第3話「知らないこと」
「・・・ふむ。これは良い。私が買おう」
奴隷になって、狭い狭い檻の中で暮らして、どれくらい経った頃だろう。一人の男性が、私を見下ろしながらそう言った。男性は金髪で背が高く、とても綺麗な服を身にまとっていた。
・・・買うって、私を? そっか。私は、やっと買われるんだ。やっとこの檻から出られるんだ。
でも、それが救いとは限らない。この人は、どんな人なんだろう。この人も、私を傷つけるのかな。
だったら・・・嫌だな。
それでももう、この生活のせいで全身が疲弊していて、意識が朦朧となってしまっている。そのせいで、男性と店主が何かを話しているけれど、よく分からない。
しばらくして、檻が開かれた。瞬間、鎖をぐっと乱暴に引っ張られる。そして、いきなり男性は私に近づいた。
「・・・っ」
「やはり良い獣人だな。狐とは珍しい。この値段もうなずける。早速契約に移ろうじゃないか」
「かしこまりました。では、こちらへ」
店主はいつになく丁寧な口調で男性を案内する。その先には、契約書のような紙と、ペンと、そして・・・焼印があった。あれで何をするのか、私は知っている。他の奴隷が買われた時の光景を、見たことがあるから。
「背中を出せ」
「・・・」
これはきっと、何かの儀式のようなものなんだろう。抵抗したりせず、私は素直に背中を向けた。そして・・・ゆっくりと焼印が押される。
「───────っ!!」
ジュッと、皮膚が焼ける。
痛い。
辛い。
苦しい。
・・・けど、絶対に声を出しちゃいけない。だって、まだ許可されていないから。必死に声を殺し、視界が涙で滲む。
気持ち悪い。
これは、ただの痛みだけじゃない。なんだかとても嫌なものが、体の中へと入ってくる感覚がする。それは焼印から流れ込み、やがて体全体を侵食してくる。吐きそうだ。
「これで完了だ」
「・・・はあ、はあ、はあ」
ようやく焼印が離された。呼吸が乱れる。まだ焼かれた皮膚が痛くてしょうがない。私がそんなふうに悶えてる間にも、男性は契約書を書き終え、そして大金を店主へ受け渡した。
・・・ああ。私はついに、買われてしまったんだ。
「ご購入、ありがとうございました」
「・・・ついてこい」
無造作に鎖を引っ張られ、無理やり歩かされる。男性に頭を下げる店主を後目に、私は初めて、あの店の外へ出た。暗い店内からいきなり日の元へ連れ出され、一瞬目が眩む。しかし直にそれも慣れてきて、私はゆっくり目を開いた。
そこは、私の知っているような街ではなかった。謎の兵士に眠らされる前にほんの少しだけ見えた景色と同じで、そこは中世ヨーロッパのような街並みだった。道を歩く人々の服装も、とても現代人のものとは思えない。
「何をぼーっとしてる。さっさと乗れ」
男性の声で、ふと我に帰る。視線を戻すと、目の前には馬車があった。・・・馬車。実際にこの目で見るのは、初めてかもしれない。とりあえず私は、言われた通りに馬車に乗り込んだ。
馬車から外の景色が見れる。やっぱりここは、どう見ても現代の街じゃない。
そもそも、獣人なんてものがいる時点で、ここは普通じゃない。もしかしたら、ここは私のいた世界とは別の世界なんじゃないか。そんな考えが浮かんできた。それなら、信じられないことが起こっても、辻褄が合う。
前に花乃におすすめされて読んだ本に、そんな展開があった気がする。異世界召喚、だっけ?
どうしてかは分からないけれど、私は違う世界に来てしまった。それも、獣人なんてものになって。そして、そんな世界で奴隷になった。そう考えると、ますます辛くなってきた。
もうここには、みんなはいない。私一人だけなんだ。孤独で、寂しくて、泣いてしまいそうになる。それでも必死に我慢して、私は馬車に揺られた。
◇◇◇
馬車に乗ってから数時間が経ち、ようやく止まった。恐る恐る馬車から降りると、そこにはとても大きな屋敷があった。敷地は広く、庭の木なんかも綺麗。そんな屋敷の門を、男性は堂々と開く。私もその後を追った。
「「────おかえなさいませ。ご主人様」」
屋敷の中はとても広く、そして、何人ものメイドさんたちが頭を下げて男性を出迎えた。ご主人様ってことは、やっぱりこの人がこの屋敷の主人なんだ。
私はメイドさんたちに目を向ける。そこに普通の人間は誰一人としていなかった。みんな、私のような獣人だった。そして彼女らもまた、首に首輪を付けていた。・・・奴隷だ。
「新しい奴隷を買った。狐の奴隷だ。おい、赤猫!」
「はい」
「こいつに色々教えてとけ。俺は昼食にする」
「かしこまりました」
男性が呼んだのは、二十代くらいの赤髪の女性だった。彼女の頭には猫のような耳が生えており、腰あたりからは猫のような尻尾が飛び出ていた。赤猫、まさしくそのままだ。
赤猫の女性は男性に頭を下げ、男性が屋敷の奥へと向かうと、くるりとこちらを向いて近づいてきた。
「はじめまして。私は・・・赤猫、そう呼ばれているわ。一応、ここのメイド長をしているの。よろしくね」
「・・・」
挨拶をしてくれた彼女に対し、私は黙ったまま俯く。私はまだ、主人から発言を許可されていない。だから、彼女の言葉には答えられない。
「ああ、ここでは喋ってもいいのよ。ご主人様が許可してくださってるから」
「・・・そ、そう、なの」
喋ってみて、私は驚いた。
もう随分声を出していなかったからか、それとも声を出すという行為自体に恐怖を覚えているのか、あまり声が出なかった。喉の辺りでつっかえて、言葉が途切れ途切れになってしまう。
「これから、ここでの決まりや仕事内容について説明していくわ。いい?」
「・・・う、うん」
「それじゃあ、ちょっとついてきて」
赤猫の女性の後ろを追って歩いていると、彼女は歩きながらも説明を始めた。
「まず、この屋敷では基本的に、奴隷はメイドとして働くことになっているわ。仕事内容は掃除洗濯料理、とか家事全般ね。あと、ご主人様の身の回りの世話をしたり、他にも色んな雑事を任されるわ。ここまでは分かる?」
「わか、った」
「そう。それじゃ、取り敢えずこれに着替えてもらえる?」
廊下を歩き、立ち止まった先の扉を開くと、広間のような大きな部屋があった。壁には沢山の鎖がついている。なんだろう、この部屋。
私が首を傾げていると、赤猫の女性は用具入れのような場所から予備のメイド服を取り出し、私に手渡した。
「この部屋は奴隷部屋って言ってね、私たち奴隷はみんなここで、首輪を壁の鎖につけて夜は眠っているの」
奴隷が逃げないようにするためだろうか。私はメイド服に着替えながら赤猫の女性の話を聞く。鎖が邪魔で着替えづらかったけれど、少しだけ彼女に手伝ってもらいつつ、何とか着ることができた。
そして、どうやら一通り説明が終わったようで、彼女はふう、と一息ついた。
「大体こんな所かしらね。他に何か質問とかある?」
「・・・し、仕事、以外の、ことで、も、いい?」
「構わないわ」
一つだけ、ずっと気になっていたことがある。でも、ついそれを言っていいのか躊躇ってしまう。それを聞いてしまえば、知りたくないことを知ってしまうかもしれないから。
でも、これだけは聞かなくちゃいけない。
「・・・ここ、は、痛いこと・・・され、ない?」
この屋敷はとても綺麗な場所だった。私のいた檻の中とは大違いだ。鎖こそあるものの、まともな部屋で眠ることができる。そして、奴隷たちは綺麗な服を身にまとい、誰もが笑顔を浮かべていた。
だから、知りたい。その笑顔が本物なのか。
「そ、それは・・・・・・」
そしてその答えは、返事を聞かずとも分かってしまった。ずっと明るい笑顔を浮かべていた彼女の表情が、今にも泣きそうなくらい、悲しく、歪んでしまったのを見たから。
ああ、やっぱりそうなんだ。
きっと彼女たちは、無理して取り繕っていたんだろう。苦しくても、平気なように見せていたんだろう。それが、伝わってきてしまった。
もしかしたらここは、凄く幸せな場所なんじゃないかと、一瞬、そんなことを思ったけれど・・・やはり奴隷に幸せなんて、ないらしい。
少なくともこの屋敷にはまだ、私の知らない苦痛が隠されている。