第1話「影宮唯葉の終わり」
私、影宮唯葉は、眠ることがとっても好きな高校一年生だ。いつでもどんな時でも、眠ると心地好くて、嫌なことがあっても忘れてしまう。そんな時間が大好きだ。
そんなぐーたらな私だけど、その人生は順風満帆だった。勉強も運動も苦労はそんなにないし、何より学校には友達が沢山いたから。その日も、私はいつも通り一年四組の教室の扉を開いた。
「おはよー」
決して大きくはない声。寧ろボーッとした、抑揚のない平坦な声だ。しかし、その声に多くのクラスメイトが反応してくれる。
「あ、唯葉ちゃん! おはよう!」
「おはよう唯葉。今日は遅刻しなかったみたいだね」
「影宮おはよー」
「唯葉さんおはよう」
クラスメイトたちと挨拶を交わし、私は自分の席に着く。眠くてうとうとするが、頑張って意識を保ってリュックから筆箱などを取り出す。そうしていると、三人の女子が私の元にやってきた。
「ねえ唯葉! 昨日のドラマ見た?」
「あー・・・昨日は寝てたから見てないなぁ」
朝から高いテンションで話しかけてきたのは、折宮花乃。
「唯葉いつもそうよねー。ねえ、ドラマってなんか刑事のやつ?」
「そうそう! アレの主演の人めっちゃカッコよくなかった!?」
「確かに。初主演だったかしら?」
「私ファンになっちゃったー!」
そんな風にイケメンに大興奮の花乃に相槌を打つのは、一瀬詩織。
「唯葉ちゃんはドラマとかあんまり見ないの?」
「うーん。たまに見るけど、途中で寝ちゃうんだよねー」
「あはは・・・」
そして私の返答に苦笑いを浮かべているのが静原凛子。彼女ら三人は私の大切な親友たちだ。花乃とは幼稚園から、詩織と凛子とは中学校からの長い付き合いになる。
三人で同じ高校に入り、同じクラスになることができたのだ。そうしていつも通り談笑していると一人の男子が話しかけてきた。
「四人とも、来週の月曜日って空いてる? この間の体育祭の打ち上げをしようって話しててさ」
「いいね! 私空いてるよ」
「私も空いてるわ」
「私もです」
彼は桐島翔斗。花乃と同じく、彼とは小学校から知り合いだ。彼の質問に、三人は続けて答える。・・・うーん。来週の月曜日、どうだっけ?
「よし。四人とも来れるな」
「えー、私には聞かないの?」
「唯葉はどうせ空いてるだろう?」
「・・・まあ、そうだけど」
確かに特に予定はない。強いていえば昼寝くらいだ。だけど、いくら何でも扱い雑じゃない?
「・・・みなさーん。席に着いてくださーい」
そんな話をしていると、担任の紫村彩梨先生が教室に入ってきた。紫村先生の声を聞いて、皆は慌てて自分の席につく。それから、ホームルームが始まり、先生がいくつか連絡事項を言っていく。
本当に、いつも通り。平凡で、だけど楽しい、そんな日常だった。しかし、私はこれから、この最悪の日から、”幸せ”なんてものは簡単に崩れてしまうのだと、知ることになる。
「アレ、何だ?」
誰が言ったのかは分からない。私はうとうと目を閉じたり開けたりしていたので、すぐにソレに気がつけなかった。ゆっくりと目を開けて、私が目にしたソレは魔法陣だった。
魔法陣。花乃にオススメされてやったゲームに、そんなようなものがあった。確か、魔法を発動するために使うやつだ。それが何故、こんな教室に? 寝惚けているのだろうか。そんなふうに思ったその瞬間・・・全てが、消え去った。
◇◇◇
熱い。
苦しい。
身体の中がぐちゃぐちゃになり、壊されているかのようだ。しかし意識は残っている。というかむしろ、段々と鮮明になっていく。
壊されたものが、新たなものを形作るかのように。何かが、変わる。何の根拠もないのに、確かにそう感じた。意識が色濃くなるにつれて、その感覚も明瞭になっていき、やがて──────
「──────っ!?」
私は、目を覚ました。そして次に視界に飛び込んできたのは、教室ではなかった。居眠りしていた私を咎めるような先生も、それを笑うクラスメイトもいない。そこは、街の中だった。何人もの人達が私を囲んでいて、景色はよく見えない。
「どこ、ここ」
私は混乱したまま、辺りを見回す。その時、頭とお尻に妙な感覚があった。なんだろう。今まで感じたことのない、不思議な感覚。その場所に目を向けると、私は目を丸くした。
「・・・しっ、ぽ?」
スカートと下着を飛び出して、お尻の辺りから大きな尻尾が生えていた。見覚えがある。これは、狐の尻尾だ。それにしては少し大きい気もするし色も白いけれど、確かに狐の尻尾だ。
次に頭を触ってみる。そこには、耳があった。顔の横についているような耳じゃない。まるで動物のような・・・そう、尻尾と同じ、狐のような耳だ。
なに、これ。どうなってるの? 付け耳とか、そういう類のものじゃない。明らかに私の体から生えているし、触られた感覚もある。
「──────獣人だ」
ふと、そんな言葉が耳に入る。ジュウジン。もしかして、獣人、だろうか。その言葉は、今の私の姿を形容するにはピッタリのように思えた。
しかしもう一つ驚きなのは、聞こえたのが日本語ではなかったことだ。英語でもない、全く聞いたことの無い言語。それなのに、はっきりと聞き取れてしまった。本当に、何が起きてるの?
「あ、あの、これは一体・・・」
「黙れ」
「っ・・・」
その時、私を囲う人々を掻き分けて、兵隊のような人達が現れた。その隊長のような人は、とても冷たい目で私を見下ろしていた。彼の鋭い声音に、私は何も言えなくなってしまう。
「・・・はあ、どうして街中にこのような薄汚い獣人がいるんだ。忌々しい」
忌々しい? 私が、その獣人とやらだから? 分からない。彼の言っている言葉の意味が、何も分からない。ただ、すごく嫌な予感がした。
見てみると、周りにいる何人もの大人たちは皆、私を見て不快そうな顔をしている。まるで醜い化け物でも目にしたように、うんざりとした、何なら憎悪も混じった、酷い目を私に向けていた。
怖い。
その視線から逃れるように、私は立ち上がって、訳もわからず走り出した。しかし、どうしてか身体に上手く力が入らず、ふらふらと覚束無い足取りになってしまう。そんな私に対して、兵士の一人がその掌を向けた。
「─────闇魔法【魔睡】」
瞬間、意識がガクンと傾く。目が覚めたばかりだというのに、異常な眠気に襲われる。
眠い。けれど、私の好きな眠気じゃない。意識を無理矢理奪われるような、嫌な眠気だ。しかし、それに抗うことは出来ない。何が起きたのかも分からないまま、私は意識を捨てた。
今日この日、私、影宮唯葉という”人間”は終わりを迎えた。