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狐のあくび  作者: はしご
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第9話「壊れて壊れて壊して」


 その日は、雨が降っていた。


 桶の水を天からひっくり返したような、酷い土砂降りだった。こんな雨を見ていると、気持ちが重くなってくる。


 まるで私の心を見せられているみたいだ。しかし、そんな雨音をかき消すような声が、屋敷に響いた。


「いやぁ! 助けてええええええ!!」


 聞き慣れない声。この屋敷の奴隷にしては珍しい悲鳴。・・・そういえば、今日はご主人様が新しい奴隷を買ってくる日だった。


 見てみると、兎の耳が生えた少女が拷問部屋へ連れて行かれようとしていた。


 買われたばかりの奴隷はまだ、ご主人様からの”教育”を受けていない。一度教育されてしまえば、もうあんなふうに抵抗することは出来ないだろう。


「・・・やだな」


 ご主人様の教育は、回を追うごとに酷くなっていっている。きっとあの子は、私よりも酷い拷問を受けることとなるだろう。


 そして、私のように、何もかもに怯え、恐怖する、臆病で惨めな奴隷に成り下がるだろう。


 私みたいな奴隷がまた一人、増えることになる。


「狐?」


 隣から赤猫さんの声が聞こえる。


 心配と焦燥の混ざった声音だった。でも、私はそれを無視して前へ進んだ。


 私はあの兎の子と面識なんてないけれど、彼女が死よりも辛い地獄を味わう姿を思い浮かべると、じっとしている事なんて出来なかった。


 ゆっくりと、私はご主人様の元へと進んでいく。



 ・・・もう、嫌なんだ。


 傷つけられるのも、私と同じように傷つけられる人を見るのも、もううんざりだ。





 終わりにしよう、何もかも。





「・・・私は、自由になるんだ」


 私はゆっくりと目を閉じて、意識を集中させた。


 これは賭けだ。失敗したら、きっとこれまで以上に辛い拷問を受けることにだろう。でも、それでもやるしかない。


 私は全身の魔力の流れを感じとる。ずっと練習してきたから、今では相当精密に把握することが出来るようになった。


 私の体内で、どんな魔力がどこをどのくらい流れているのか、手に取るように分かる。



 二つの違和感を見つけた。


 気持ちの悪い、二つの枷だ。それらが私の魔力に干渉している。だから、今度は私が干渉する番だ。


「・・・こんな重い鎖は、もういらない」



 ──────パキンッ!


 二つの枷が、壊れる音がした。





 気付けば、恐怖は消えていた。





「おい、狐。お前何をして」

「うるさい」

「──────え?」


 瞬間、半透明の白い弾丸が私の右手から放たれた。


 それは瞬く間に空を切り、ご主人様の・・・いや、リボルトの肩を穿った。肉を抉り、骨を貫き、血が噴き出す。


「ひ、ひぃあああああああああああああああああっっ!」


 リボルトの情けない絶叫が屋敷に反響する。


 ・・・きっとこの人は、痛みを感じたことなんて殆どないのだろう。慣れない痛みに、リボルトは無様ったらしく倒れて悲鳴をあげた。


 まったく、”こんな程度の痛み”で苦しむなんて。馬鹿らしい。


「き、貴様何をした!? 奴隷刻印があるのに、何故私に攻撃できる!? いや、それ以前に何故獣人が魔法を使える!?」

「だから、うるさい」

「ぐあ!?」


 今度は左足を撃つ。


 私の手から放たれるこの弾丸は、何も特別なものじゃない。当然、魔法なんかでもない。この日、この瞬間の為にずっと練り上げてきた、ただの《魔力弾》だ。


 弱い獣人に唯一できる魔力の技、惨めな悪足掻きでしかない。


「おの、れぇ!」


 リボルトは雄叫びをあげて、腰から提げていた短剣を抜いた。


 ・・・へぇ、あれ、てっきり飾りか何かかと思ってたけど、ちゃんと使えるんだ。だけど、彼がその剣を振るう前に、私は剣を撃ち抜き刀身を破壊する。


 私の魔力弾は、超小型でありながら相当な魔力を凝縮してある。その速さ、強さは、リボルトではどうにも出来ない。


「なっ。・・・は、はは。どうやって隷属魔法や奴隷刻印による縛りを突破したか知らんが、私に逆らっておいてタダで済むと思うなよ! ─────風魔法【風刃】!!」


 今度はリボルトが手を私に向ける。


 その時、瞬時に彼の手から魔力が放たれるのを感じた。そして、風の刃が飛んできた。


 魔法だ。


 まさか、リボルトが魔法を使えるとは思ってなかった。その驚きのせいか避けるのに遅れ、致命傷にはならなかったものの、風の刃は私の体を斬りつけた。


 だけど、あれ?


「・・・何も、感じない」


 斬られた。確かに私は今、斬られたはずだ。それなのに、少しも痛みを感じなかった。



 ───ああ、そうか。


 この程度の痛みなんて、もう感じなくなってしまったのか。


 こんなもの、痛みとは呼ばない。彼から受けた傷は、もっと痛かった。だからこんなのは、痛みじゃない。


「は、はは。あははっ!」


 その瞬間、私は笑ってしまった。でもそれは、中身のない空虚な笑いでしかない。


「なんだ、お前? 何故斬られて笑える?」

「・・・何でって、全部あなたのせいでしょ?」


 喉のつっかえが取れたように、私の言葉は淀みなく溢れ出す。


 そうだ。何がまだ壊れてない、だ。私はもう既に、取り返しのつかない所までぶっ壊れてしまったのだ。


 痛みを痛みと感じず、あんなに強かった恐怖ももう感じていない。あるのは清々しいまでの殺意だけ。それ以外の何もかもが殺意に飲み込まれ、擦り切れてしまっている。



「私、もう狂ってたんだ」



 あの地獄で私は何度も壊された。


 壊れて、


 壊れて、


 壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて壊れて────





 ─────ああ。やっと、壊せる。





「・・・はは。あはは。楽しみだなぁ・・・今まで私を苦しめてきたあなたに、どんな苦痛を与えてあげよう?」

「や、やめ・・・」

「そういえば、最初に指を折られた」

「ぐ、ぎぃあっ!?」


 彼の人差し指を握り、思い切り折る。


 魔力操作による身体強化のおかげで、私の細腕でも人の骨を折ることなんて造作もない。あんなに大きく感じたリボルトの手が、今ではとても弱々しく思える。


「腕を斬られた。足を折られた。目を潰された。爪を剥がされた。皮を千切られた。鞭で打たれた。火で炙られた。息を止められた。脈を断たれた。脳を貫かれた」


 何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、教育という名の拷問を受けた。


 痛かった。


 辛かった。


 苦しかった。


 逃げたかった。


 でも逃げれれなかった。


 痛みが、恐怖が、どうしようもないほどの絶望が、私の全てを支配した。


 ・・・二年間だ。二年間も、あんな地獄にいたんだ。


「ゆるじ、でぇ!」

「何度そう言っても、あなたは・・・許してはくれなかった!」


 私は何度もリボルトを殴り、蹴り飛ばす。


 ここに拷問器具なんてないから、単調な痛みしか与えられない。でも、それでいい。今はとにかく、この感情を吐き出したい。二年間抑え続けてきたこの苦痛を、ぶつけてやりたい。


「何で私があんな目に遭わなくちゃいけたかったの!? 私が何したっていうの!? ・・・私は何もしてない! 何も悪いことなんてしてない!!」


 感情が抑えられない。怒りや憎しみが、溢れ出して止まらない。だけど、なんだろう。それらとはまた別の感情が湧いてくる。


 鼓動が早くなり、胸が熱くなる。


「・・・痛い? 痛いよねぇ? でも私はもっと痛かった。もっと苦しかった! こんなの、痛みとも思えないほどに、痛くて痛くて仕方なかった!!」

「うああぁっ!」


 リボルトの表情が苦痛で歪む。それを見ると、どうしようもなく感情が昂ってしまう。



 私はこの日のために、こっそり彼の回復薬を盗んでおいた。この男に、私がこれまで受けてきた苦痛の全てぶつける為に。


 そんな簡単に死なせてやると思うなよ。


「・・・そうだ。もっと傷つけ。もっと苦しめ。もっと喚け。壊れろ。壊れろ! お前が私をこんな風にしたんだ! 全部お前のせいなんだ! 何もかもお前のせいだ! だから、お前も壊れろ!!」


 これさえあれば私は何度でも彼を壊せる。


 殺すなんて優しい真似はせずに、徹底的に、この男に私がやられてきた分の全てを、全てを────





「──────は、はは。・・・馬鹿だなぁ、私」


 目の前の男は、もう動かなくなっていた。対して手元の回復薬は一切使われていない。


 あーあ。どれだけ恨んでも、どれだけ憎んでも、私は彼のように非道にはなれなかったらしい。





 こんなにも呆気なく、殺してしまった。


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