第23話「私のしたいこと」
目が覚めると、綺麗で豪華な天井が見えた。この天井は見覚えがある。魔王の部屋の天井だ。
「おお。ようやく目が覚めたか」
「私、は・・・」
「まったく君という奴は。帰れと言ったのに無視して襲いかかろうとしていたろう? こうなるだろうと思って、連絡しながら君のところまで向かって正解だった」
そうか。思い出した。あの時、翔斗に会って、戦って、そして・・・
「・・・なんで?」
「ん?」
「なんで、止めたのっ!? 私はあのままアイツを殺したかったのに! あの、大嫌いな人間を殺したくて殺したくてしょうがなかったのに!」
「だから言っただろう? あれ以上の戦闘は限界だ」
「だから何!? 私は、人間を殺せればそれでいい。その中で死んだところで、私は・・・!」
「カゲハ」
叫ぶ私に、魔王は静かにしかし真剣な声音で名前を呼ぶ。私を落ち着かせるように、私を叱りつけるように、そんな複雑な声音だった。
そして、真っ直ぐ私を見て、魔王は続ける。
「無理するんじゃない。今の君は、痛々しすぎる」
「はあ!? 無理なんて・・・」
「してるよ。無理して、人間を殺そうとしている」
・・・・・・は?
何を、言ってるんだ。
無理して人間殺そうとしてるって、意味が分からない。
私は人間が嫌いだ。人間が憎い。人間が恨めしい。殺したくて殺したくてしょうがない。何を無理する必要が・・・
「殺したい、という君の思いが嘘じゃないことは知っている。君が殺人を楽しんでいることも、真実だ。・・・でも、君は最初からそうだった訳じゃないだろう?」
「っ・・・」
「君は、初めて人を殺した時は、殺したいから殺した訳じゃないだろう? 殺さなくちゃならなかったから、殺したんだ」
「それ、は・・・」
確かに、そうだ。そうするしか、あの地獄から抜け出す方法はなかった。
だけどあの時は、別に殺したところで何も思わなかった。人殺しを楽しんだという事実には多少堪えたけれど、人を殺したこと自体は何とも・・・
「・・・本当は、苦しかったんだろう?」
「ど、どうしてそんな話に・・・」
「君が殺しを楽しむようになったのは、何故だ? ・・・それは、そうしないと君は壊れてしまうからだ。〈人を殺してしまった〉、その事実を受け止めるには、狂うしかなかった。君の主人は、暴力で快楽を得る人間だったんだろう? だから君は、無意識下でその人間の真似をしたんだ。自分は殺しを楽しんでいるんだと、自分自身を騙したんだ」
そ、そんな、わけ・・・
「嘘がいつしか本当になる事だってある。今の君は、本当に人殺しを楽しむようになったのかもしれない。でも、その根底にあったものは、違うはずだ。本当は君は・・・」
────人殺しなんて、したくなかった?
・・・違う。
そんな訳ない。
そんなはずない。
「確かに君は人間を憎んでいる。恨んでいる。妬んでいる。だけど同時に────君は、人間に依存している」
「え?」
「人間が嫌い。人間が憎い。そう思うことで、君は自我を保ってきたんだろう。壊れそうなくらい苦しい環境で、人間への憎悪を心の拠り所として生きてきたんだ」
・・・なに、それ。人間に、依存してる?
「はあ? 何言ってるの!? そ、そんなの、おかしいじゃん。矛盾してるよ。人間を殺したいって思ってるのに、人間に依存してるって? それじゃあ、人間をみんな殺したら・・・」
人間をみんな殺したら、私は心の拠り所を失ってしまう。それではまるで、人間を大切に思っているのと同じようなものじゃないか。
そんなの、おかしい。
「だから君は不安定なんだ。歪なんだ。人間を憎むと同時に人間を求めるようにもなっている。このままじゃ、きっと君は壊れてしまう」
「違う違う違う! 私は、人間が大嫌いで・・・」
「それも本心だろう。だが、感情ってのはそう単純じゃない。繊細な思いが複雑に絡み合って出来ている。本当はその事に気付いていたんだろう? だけど、その矛盾した感情から目を背けて、無理して殺人鬼になろうとしていたんだ」
殺したいのに、殺したくない。
大嫌いなのに、失いたくない。
そんなおかしな感情が私にあるというの? それじゃあ、私の頭の中に鳴り響いていた「殺せ」という言葉は、その矛盾から目を背けるためのものだったっていうこと? 必死に、自分に言い聞かせていたの?
────ずっと自分のなかで、人間への憎悪と依存が混在していた。
「カゲハ。もう無理しなくていい」
無理して、復讐を理由にしなくていい。魔王はそう言った。
「・・・・・・・・そんなの、仕方ないじゃん」
掠れた声が、本当の言葉が、漏れだした。
・・・確かに、魔王の言う通りかもしれない。本当の快楽殺人鬼になれたら、どれだけ楽だっただろう。
でも、でも・・・
「でも! 私にはもう、何もない。あるのはこの憎悪だけ。人間への復讐だけが私の生きる道だった! もう、この憎悪を拠り所にしないと、私は生きていけないの!」
「復讐を生きる指標にする者の末路は、空虚なものにしかならないよ」
「っ・・・」
声を荒らげる私に、魔王は諭すように静かに告げる。
「さっきから、アンタ何が言いたいの!? 復讐がダメだって言うなら・・・それじゃあ、どうすれば良かったっていうの!? 私は、これからどうすればいいの!?」
夢の中の私はこんなことを言っていた。
私は人間でもなければ獣人でもない、中途半端な存在だと。この感情もそうだ。憎悪と依存が混ざり合って、結局のところ私の思考は曖昧で不確かなままだ。
人間を殺すことしか生きる指標がない。けれど、その指標が間違っているというのなら、私はこれから何を拠り所にして生きていけばいい?
こんなにも脆く弱り果てた私には、きっともう拠り所なしじゃ生きていけない。縋るものが無ければ、もう、生きていられない。
それなら、死ぬしか、もう────
「─────なあ。カゲハは、何がしたい?」
それは、いつかの質問だった。私はあの時迷いなく答えた。人間を殺したい、と。
だけど・・・
「・・・わかん、ないよ」
もう、何も分からない。これからどうやって生きていくのかも。
「分からないなら、見つければいいだろう? どんな些細なことでもいい。カゲハのしたい事は、なんだ?」
「私の、したいこと・・・」
そんなもの、あるだろうか。
・・・そういえば、私は何が好きだっただろうか。何か、大好きな事があった気がする。私にとって、かけがえのない時間があったはずだ。
「・・・ゆっくり、眠りたい」
私は眠ることが好きだった。
なぜなら、その時間だけは嫌なことも忘れられる、心地いい時間だったからだ。
─────影宮唯葉の人生に、幸せな家庭というものはなかった。
幼い頃に両親は離婚して、私を引き取った母親も、父の面影を持つ私を嫌って、関係は最悪だった。
玩具やゲームを買ってもらった事はなくて、テレビは見させて貰えたけど、そんな気分にもなかなかなれなかった。
だから私に出来ることは眠ることだけだった。でも、その生活は別に嫌ではなかったのだ。
睡眠は好きだった。あの心地好さが好きだった。嫌な現実を忘れて見れるあの夢が好きだった。
だけど、この二年間まともな睡眠をとれたことがない。いつだって殺意の声が煩くて、煩くて煩くて煩くて・・・苦しかった。
出来ることなら、また、ゆっくりと眠りに落ちてみたい。
そう、思った。
「なんだ。あるじゃないか、したいこと」
「・・・でも、こんな理由で生きたいなんて思えないよ」
「何を言う。好きなことがあるっていうのは、素晴らしいことだぞ。それだけで、活力になる。だが、今はまだ、それでも何か他に拠り所が欲しいというのなら・・・私がなってやろう」
「え?」
そのあまりにも突飛な発言に、私は目を丸くした。
でもそれは冗談でも何でもなくて、魔王はただ優しく微笑んでみせた。
「・・・無理、だよ。そんなの。だって、私は・・・」
私は何もかもが中途半端で、人族にも魔族にもなれない、何者にもなれない、そんな奴だ。
そんな私みたいな奴は、きっとまた自分では何も出来ないまま不幸な目に遭う。辛い思いをする。苦しい思いをする。悲しい思いをする。何もかもわからなくなって、迷って、逃げてしまう。
もう、誰かを頼ったって無駄なんだ。たとえ魔王でも、私は・・・
「─────君が辛い時は、私が受け止めてやる」
それなのに、魔王は変わらず真っ直ぐな声で、そう言った。
「君が苦しい時、私が慰めてやる。君が悲しい時、私が背を押してやる。君が道に迷った時、私がその手を引いていてやる。だから君は、私の為に生きろ。私を生きる指標にしてみろ」
「でも、私は・・・」
「いいか、カゲハ。君のしたいことをするんだ。君のなりたいようになるんだ。人間だとか、獣人だとか、そんなくだらないことはどうでもいい。君にはしたい事があるんだろう? なら、それが君だ。復讐だとか種族だとか、そんな小さいモノに囚われるな。たとえどんな君でも、私が受け入れてやるよ」
また、微笑む。その優しさが、その温かさが、私の心の鎖を、少しずつ崩していく。そして・・・・・ふと、今にも擦り切れそうなほどの、か細い声が零れ落ちた。
「・・・・・・・・・ずっと。ずっとずっと、苦しかったの・・・・」
悲しかった。
惨めだった。
羨ましかった。
寂しかった。
痛かった。
怖かった。
「大丈夫。ずっと苦しいだけの生涯なんて、絶対にないんだ」
地獄みたいな人生だった。
嫌なことばかりの人生だった。
生きているのが、辛い人生だった。
「きっとカゲハの人生は、あくびが出るくらい平和で、ゆっくり眠れるくらい幸せな、そんな、かけがえのない大切なものになるはずだ。だから、もっと前を向いて、笑顔で────
────────生きてみないか?」
彼女はそう言って、私を優しく抱き締める。
「うっ、うぅ・・・・・うああああああああああああああっ!」
気が付けば、涙が零れていた。まるで壊れた蛇口のように、涙が溢れて止まない。嗚咽が、叫び声が、この部屋に響き渡る。
・・・私はずっと、真っ暗なトンネルの中を走っているようだった。
走れば走るほど足は痛くて、息は苦しくて、気が重くなって、どこが前かも分からなくなって。もう立ち止まってしまおうかと思った。何もかも、投げ出してしまいたくなった。
でも、それでも、たった一筋の光が、私を照らす。・・・歩き続けても、いいんだろうか。あの光を目指して、また歩き出しても、いいんだろうか。
「・・・・・・・・・魔王”様”・・・・・っ」
自分を認めて貰えた。自分の生きる意味を教えてくれた。希望を、与えてくれた。それがどれだけ嬉しいことか。
彼女の言葉で、私は初めて─────救われた。
私は、この人に全てを捧げたい。
この人の為に生きたい。
そう、思えた。




