
「私がこの世界に召喚された場所は、人族領の街中だったの」
「っ!?」
ヴィリアナは言っていた。人間を召喚するための魔法の場合、人間以外に変質してしまった者は弾かれ、通常とは違う場所に召喚されるかもしれない、と。
僕は運良く誰もいない森の中だった。でも、彼女は・・・
「目が覚めてすぐに人間に捕まって、何が起きたのかも分からないまま、私は奴隷にされた」
「そんな・・・」
「それからは、最悪の毎日だった」
彼女は淡々と話す。それでも、月光に照らされる彼女の顔は、暗く沈んでいるように見えた。
「全身拘束されて狭い檻に入れられて、ゴミのようなご飯を犬みたいに食べさせられた。何人もの人間たちに商品として見られ、少しでも口を開けば隷属魔法で激痛を与えられた。そのせいで私は、もう自分を人間だとは思えなかったし、人間を自分と同じ種族だとは思えなくなった」
「・・・え?」
彼女の言葉を聞いて、言葉を失う。
・・・僕は勘違いをしていた。僕は、彼女は自分の意思で自分を受け入れて、自分を人間だと思わなくなったのだと思っていた。
でも、実際は違っていた。思わなくなったのではなく、彼女は思えなくなってしまったんだ。
「人間に買われた後も、町を歩けば化け物と罵られ、石を投げられ、暴力を受けた。屋敷で主人に使える間は、毎日のように拷問を受けた」
「ご、拷問?」
「私の主人だったリボルトっていう男は、拷問が趣味だったの。身体の一部を折ったり潰したり切断したり・・・回復薬を使うことで、それらを何度も繰り返された。まるで、この世全ての苦痛は味わったかのように思えたよ」
「っ・・・」
そんな恐ろしい拷問が、趣味?
奴隷というのは、それほどまでに恐ろしいものなのか?
彼女の言葉を想像しただけで、嗚咽が込み上げてしまう。
僕はあの檻の中にいた間、ずっと何も食べられなかった。その空腹は酷く辛かったけれど、魔王様に聞いた話によると、悪魔族のような長命種はただの人間よりもそういった事への耐性があるという。
それもそうだ。この僕が一年も絶食して正気を保っていられるわけがないし、そもそも生きている時点でおかしい。
そんな僕と比べて、彼女の苦痛は計り知れない。だって、死なない僕と違い、彼女は普通なら死ぬレベルの苦痛を何度も味わっているのだから。
腕を何度も切り落とされたりするくらいなら、空腹の方がマシだとさえ思ってしまう。
「そんなある日、私は勇者のパレードを見つけた」
「勇者って、確か・・・」
「私たちと同じ、一年四組のみんなだよ」
彼らのほとんどは、人間としてこの地に呼ばれ、勇者と讃えられているのだという。
「・・・・・私は、絶望した」
ふと、彼女の顔が少し、悲痛に歪んだ。
「どうして私が奴隷として皆から嫌われているのに、彼らは勇者として皆から愛されているの? どうして私が苦しんでいるのに、彼らは祝福されているの?」
それは、僕の吐露した思いにどこか似ている気がした。
「彼らは何も悪くないのに、羨ましくて嫉妬して、心の底から憎んだ。惨めな自分の姿が大嫌いで、皆から愛される他人が許せなかった」
「それは・・・」
「・・・二宮くんと同じだよ。だから、私にはあなたの気持ちがよくわかるんだ」
彼女は再び真っ直ぐ瞳で僕の目を見る。
「それから私はその苦しみから逃げ出したくて、必死に強くなろうとした。魔法の使えない獣人の奴隷でも戦える方法を見つけて、リボルトを殺した」
「こ、殺した・・・? 影宮さんが?」
「それしか、私には逃げ出す方法が分からなかったから」
僕はまだ、この世界で人を殺したことはない。戦争で人の死を見る度に震えているくらいだ。
それなのに、彼女は・・・
「・・・それから私は魔族領まで逃げて、そこで家族と呼べる人達と出会ったんだけど、また人間に殺された。私にとって大切なものは、何もかも人間によって奪われた。だから・・・人間への憎悪ばかり募っていった」
あまりにも淡々と語られる死に、僕は何も言えなかった。その苦しみや悲しみは、何も経験していない僕に想像できるものじゃなかった。
「魔王様に拾ってもらって、人間を殺して、殺して殺して殺して、でも、満たされなくて。人間をいくら憎んでも、獣人である自分も大嫌いで・・・中途半端な思いを抱きながら、次第に何処をめざしたら良いのかも分からなくなって・・・」
その迷いは、その苦痛は、僕が抱いていたものと同じだ。彼女も、同じだったんだ。
僕は彼女のことを勝手に羨んでいた。あまつさえ、僕とは違って与えられた力のおかげで何の苦労もなく生きてきたんじゃないか、なんてことすら考えてしまっていた。
「・・・だけど、私は魔王様に救われた。絶望に飲み込まれて、生きる意味も分からなくて、苦しくて苦しくてしょうがなかった私に、魔王様が道を示してくれた。魔王様が、心の拠り所になってくれた」
「それが・・・影宮さんが、魔王様を尊敬する理由ですか?」
「うん」
どうして彼女があそこまで魔王様を慕っているのか。狂気的にも思えるその敬意の理由が、少しわかったような気がする。
「・・・だから私は、いつまで経っても弱い」
「え?」
「私、もう壊れちゃってるんだ。奴隷になったとき、初めて人を殺したとき、家族をみんな殺されたとき、私の心はもう、独りじゃ立てないくらい脆く、弱り果てちゃったの」
彼女の心が弱い。
きっと、さっきまでの僕なら勝手な理想を彼女に押付けて、否定していただろう。
・・・でも、もうそんなこと出来なかった。納得出来てしまえるほどの過去を、聞いてしまった。
「自分を受け入れたって話、前にしたよね」
「は、はい」
「あれは、別に自分を好きになったってわけじゃない。人間だとか魔族だとか、そういうことを考えるのをやめて、ようやくこの姿を見られるようになっただけ。本当は・・・今でも、私は私が大嫌いだよ」
「影宮さんも、自分が嫌いなんですか?」
「こんなにも歪んでしまった自分を愛するなんて、出来ると思う?」
その言葉に聞いてふと脳裏を過ぎったのは、中庭での光景だ。狂ったように相手を襲う彼女の姿は、心は、彼女の言う通り歪んでいるように思えてしまった。だから、僕は何も言えなかった。
「魔王様が道を示してくれた。でも、私はただそれについて行っているだけ。自分独りでは何も変われていない。何も選んでいない。何も見ていない。・・・だから、こんな私みたいになりたいなんて、思わない方がいい」
・・・僕は、彼女は強いから、辛いことも苦しいこともないんじゃないかって、そんな幻想を勝手に抱いていた。
でも、彼女も僕と何も変わらない。
傷ついて、後悔して・・・そんな、普通の人だったんだ。そんな当たり前のことに、僕は今更気がついた。
「・・・その、何も知らなかったのに、勝手なことたくさん言って・・・ごめんなさい」
「別にいいよ。あ、でも、影宮って呼ぶのはやめて」
「ご、ごめんなさい!」
無意識のうちに彼女のことを影宮さんと呼んでしまっていた。僕は慌てて謝るが、彼女の表情にはそこまで変化はない。
僕があんなにもたくさん酷いことをしてしまったというのに、彼女はまるで何も気にしていないというふうだった。
それでも、僕のしてしまったことは変わらない。僕が罪悪感から俯いていると、影宮さん・・・いや、カゲハ様はふと何かを思い立ったように静かに立ち上がった。
「・・・じゃあ、代わりに私も勝手なこと、言っていい?」
「え・・・は、はい」
少しドキッとする。僕はまた更に何か失言してしまったのだろうか。僕が不安に震えていると、カゲハ様はゆっくりと柵の方へ歩いて空を見上げた。僕もそんな彼女の姿を目で追いながら、同じ夜空を見る。
雲がどんどん晴れていき、星空が広がった。僅かだった月光と星々の輝きが辺りを包み、とても幻想的で美しい光景を作り出していた。
「・・・今日は、ありがとう」
「え?」
突然そんなことを言われて、思考が停止する。だって、感謝されるようなこと、僕は何もしていないはずだ。
「私、ずっと怖かったんだ」
「怖かった・・・?」
「私のことを知ってる誰かに、自分の顔を見られること。自分の過去を知られること。それが、ずっと怖かった」
カゲハ様はずっと仮面の下に素顔を隠していた。今の自分の姿を誰かに見せるというのは、怖い。それは、僕も痛いほど分かることだった。
「でも、二宮くんが自分の気持ちを全て吐き出してくれたから、私も同じように自分のことを誰かに伝えられた。きっかけは偶然だったけど、自分の顔を見せることもできた」
「そ、それは・・・」
でも、僕は何もしていない。
ただ身勝手に自分の感情をぶつけただけだ。本当に、ただただ最低な行いだった。だから、非難されることはあっても、決して感謝されるようなことじゃない。
「・・・分かってる。こんなこと言われても、二宮くんは困るだけだって。だから、これは私の勝手な思い。それでも、言わせて欲しい」
でも、彼女はそんな僕の気持ちを押しやって、もう一度告げる。
「・・・ありがとう」
その真っ直ぐに澄んだ瞳と柔らかな声音から、この言葉は本心からのものだと、僕にも分かった。彼女は僕のあの酷い行いに対して、本当に感謝しているのだと伝わった。
・・・そして、その言葉は僕の胸に強く響いた。
別に感謝されたことが嬉しかったとか、そういう気持ちじゃなくて・・・ただ、僕は驚いていた。誰かを責めるんじゃなくて、誰かにありがとうと伝えられる、その優しさに。
彼女は自分を歪んでいると言っていた。そして、弱いと言っていた。
確かに彼女は、僕が最初に思い描いていたような完璧な人ではなかったかもしれない。僕と同じように傷ついて、苦しんで、弱い自分が嫌いな・・・普通の人だった。
それでも、僕がカゲハ様から感じた優しさだけは、今でも間違っていなかったと思う。
やっぱりこの人は、優しい人だ。
でも、もうそのことを羨んだりはしない。僕はただ、その優しさに心惹かれた。
「・・・そういえば、私はどう呼べばいい? 二宮くんより、ロゼの方がいい?」
「あ、えっと・・・ろ、ロゼでお願いします」
「わかった」
他の人の目もあるし、僕自身まだ色々と整理出来ていないことの方が多い。今はまだ、ロゼと呼んでもらった方がいいだろう。
すると、カゲハ様は僕の方へと少し近づいた。
「それと、呼び方。様付けとかしなくていいから」
「え? で、でも、カゲハ様は上官ですし・・・」
「さっきだって普通に影宮さんって呼んでたでしょ。元同級生に様付けされるの、なんか嫌だ」
「わ、わかりました・・・カゲハさん」
若干不機嫌そうにそう言う彼女に、僕は慌てて呼び方を元に戻した。
・・・ずっと仮面を付けていたから分からなかったけれど、カゲハさんは僕が思っていたよりもずっと感情の豊かな人だ。
そんなことを考えていたら、ふと風が舞った。涼やかな夜風が彼女の髪と狐の耳を揺らし、そして彼女は静かに笑った。
「・・・うん。やっぱり、そっちの方が落ち着く」
それはとても柔らかな声音で、とても優しげな笑みだった。
暗い過去を打ち明けていたときのあの悲しげな表情はなく、その笑顔にはどこか年相応の無邪気さが含まれているような気がした。
月明かりに照らされる彼女の笑顔はとても綺麗で・・・僕は、心を奪われた。
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