第14話「きっとこの感情は」
ヴィルノ山脈に辿り着くまで、私は多くの人間を襲った。
迷わないよう現在位置を確認したり、不足した物資の補給をしたり、そういう目的のために、商人やら旅人やらを襲った。
そして、その全員を・・・殺した。だって、私は誰も殺さずに目的を達成出来るほど、強くはないから。
人を殺した。その度に私は、胸がざわつくの感じる。
相手が悲鳴をあげ、逃げ惑い、血を流す。その光景を見ると、私はどうしても────
◇◇◇
「カゲハ! ちょっと来てくれる?」
「うん」
リルノ村に来てはや数週間。
私はリネアナさんたちの家事手伝いなどをしながら生活していた。彼女たちの家は農家で、朝から忙しい。
リネアナさんは夫のアルドさんの農作業の手伝いと家事を両方やっていたので、そのうち家事などを私が手伝い、畑仕事もたまにだが手を貸すようになった。
私は一応は二年間メイドとして働いていたこともあり、家事などは得意だ。
もともと私はものぐさな性格で、こうした雑事は大嫌いだったのだけれど、住まわせてもらっている以上、何か手伝わないと気が済まない。
初めは気を遣う必要はないと断られたのだけれど、折れずに頼み込み、受け入れてもらったのだ。
「これらの野菜、あっちまで運んでくれる?」
「分かった」
私は魔力操作で筋力を底上げし、野菜の積まれた台車を運んでいく。
「いやぁ、それにしてもよくそんな細腕で持てるねぇ」
「身体強化は得意なので」
「カゲハちゃんはすげーな。俺より力持ちだ」
リネアナさんとアルドさんは感嘆の声をあげる。
それが何となくむず痒くて、私は黙って淡々と運んでいった。魔力操作の鍛錬はあれから習慣化して、毎日行っているので、日に日に上達していっている。
今ではこのくらいの野菜なら軽々と運べるようになった。
「ありがとね、カゲハ」
運び終わると、リネアナさんから、笑顔で感謝の言葉を言われた。
・・・まただ。また、胸がざわざわする。やっぱりまだ、感謝されるってことに慣れてないみたいだ。
それから私は手伝いをして、あっという間に夜になった。村から灯りが消え、私は敷かれた布団に入る。
・・・やっぱり、この尻尾は邪魔だ。寝にくい。
それに、この獣人特有の尻尾、いつ見ても嫌な気持ちになる。そしてそんな気分で眠る時は、いつだってそう、嫌な夢を見るのだ。
『───────物足りない。そうは感じない?』
誰かが、私に語り掛ける。
『こんな毎日に、本当に満足しているの?』
嫌な声だ。凄く聞き覚えのある、大嫌いな声だ。
『もっと壊したい。何もかも滅茶苦茶に壊してやりたい。そう思うでしょ?』
そうか。この声は────
『────ねぇ、”私”?』
私の、声だ。
私の胸の中で蠢く、嫌な声だ。
その声は、いつも聞こえた。商人に現在位置を聞いた時、旅人から食料を盗った時、冒険者と対峙した時。ずっと頭の中に響いていた。
私はリボルトと違って、自身の快楽のために人を殺したりなんかしたくない。でも、これは仕方ない。そうやって自分に言い聞かせる度に、もう一人の私が囁くのだ。
『言い訳なんてしなくていいよ。人間はどいつもこいつも嫌な奴ばかり。そんな人間を殺すのは、楽しいでしょ? 気分がいいでしょ? だから、もっと殺そうよ』
人間。
人間。
私から全てを奪った、人間。
私も元人間だというのに、もう人間を自分と同じ存在だと思うことは出来なくなっていた。私にとって、全ての人間が憎悪の対象。もっとたくさん、殺したくて殺したくて、しょうがない。
だけど、必死に耐えた。
だって、感情のままに人間を殺して、楽しんで、そしたらきっと、歯止めが効かなくなる。私が危惧したように、大切な人達まで殺してしまうかもしれない。
例えば、この村の人達とか。
人間は嫌いだ。でも、この人たちは獣人だ。私と同じ種族だ。
だから、殺す理由なんて───
『本当にそう?』
え?
『確かに私は人間が嫌いだ。だけどそれと同じように、獣人も大嫌いでしょ?』
ち、ちが───────
『もし私が獣人にならなかったら、こんな目には遭わなかった。もし普通に人間としてこの世界に来ていたら、もっと幸せな人生が待っていた。・・・獣人なんて、この世にいなければいいのに』
違う!
今の私は獣人だ。そして、この村の人達だって獣人だ。そんな獣人を、嫌うわけ・・・
『いいや。私は獣人ですらない。人間でもない。何もかも中途半端な存在だ。自分を自分と認められない。だからその証拠に、自らの尻尾や耳を見る度に、不快感に襲われるでしょ?』
違う。
違う。
私は、私は・・・
『全部壊しちゃいなよ』
うるさい。
『大嫌いな人間も、大嫌いな獣人も、みんなみんな壊しちゃえ』
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!
『全部壊して・・・・・・楽しもうよ』
「──────うるさいっ!!!」
・・・私は、布団から起き上がって、叫んだ。
そして、ふと我に返る。ここは? ・・・ここは、リネアナさんの家の布団だ。見てみると、汗で布団がぐっしょり濡れていた。
そして、はっと自分が叫んだことを思い出し、リネアナさんの方を見た。
その、瞬間。
「っ!?」
優しく、抱きしめられた。
「・・・大丈夫よ。カゲハ」
「リネアナ、さん?」
「大丈夫。ここにはもう、何も怖いものは無いわ。もう、怯える必要はないのよ」
「わ、私・・・」
「大丈夫。大丈夫だから・・・」
リネアナさんは、ひたすら大丈夫といって、私を抱きしめ続けた。
彼女の胸の鼓動が伝わってくる。肌の温もりを感じる。とっても、心地好い。また、胸がざわつく。
「カゲハちゃん。ちょっと外に出ないかい?」
すると、アルドさんがそんな事を言い出した。「そうしましょう」と言って、リネアナさんも私から離れて立ち上がる。そして、優しく外まで私を引っ張っていってくれた。
それから、村の近くの湖まで来た。
月の光に照らされる湖面が美しくて、気づけば私の心は落ち着いていた。
「カゲハちゃん。俺とリネアナは、人族に故郷を奪われたんだ」
「えっ」
「二人で逃げて、逃げて逃げて、その先にこの村に辿り着いた。初めは苦しかった事や辛かった事ばかり思い出して、夜も眠れなかった」
アルドさんは優しく語りかける。
「だけど俺にはリネアナがいたから、何とか笑っていられた。愛する人がいれば、人はどんなに苦しくても強くなれるんだ。その相手は、別に俺たちじゃなくたっていい。今すぐじゃなくてもいい。きっと、これから君は誰かを愛して、強くなれる。ここにいれば、きっと何かを愛せるはずだ」
「っ・・・」
「だから・・・えっと、うーん。どう言うのがいいのかなぁ。まずい、上手くまとめられん」
最後、丁度いい言葉が見つからなかったのか、アルドさんは慌てだした。困ったアルドさんをリネアナさんが笑いながらつつく。
「ははは! まったく。格好つかないねぇ」
「うるせー」
その姿が、なんだかおかしくって・・・
「ふふ」
私は、思わず笑った。
人間が嫌いとか、獣人が嫌いとか、そんなことは分からない。ただ、私は・・・今目の前にいるこの人達が、好きだと思えたのだ。
この二人のおかげで、私の毎日は、これまでとはずっと違うものになった。いや、二人だけじゃない。レイヴンさんも時々来てくれるし、村の人達はみんな優しい。
胸がざわつく。
きっとこの感情は─────幸せ、と言うのだろう。この気持ちを、二人に伝えたい。だから、私は・・・
「あの、二人とも・・・・・」
声を掛けようとした、その瞬間。
優しい笑顔を浮かべていたアルドさんが、突然倒れた。続けて、隣にいたリネアナさんも倒れる。
「え? ど、どう、した・・・の・・・・・・」
背中には、大きな傷があった。そこから、どくどくと血が勢いよく流れ出ている。
・・・何だ、これ。何が起きた?
何が起きてる?
どうして、こんなことが?
だれが、こんなことを・・・・
私は、ゆっくりと顔を上げる。暗い暗い景色の中、鋭い光が二本、私の視線を吸い込んだ。
それは、剣だった。
鋭い剣先からは血がポタポタと垂れている。そして、それらは二人の人間が手にしていた。倒れる二人を見下す、二人の人間。
頭の中がぐちゃぐちゃして、何もわかんなくて、でも、これだけはすぐに理解した。
人間が、二人を斬ったんだ。