第55話「羨望」
[SIDE:ロゼ]
「影宮、さん?」
見覚えのある姿に、僕は思わずその名前を口にした。その瞬間だった。
「───────っ!?」
「動かないで」
目にも止まらぬ速さで彼女は刀を抜き、僕の首元へと突きつけた。何度も見てきた彼女の刀。その恐ろしさは、十分知っている。
「その名前をどこで知ったの? 一体誰から・・・いや、ここじゃマズイか」
彼女はいつになく焦った様子で問い詰める。しかし、ふと我に返ったように周囲を見回してから、そっと刀を仕舞った。
だけど、僕の混乱と困惑は少しも治まっていない。カゲハ様の髪で、カゲハ様の服で、カゲハ様の声で、影宮さんが喋っている。その光景はあまりにも衝撃的で、しかし同時に驚くほど違和感のない姿だった。
むしろ、どうして今まで気が付かなかったんだろうとさえ思うほどだ。
「場所を変えるからついてきて。・・・逃げようとしたら、斬るから」
「・・・は、はい」
彼女はいつものお面をつけると、僕に背を向けて歩き始めた。逆らう理由も逆らう勇気もない僕は、言われた通りにその背を追う。
お面をつけてしまえばもうその見た目はいつものカゲハ様だ。だけど、一度そう認識してしまったからなのか、僕はもう彼女をカゲハ様として見ることは出来なかった。
影宮唯葉さん。
彼女は、僕のクラスメイトだった人だ。
僕は影宮さんと話したことはあまりないけれど、彼女は僕の席の前だったり、委員会が同じだったりと、不思議と接点はあった。だからだろうか。僕は常に彼女のことを意識していたように思う。
何でもできて、誰からも好かれる彼女の姿が、僕の視界にはいつも眩しく映っていていた。何も出来なくて、誰からも好かれない自分が疎ましかった。
自分とは対極の位置にいる影宮さんを見ていると、いつもそんな惨めな気持ちになってしまっていた。
だから僕は、彼女に・・・
「着いた」
「・・・あの、ここは?」
「一応、私の部屋」
彼女が足を止めたのは、ある部屋の扉の前だった。僕が使わせてもらっている部屋よりもずっと豪華そうな扉だった。
最高幹部ともなると、家が別にあっても魔王城に自分の部屋があるらしい。少し緊張しながら部屋に入ると、中には最低限の家具くらいしかなく、生活感がなかった。恐らく、たまに来て寝るだけの部屋なのだろう。
「こっちにきて」
「は、はい」
この部屋にはベランダがついているようで、そこには机が一つと椅子が二つあった。影宮さんはその片方に座ると、対面の椅子に座るよう僕に促した。
部屋の中は少し空気がこもっていたが、外は夜風が涼しかった。曇ってはいるものの、心地よい気候だ。しかし、依然として僕の息は詰まったままだ。
「・・・それで、その名前をどこで知ったの? 一体、誰から聞いたの?」
彼女は刺すような鋭い視線と、凍りつくような冷たい声音で僕に問う。
やはりこの姿だからか、クラスメイトという発想には至らないだろう。僕は顔を俯かせ、それでも勇気を振り絞って告げた。
「ぼ、僕は・・・二宮、です。・・・その、えっと・・・お、覚えてないかもしれないですけど、同じクラスの、二宮遥人です・・・」
思い切って口にしたものの、だんだんと不安になってくる。ほとんど話したことないし、もしかしたら忘れられているんじゃないだろうか。
どうしよう、それで首を斬られでもしたら最悪だ。
目を伏せ不安と恐怖に震えていると、冷たい気配がなくなったような気がした。恐る恐る顔を上げると、彼女は驚いたように、僕へ顔を少し近づけた。
「二宮くん? あなたが?」
「は、はい」
「・・・そっか。私以外にもいたんだ、魔族になった人」
私以外にも、ということは、影宮さんも僕と同じように魔族となってこの世界に召喚されてしまった、という事でいいのだろうか。
動揺で思考がまとまらない。しかしそれは彼女も同じならしく、考え込むように難しい表情をしていた。
「その、影宮さん・・・で、いいんですよね?」
「・・・うん。そうだよ」
一応頭を整理したくて改めて尋ねる。・・・本当に、カゲハ様は影宮さんだったんだ。本人から直接聞いたことで、実感が湧いてきた。
「このことは誰にも言わないでほしいの。私もあなたのことを言わないから」
「・・・は、はい」
彼女の頼みに対して、僕はやや上擦った声で返事をした。僕が名前を偽ったのと同じように、彼女もお面で素性を隠していた。何か事情があるのだろう。
「それと、私のことを影宮唯葉とは呼ばないで」
「・・・ど、どういう、ことですか?」
「今の私は、カゲハだから。人間だった頃の名前はもう使う気がないの」
「・・・え?」
・・・人間だった頃。その言葉に、僕は思わず動揺を隠せなかった。
だってそれは、もう人間ではない人の言葉じゃないか。影宮さんは以前自分を受け入れたと言っていたけれど、もうそこまで割り切れてしまっているのか?
「それは・・・もう、人間に戻りたいとは、思っていないって事ですか?」
「うん」
僕の質問に、彼女は迷いなく答える。そういえば、彼女は人間のことが大嫌いだと言っていた。つまり、彼女にとって人間はもう別の種族であり、自分が魔族であることを完全に受け入れているんだ。
・・・僕はまだ、何も受け入れられていないのに。
「・・・どうして」
「え?」
ふと気づけば僕は、また口を開いていた。
・・・もう、こんなこと考えたくなかったのに。もう、こんな思いしたくなかったのに。だから、全部諦めようと思ったのに。それなのに、僕は未練たらしくまた尋ねてしまう。
「・・・どうして、そんなに強くなれるんですか?」
僕はずっと、影宮さんに憧れを抱いていた。僕も影宮さんみたいに、たくさんの人に囲まれて、たくさんの人に優しくできる、そんな人になりたかった。
そしてそれは、影宮さんとしてだけでなく、カゲハ様へも同じだった。強くて真っ直ぐで、それでいて優しい彼女みたいになりたいと、僕はいつしか思うようになっていた。
カゲハ様の部下として、彼女の背を追ってきた。でもそれを諦めたのは、カゲハ様は僕とは根本から何もかも違う存在なんだと思ったからだ。だから絶対に追いつけないんだと、そう自分に言い聞かせたからだ。
だけど、それは違った。彼女は僕と同じように異世界から来て、僕と同じように魔族となった人だった。
確かに前の世界でも手の届かない存在だったかもしれないけれど、この世界では、同じ立場で、同じスタートラインに立っていたはずだ。
僕は新しい世界に来て、新しい自分になろうと決意したはずだ。
それなのに・・・どうしてまた、追いつけなくなってしまったんだ。どうして僕は、彼女みたいになれないんだ。
何が違う。
何が足りない。
何がいけなかった。
何が悪かった。
何が・・・
「・・・私は、強くなんかないよ」
しかし、返ってきた言葉は、想像だにしていないものだった。
「・・・え?」
「私は強くない。それどころか・・・いつまで経っても、私は弱い」
・・・弱い?
カゲハ様が、影宮さんが、弱いって?
「そ、そんなわけ、ないでしょう? あなたが・・・あなたが弱いなら、じゃあ僕はどうなる!? 僕はあなたみたいに戦えないし、あなたみたいに自分を受け入れることだって出来ない。自分のことが・・・嫌いで嫌いでしょうがない」
激しく揺れる感情の歯止めが徐々に効かなくなり、言葉が溢れ出していく。
「この姿が嫌だ。自分を騙した人の姿でいることも、化け物みたいな角が生えているのも。・・・でも、元の姿に戻りたいとも思えない。だって僕は、元々の自分すら大嫌いだから。・・・だから僕は、あなたみたいになりたかった」
今の自分でもなく、前の自分でもなく、新たな自分になりたかった。この中途半端な気持ちを捨てて、彼女みたいに自身を受け入れられるようになりたかった。
きっと、こんなこと突然言われても彼女は困惑するだけだろう。それでも、吐き出さずにはいられなかった。もうこれくらいしか、この苦しみを止める方法が分からなかった。
「・・・その気持ちは私も分かるよ。でも───」
「気持ちが分かる、だって?」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
そして・・・
「────・・・恵まれた人間に、僕の何が分かるって言うんだッ!!」
心の中にある何かが、決壊した。
「あなたには僕の気持ちは分からない。分かっていいはずが無い!!」
僕は机を思い切り叩いて立ち上がり、今にも擦り切れそうな声で怒鳴り、彼女にぶつけた。
一度溢れ出した言葉はもう止まらない。感情が抑えられない。ただ激情に流されて、言葉を吐き捨てる。でもそれは、間違いなく僕の本心だった。こんなにも汚くて最低な言葉が、僕の本音なんだ。
自分で自分が、嫌になる。
本当は分かってるんだ。これはただの八つ当たりで、彼女は何も悪くない。それなのに、自分の胸の中に無理やり押し込んでいた感情が蠢き、制御できない。この口が止まってくれない。
「・・・影宮さんも、きっと特別な力を授かったんでしょ?」
やめろ。
「それで、こんなに強くなって、たくさんの人に囲まれて・・・」
黙れ。
「それなのに、僕の気持ちが分かるって?」
もう喋るな。
「・・・冗談じゃない」
もうそれ以上・・・自分の醜さを晒すな。
「僕はこの世界に来て、騙されて、奪われた。なんの特別な力も無くて、頼る人もいなくて、ずっと独りぼっちだった! ・・・それを、最初から凄い力に恵まれて、たくさんの人に囲まれてる、そんな・・・そんな恵まれた人に、何が分かるって言うんだ!!!」
・・・分かってるんだよ。僕の言っていることは間違っていると。
彼女はきっと、努力してこの地位まで辿り着いたのだと。・・・でも、それでも、羨望が止まらない。強い力を持つ彼女のことが、身勝手にも羨ましくて堪らないんだ。
だから彼女には、こんな最低な僕のことを否定して欲しかった。
「・・・確かに、私は恵まれている」
それなのに、彼女は僕の言葉を肯定した。
「魔王様に出会えて、色んな人に救われて、ここにいる。恵まれすぎているくらいだ」
「なら・・・」
「・・・だけど、それでも、私はあなたの気持ちが分かるよ」
それは、これまで見てきた彼女からは初めて聞くような、優しい声音だった。そして静かを顔を上げると、彼女はお面を外し、真っ直ぐな瞳で僕を見た。
「・・・痛いくらい、よく分かるよ」
怒られるか、それとも失望されるかと思った。それなのに、彼女は笑った。とても悲しそうに笑った。とても苦しそうに笑った。
少しづつ暗かった空が晴れていき、雲と雲の間から僅かな月光が零れ、僕たちを照らす。そんな中、彼女は突然立ち上がり、僕に背を向ける。そして、服を脱ぎ始めた。
「な、なにをいきなり・・・────え?」
僕は狼狽し手で視界を覆うようにした。だが、ふと視界に移った”それ”を見て、僕は言葉を失った。
「そ、それって・・・」
「これは、奴隷刻印。この世界では奴隷の身体にこの焼印を入れることで、自由を奪い、絶対服従を強制するの」
その刻印の模様は、見覚えがあった。かつて僕を閉じ込めていた檻に、確か同じ模様があった気がする。それが、彼女の背中にもある。それが意味することはたった一つだ。
でも、それって、つまり・・・彼女は・・・
「私・・・奴隷だったの」




