<魔法の世界の一人の剣士>
家の中を埋め尽くす真っ赤なシャボン玉。
幻想的でもあるが、その色もあいまって猟奇的な風景。
それを作り出した少女は、動かなくなった僕の妹を足で踏みつけ、こちらを見つめている。
まるで金縛りにでもあった様に固まった僕に、一歩、また一歩と近づいてくる。
少女が魔法を唱えると、家の中には鮮血の雨が降った。
その雨の中笑う少女が脳裏を焼き尽くす────
それが最後の記憶。今から5年前、僕、宮永累が10歳の時の出来事だった。
*
「────こちら累、ターゲットまで残り距離300」
あと数十秒で、敵との交戦が始まるというのに心は凪ないでいた。この仕事をはじめて、もう5年の月日が経とうとしているのだからそれも当然だろうか。
ビルの屋上を跳び移りながらポケットに入れておいたメモと写真を取り出す。
今日のターゲットは#福地忠則、職業は殺し屋、火焔系魔法の使い手で顔の左に特徴的な入れ墨ありと……。
万が一にも間違ってはいけないので最終確認をする。あくまで念の為で、当たり前だが間違ったことなど一度もない。
もともとの依頼書にはここに書いてある以外にも、福地が犯した罪の数々や被害者のことも列挙されていたが、そんなことははどうでもよかった。
知りたいのはたった一つだけ────。
最終確認がおわると、胸のペンダントに手を当てる。
「父さん、母さん、力を貸してください。玲待っててね」
真っ白な小さな魔石をはめ込んだシンプルなネックレスが、生きる理由を思い出させる。もっとも、忘れることなど出来はしないのだが、それが戦う前の儀式だった。
心の中をあの日の憎しみで満たし雑念を排除する。そうすることで、戦闘モードへと移行する。
福地の他に、その部下らしき男が10人。これなら自分一人で問題ないだろう。
敵を双眼鏡で確認しながら連絡をいれる。
「────こちら累。ターゲット確認、戦闘を開始する」
突然沸きあがった殺気とそれが自分に向けられていることを福地も察知する。
部下達に指示し、陣形を組む。迫りくるその気配に向かって大量の魔法炎弾を乱発しはじめる。
その対応にこそ迷いはなかったが、福地は同様を隠せないでいた。殺気こそ感じるものの、迫りくるその敵から魔力を一切感知できないからだ。
魔法を使っての動きであれば、魔力の流れから敵の行動をある程度予測することができる。だが敵からはそれが一切感じ取れない。それが意味するのは敵が魔力を隠すことのできる圧倒的強者であるか、可能性は0に近いが本当に魔力を一切もたないただの人間であるかだ。
いずれにしても、予測不能の敵がいままさに自分の首をとらんと迫ってきているのは確かだった。
しかも、速い────
魔弾など意にも介さず加速を続ける。
その距離が迫るなか福地は敵の姿を視認し再び動揺する。
無理もない、自分を殺さんと襲いくる敵は、まだ15歳の少年だったのだから。
しかし、油断ならない。その少年が付けた腕章は「対魔士」のものだった。
それを目にした福地に、もう迷いはなかった。
この敵はやばい……。持てる限りの魔力を使って勝負に出る。
半径20メートルを業火の炎で焼き尽くす火焔系魔法『大地を焼く爆炎』の発動を決める。
しかし、この魔法は使用者の福地とてその焔に包まれるためただではすまない。ようするに自爆の魔法なのだが、発動すれば確実に敵を殺せる魔法でもあった。
敵からはいまだ一切の魔力を感知できない、恐らくは自分よりはるか上をいく強者。そんな者に後手をとったこの状況を切り抜けるには、もうその選択しか福地には残されてなかった。
不幸中の幸いというのか敵は剣を武器とする、近接系。魔法を使うとしても、その移動速度からして、身体強化系の魔法のはずだ。近づいてきたところを討つ先制の一撃、それに自分の命運を賭ける。
そう腹を括って、そのタイミングを逃さまいと敵に目を向ける。
自分に迫りくるその少年は、その容姿と白金の髪もあいまって、優雅でさえあった。しかし、その少年は顔色一つ変えずに、その剣を揮っていた。
人が人を殺すことに何も感じなくなるなど、それがどんなに恐ろしいことか福地だからこそ、そう思うのかもしれない。
福地とてプロの殺し屋、殺してきた人数も10や20の話ではない。しかし、そんな福地であっても人を殺めるときに何も感じないわけではない。罪なきものを手にかけるときは罪悪感も感じる。自分と同じような悪人を殺した時は、正義感にもひたる。
しかし、少年には殺気こそあるものの、そこには正義感や罪悪感、狂喜や憎悪といった感情がまるで感じとれなかった。殺すことだけを目的とした、まるで自分を迎えにきた死神なのではないかと思うほどだ。
その恐怖にのまれぬように冷静な部分を集中させ、敵との距離だけは正確に推し測る。
『まだだ、まだだ……』焦る気持ちを押し殺しその時を待つ。
一人、また一人と部下が斬られていく中、ついにその瞬間が訪れる────
少年が射程圏内に入ったその瞬間を、見逃さない。
「くらえ!大地を焼く爆炎」
眩い光が福地の視界を包む。そして身を焼き尽くす業火が……。
おかしい……、そう思い開いた福地の目に飛び込んだのは信じ難い光景だった。
舞い上がった業火を、少年が手にした剣で切り裂いているのだ。いや、切り裂くというより吸い込んでいる。剣に吸い込まれるように、立ち上った焔が次々に飲み込まれてゆく。
「ヴァンディカトーレ……」
その言葉が福地の脳裏をさえぎる。
#復讐者────罪を犯したものにのみ向けられる、純然たる殺意。
裏の世界でそう呼ばれる少年の話を、知らないものはいない。ただ、その話があまりに空想じみた話なので誰も信じていないだけだった。罪を犯すものへの戒めのようなおとぎ話、誰もがそのように受け取っていた。
魔力反応なし、白金の髪の少年、魔法を無効化する剣────目の当たりにした今でも幻想をみている気分だった。
しかし、魔力も切れ、動く力さえ残ってない福地には、最後の時を待つことしかできなかった……。
「一つ聞きたいことがある……。血の魔人を知っているか?」
穏やかな声に、澄んだ瞳で少年はそう問いかけてくる。だが、首元に当てられた剣は自分に助かる道がないことを告げていた。
「知りません……」
そう答えると、痛烈な痛みが全身を走る。首と体が分離する死の痛み、その痛みも一瞬のうちに福地は絶命する。それが殺し屋として名を馳せていた福地忠則の呆気ない最後であった。
「────こちら累。ターゲットの死亡を確認」
「────了解、お疲れ様」
そう連絡すると同時に、張り詰めていた殺気を解きほどく。そこに復讐者の面影はなく、さっきまでとは別人の、15歳の少年がそこにいた。
残った焔を魔剣で処理しながら、辺りの状況を確認する。建物は何個か倒壊していたが、人的被害はほとんどなかった。学生や主婦にいたるまで、しっかりと自衛の防御魔法を使えたのが功を奏したのだろう。さすがは魔法中央都市―東京といったところだろうか。
それにしても、今日のターゲットも血の魔人を知らなかった。もう5年も探し続けているのに情報は何も得られていない。これでは、何のためにこの仕事をしているのだろうか……。
そんな憂いを抱きながらも、結局戦い続けてきた。そして明日もまた戦う。それ以外に生きる意味などなかったから。
────今からちょうど100年前、人類は最後の一人が安らかな眠りにつくのを待って、魔人への進化を完了させた。進化は人類に魔法という奇跡をもたらし、科学に代わり、魔法による新たな文明へと舵をきった。
しかし、人類は魔人となっても、その本質は何も変わらなかった。まして魔法は、そのもととなる魔素の量や使える魔法の系統までもが生まれながらに決まってしまうものであった。
前時代的に言えば、誰もが核兵器を持ちえる世界であり、犯罪は凶悪化し、その闇は広がりをみせた。
その結果、従来の警察や軍隊では対応することが困難とない、新たに1つの国家機関が設立された。
それが国家機関「対魔人協会」。その協会に所属する対魔法犯罪隊士こそが「対魔士」である。
そして、その史上最年少合格者にして、裏の世界で『復讐者──ヴァンディカトーレ』と恐れられる少年。それが、宮永累だった。