第40話「奇跡」
「・・・ああ、奇跡だわ」
凄まじい魔力と光が辺りを包む。
しかし、僕の網膜には最後のヴィリアナの表情が焼き付いて離れない。
なんだ、あれは。
彼女のあんな表情、見たことがない。
「は、はは、あははははははははははははっっ!!!」
その時、混乱する僕の耳に、甲高い笑い声が響いた。それはヴィリアナの声ではない。しかし、僕はその声に覚えがあった。きっと、他の誰よりもその声を聞いたことだろう。
これは・・・僕の声だ。
「最高の気分! 私は、やっと解放されたのよ!」
「・・・え?」
光が止み、声の方に視線を向けると、僕が笑っていた。いや、正確には・・・僕の身体が、笑っていた。
「この肉体・・・ああ、なんて魔力なの! 道理でたったの一年で神操魔法を操れる訳よ。あははっ!!」
・・・何が、起こっているんだ?
理解が追いつかない。なんで、目の前に僕がいるんだ? いや、あれは本当に僕なのか? だって、僕は今ここにいる。ならあれは僕じゃない。
・・・じゃあ、誰なんだ?
「ね、ねぇ・・・─────っ!?」
声を上げたその瞬間、僕はその異常に気が付いた。・・・僕の声じゃない。僕の声よりずっと高い・・・女の子の声だ。
いや、おかしいのは声だけじゃない。身体中が、重くて仕方がない。
「なに、これ・・・」
僕は自分の身体を見る。
やせ細った腕に、ボロ布のような服、手足と首には鎖と枷、そして地に付くほど長い赤い髪。この身体も、この声も、覚えがあった。この一年間、ずっと僕の目の前にいた、一人の少女の姿だ。
でも、そんなわけない。この身体が彼女のものであるはずがないだろう。
「ど、どうなって・・・ぐっ!?」
僕は声を荒らげ、目の前にいる”僕”に駆け寄ろうとするが、鉄格子に阻まれる。衝撃によって倒れ、はたと気が付く。
僕は今、檻の中にいるんだ。彼女がいた、檻の中に。
なんだよ、これ。
何がどうなってるんだよ。
これじゃあ、まるで・・・
「────僕とヴィリアナが入れ替わったみたいだ、とか思ってるのかしら?」
”僕”は檻の前でしゃがみこみ、ニヤリと笑う。
「大正解! あなたが発動した神操魔法【心魔反転】のおかげで、私とあなたの魂が入れ替わったのよ。・・・って、この身体でこの口調は気持ち悪いわね。早く身体を作り替えてもらわなくちゃ」
「ま、まさか・・・君が、ヴィリアナなの?」
「だからさっきからそう言ってるじゃない」
当然のようにそう答える”僕”。
「い、いや、そんな訳ない。彼女が、こんなことするわけ・・・」
「あはは! 滑稽ね。ずっと利用されていたことに少しも気が付かないなんて」
「・・・利用、されてた?」
「ええそうよ。あなた、私が少し可哀想なふりをしたら簡単に同情してくれて、ここまで扱いやすい男がいるとは思わなかったわ」
その口から紡がれる言葉のどれもが、信じられないものだった。・・・僕はずっと、騙されていたっていうのか? 助けようと思っていた彼女に?
・・・嘘だ。ありえない。そんなわけない。
「まさか、私のこんな間抜けな顔を見ることになるとはね」
「っ・・・」
「怒った? それとも悲しいの? でも残念。その檻、本当に厳重でどうやっても出られないの。だからあなたには何も出来ないわ」
僕は、目の前の”僕”・・・いや、ヴィリアナ目掛けて鉄格子から手を出す。しかし、どれだけもがいても、その身体にはには手は届かなかった。
ヴィリアナは蔑むような目で僕を見下し、そして僕に背を向けた。
「さようなら〜。せいぜいその地獄みたいな場所で、呪われた身体とともに生きていくのね」
「待って!!」
「・・・あ、最後にこれだけ教えてあげる」
ヴィリアナは足を止めて、振り返る。
「自害なんて馬鹿なこと、しないほうがいいわよ」
最後に、再びニヤリとその顔を歪め、ヴィリアナは歩き出した。僕は手を伸ばすが、どうやったってその手は届かない。僕に彼女を止める術はなく、少しした頃にはその姿も見えなくなってしまった。
「・・・何が、起きてるんだ?」
いや、頭では理解している。でも感情が追いつかない。なんで、どうして、こんなことになった? 何を失敗した? どこで僕は道を間違えた? 何が、いけなかったんだ?
眩暈がする。
頭が混乱する。
胸の中がぐちゃぐちゃして、訳が分からない。
「─────おい!!」
「ひっ!?」
混濁した意識を、張り裂けるような怒声が呼び起こす。顔を上げれば、片手に松明を持った男の人が僕を睨んでいた。
・・・人間。そうだ、ヴィリアナの言っていた近くの村の人だ。
「た、助けてください! 僕、ヴィリアナじゃないんです!」
「・・・あ?」
「僕、騙されて、入れ替えられたんです! お願いします。ここから出してください!!」
「何言ってんだテメェ」
僕は必死に助けを求める。しかし、彼の声を鋭く、怒りに満ち溢れている。
「どの面下げてンなこと言ってんだ? ああ!? ウチの村のヤツ殺したくせに、今更そんなふざけた言い訳が通じると思ってんのか!?」
「こ、ころ、した?」
「とぼけてんじゃねぇぞ!!」
「─────ゔああああああああああああああああああっ!?」
瞬間、全身に凄まじい激痛が走る。
・・・これは、隷属魔法だ。以前ヴィリアナから教えてもらった、奴隷を縛るための魔法だ。
そうか、今この身体はヴィリアナだ。だから、彼女の肉体に施された魔法はそのまま、僕にふりかかるんだ。
「違うん、です・・・僕じゃ・・・」
「いい加減にしろ!!」
「ぐあああああああああああああああああっ!!!」
再び激痛に包まれる。あまりの苦痛に僕は立つことも出来ず、その場に倒れ込んだ。
呼吸が乱れ、息が苦しくて、上手く言葉が出てこない。
「チッ。この悪魔が・・・」
悪魔? 違う。僕は人間だ。
何も悪いことなんかしてない。誰も殺してない。誰も傷つけてない。それなのに、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!?
「待っ、て・・・」
必死に声を絞り出すが、男の人は去ってしまった。明かりもない真っ暗な檻の中で、僕は一人虚空に手を伸ばす。しかしその手は何も掴めない。
・・・ああ。馬鹿みたいだ。
結局、僕みたいなヤツには、何も出来やしなかったんだ。仮初の力でいい気になって、誰かを助けられるなんて勘違いして、結果がこのザマだ。
勇気を出して一歩踏み出しても、声をかけても、努力しても、全て無駄だったんだ。
「もう・・・いやだ・・・・・・」
もう、何もしたくない。
◇◇◇
あれからどれくらいの月日が流れただろう。
日が昇る回数も、いつしか数えるのはやめてしまった。けれど、もう一年くらいは経っているかもしれない。
僕はずっと、檻の中に独りでいる。勿論食事なんかが出ることはなく、飢餓感は止まない。それなのに、どういう訳かこの身体は死なない。これが化け物ってことなんだろうか。
夏は焼けるように暑くて、冬は凍るように寒い。
空腹に悶えても、叫んでも、誰も助けには来てくれない。
苦痛が限界に達し、もう何もかも投げ出して、死んでしまいたくもなった。しかし、ふとヴィリアナの言葉が蘇った。
『自害なんて馬鹿なこと、しないほうがいいよ』
この身体はどういう訳か、ずっと食事をしなくても死なない。まるで不死だ。かといって、食事が不要なわけでもない。不完全だ。
なら・・・もし、この不完全な肉体が致命傷を負ったら・・・死ぬことはなく、死ぬほどの激痛を受けるだけじゃないか?
そう考えた途端、自害なんて怖くて出来なかった。
結局のところ、何も出来ないまま膨大な時間が流れていく。自分の惨めさに打ちのめされ、底のしれない飢餓感に苦しめられ、もう叫ぶ気力もなくなった。
掠れきった意識の狭間で、静寂に身を置く。
その時だった。
─────パキッ。
辺りを包んでいた静寂に、木の枝が割れたような音が響く。草木を掻き分け、何かがこちらへ向かってくるのが分かる。動物が近くを通ることもあり、それくらい何も珍しいことじゃない。
しかし、それはどう考えても異質だった。
音はするのに、全く気配が感じられない。まるで”無”がこちらへやって来るかのようだった。足音は次第に近くなり、やがてこの檻の前で止まった。
僕は、ゆっくりと顔を上げる。
「・・・ねえ、大丈夫?」
そこには、お面をつけた狐の少女がいた。




