行き先
今日も昨日もきっと明日も何一つ変わらない日々。
頬杖をつき、窓の外を眺めていると、一羽のスズメが視界を横切った。
すぐそこの世界なのにとてつもなく遠く感じる。
空はこんなに広いのに教室という狭い枠の中に閉じ込められた私たちは何をしているのだろう。
見えない鎖に繋がれて自由に動けない。
まるで刑務所だ。
「2年になってもう半年たった。まだまだ先のことだと思っているやつも多いと思うが、冷静に考えてみれば推薦入試を受けるやつはもう1年を切っている。そろそろ自分の将来を真剣に考えてーーーーーー 」
自分の将来。
行きたい大学。
就きたい職業。
何も見えない。
どうしていいか分からない。
自分はこの先どうなって行くのか、どうなりたいのか全く想像出来ない。
私はこれからどうするべきなのだろうか。
答えのある問ばかりを投げかけておいて、最後は答えなんかない超難題を放り投げるのはあんまりじゃないか。
「進路希望調査」と書かれた紙にはペラペラなくせに
「答えは自分の中にある」なんて偉そうなことが書いてある。
「どうするぅー」
真剣に考える様子をひとつも感じられない口調と態度で声をかけてきたのは、隣の席の咲来だった。
「どうしようかねぇー。お兄ちゃんと一緒の所行くーとか呑気なこと考えてたけど今の学力じゃ100パー無理だし」
笑い混じりだが自分なりにきちんと考えたつもりだ。
「いやいや、お昼の話。購買のカレーパンかメロンパンどっちにする?」
やられた...。
やはりこの子は進路のことなど考えていなかった。
いるわけなかった。
「ねー。咲来はなんか将来のこと考えたりしてんの?」
購買へ向かう階段は上りの大行列が出来ていた。
この調子だとおにぎりしか残っていないかもしれない。
「あたしはとにかくこのド田舎から出て都会に行く!」
完全に聞く相手を間違った。
「とにかく県外の大学に通って!とにかく都会で就職して!とにかく!ーー」
「はいはいはい、分かったから」
相変わらず真っ直ぐな子だ。
やりたいことは必ず実現する。
意志を曲げない。
それが咲来だ。
「そんなに深く考えなくていいんじゃない?」
ふと彼女が口を開いた。
「成るように成るさ!」
チラッとこちらを見て階段を1人かけ降りていった。
「ただいま」
静まり返った家の中。
うちに「おかえり」というやまびこシステムは無いのだ。
父は工場務めで帰りが遅く、一日で会えるのは朝の時間だけ。
母は隣町で仕事をしているためこちらも帰りが遅い。
兄は去年上京し、東京の大学に通っている。
そんなこんなで帰宅時はいつもひとりなのだ。
静かな空間に自分の足音だけが響く。
今月の集金代が書かれた紙と封筒、ポストに入っていたチラシをダイニングテーブルに広げた。
「『ハヤセ美世様』?」
チラシに混じっていたのはボロボロの封筒だった。
「ハヤセ...美世...」
何度か呟いてみたがやはり私宛だ。
とりあえずそのむぎ茶が染み込んだような封筒を片手に
2階の自分の部屋へと階段を上った。
「ハヤセ...ミヨ...」
どこかこの文字はイントネーションが違う気がする。
しっくり来ない。
でも不思議とこの封筒には馴染んでいる。
封筒の中身を確認してみると、そこには見覚えのある風景が描かれていて、絵は途中で途切れていた。まるでもう半分見つけろ、と訴えかけているように思えた。
裏には識別できない文字のようなものがずらりと並んである。
「なにこれ...」
なんだか不気味に思えた私は中身を封筒に戻してゴミ箱へ手を伸ばした。
「ーーーよ!ーーーぃよ!美世ー!」
「うーん...」
上腕に垂れたヨダレがひんやり冷たい。
制服のままベットに身を任せ、そのまま寝てしまっていたのだ。
辺りはすっかり暗く、時計の針は8を指している。
「ご飯できたわよ!さっきから何回も呼んでるのに!返事くらいしなさいよ!」
「... 」
食卓に行くと大きなアジの開きが迎えてくれた。
「どうだ、でかいだろ。お隣の阪井さんから頂いたんだ」
嬉しそうに話す父。
今日はいつもより帰りが早かったようだ。
魚を貰うことはこの町では日常茶飯事。
なぜならここは港町。
周りに漁師さんが多いのだ。
「いただきます」
3人揃ってご飯を食べられる時間はなかなか無い。
それなのに何故か食卓は明るくはなかった。
アジの開きに箸を付けた瞬間、弾力のある身が箸を跳ね返した。
「これ、今日配られたの?」
母がペラペラ進路希望調査くんをテーブルへ持ってきた。
絶対に見られたくなかったものが見られたくなかった当本人の手元にある。
やらかしてしまった。
集金袋たちと一緒にテーブルに置いてしまったのだろう。
「あ、うん」
「どうするの。進路。お兄ちゃんと同じ大学なんて無理よ。そこそこの大学に行って、なるべく安定した仕事に就ーー」
「また出た。『そこそこの大学』、『安定した仕事』それが美世に合ってるって」
「お母さんはね、美世を心配して言ってるの」
心配?どこが?ただの押しつけでしょ?
「本人の意見も聞かずに?」
「ずっと美世を育ててきたから分かる。美世にはそういう道が合ってると思っーー」
分かる?我が子の気持ちなんて1ミリも分かろうとしてないのに?
それは"分かる"じゃなくてただの"決めつけ"だ。
その瞬間、ピンと張っていた糸がプツンと大きな音を立てて切れた。
「『分かる』って何よ!これでわかってるつもり!?お兄ちゃんの方が優秀だからって私はどうでもいいの?」
頭に上った全身の血が沸騰している。
「おい、美世。お母さんももう辞めなさい」
こっちだって辞めたいさ。でももう治まらない。
「出来の悪い娘ですみませんね!」
もうその場に居ることに耐えきれず、気づくと勢いよく玄関を飛び出していた。
「はぁー」
着いた溜め息は星空に吸い込まれて行った。
「綺麗」
もう一度深い溜め息を着いてゆっくり歩き始める。
この坂、もう何回上下したことか。
この町の子はみんな1度はこの坂で転んだことがあるんじゃないだろうか。
急斜面ではないのだが、自転車勢のメンタルを削るには充分な角度と距離。
私も派手に転んだことが何回かある。
坂の中間には駄菓子屋さんがあってそこが町の子どもたちの憩いの場。
小中学生の頃はもちろん、高校生になった今もお世話になっている。
坂を下り終わり、ゆっくり振り返る。
誰の気配もない静かで暗い坂を見ると目の奥から込み上げてくるものがあった。
やっぱり私は要らない存在だったのだろうか。
行く宛てもない道をただただ歩く。
重い足を引きずりながら。
止まってはいけないようなそんな気がして。
この先には町の子どもたちから恐れられている"おがね坂"が待っている。
「おがね」というのは「おっかねー」(恐ろしい)から来ているそうだが、年々濁って「おがね」になったそうだ。
この町にはたくさんの坂がある。
緩やかな坂から急な坂まで多種多様。
その坂たちの中でも1番斜面が急でおまけに緩やかなカーブ付き。そして、何より長い。
「下りの恐怖、上りの地獄」なんて合言葉まであるおがね坂。
そしてもうひとつ、この坂が "おっかねー" と呼ばれる理由がある。
それは坂の頂上にある薄暗い建物。
入口へと続く階段は背の高い草に覆われて見えなくなっている。
入口の横に立てかけてある大きな板の看板に何か書いてあるけれど、字がかすれていて読めない。
ひいおじいちゃんが言うには昔は図書館だった建物だとか。
奇妙でなんとも不思議な雰囲気を醸し出すこの建物を町の子どもたちは小さい頃から怖がってきた。
恐怖×恐怖を持ち合わせたこの坂は
まさに "おっかねー" のだ。
こんな真っ暗な中あの図書館は見たくない。
だけど気持ちとは裏腹に足は勝手に前へ進む。
ゆったりしたカーブに沿って一定のリズムを刻みながら歩く。
「えっ...」
一瞬目を疑った。
図書館の入口にほんのり灯りが点っているのだ。
この町は街灯が少ないためちょっとした灯りでもよく目立つ。
外見もいつもと違って綺麗で暖かい雰囲気。
逆により一層不気味さが増しているようにも見える。
誰かいるのかな?
不気味ながら興味をそそる。
私の足は気づけば図書館の目の前まで来ていた。
近くに来るとやっぱり綺麗になっていて、灯りがここから放たれていることが明確にわかる。
今までかすれて読めなかった看板には「海星図書館」とはっきり書かれていた。
そういえば昨日、町の会議でこの建物を解体することが決まったらしいとお母さんが言っていたような。
それで解体の準備とかしてるのかな?
それならわざわざ綺麗にしないよね...。
考えたって分からない。
「まぁーあたしには関係ないか」といつもならスルーするのに、今日は変だ。
興味が湧いて仕方がない。
なぜだろう。
こういう時人間は怖いと思うものに近ずきたくなってしまう。
ちょっと入るだけならいいよね...。そもそも鍵かかっていて入れないかもしれないし。
足の付け根あたりまである草たちをゆっくりとかき分けながら階段を登り、入口の目の前に立った。
恐る恐るドアのぶを握り、ゆっくりと捻る。
「キィー」
ドアが警戒の音を鳴らした。
「開いた.....」
冷え冷えとした夜風に身の毛がよだつ。
新しい世界への入口は暖かい桜の匂いがした。
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