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プルスウルトラ  作者: 橋本利一
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崩れゆく予兆

 冬が終わり、雪が溶け始め、若葉が芽吹き、桜が咲き乱れる皐月の北海道。出産と種付けが重なるこの時期は牧場が最も忙しい時期である。石井牧場の繁殖牝馬は十頭。ハクが死んでしまったので、走っていたハクの娘を繁殖として迎えてた。ハクの血は確実に次の代へと引き継がれていた。僕は出産ラッシュで夜も眠れない日々が続き、疲労困憊だった。せっかく、美浦トレセンで調教に行くようになっていたのに、最近はずいぶんとご無沙汰にしている。先生も春は仕方ねえなと休ませてくれているので、頭が上がらない。


 忙しい合間を縫って、僕は白夜と影縫の育成に精を出していた。大手牧場では一歳の育成を育成牧場に丸投げして、完全に分業化をしているのだが、オーナーブリーダーの石井牧場では、生産から育成、放牧、所有までを牧場のスタッフで行わなければならない。


 今日は腹帯を締めて、放牧地を歩かせる練習を行った。腹帯を締めて、背中に鞍を乗せるので、人を乗せるための前段階の重要なステップになる。


 僕が影縫を担当し、陽奈が白夜を担当する。腹帯は人間で例えれば、きついコルセットを腰に巻き付けられているようなもの。そんな状態では馬も苦しい。影縫は大人しかったが、白夜は苦戦しているようだった。


 四肢をばたつかせて、立ち上がったり、尻跳ねをしたりともう大変。


「来夢兄ぃ。陽奈じゃ、無理……」


 ベテランであるはずの陽奈が、根を上げるほどのやんちゃぶりに、ほとほと困っていると、いつの間にか北海道に来ていた紫都が鞭を持って、母屋から歩いてくるのが見えた。


「やっているわね」


「わあ、紫都姉ぇ。助けて、もう引き手を持っているのが限界。陽奈、このままじゃ踏み潰されちゃう」


「代わるわ」


 紫都は陽奈から引き手を受け取ると、鞭を白夜の方へちらつかせた。それでも白い馬体は暴れるのを止めない。


「一歳ってね。声も聞こえないし、見せ鞭も効かないの。だから、可哀想だけど、実力行使!」


 ピシリと馬体を鞭で打つ。すると、白夜はぴたりと動きを止めて、ギロリと紫都の方を睨むような

視線を向けた。


「乗るの難しそうね」


「かなり手こずりそうだな」


「それに比べると、影縫の方はずいぶんと大人しそうじゃない」


 影縫は我関せずといった具合に、放牧地に伸びる若草に首を伸ばしている。


「双子なのに、こんなにも違うと、走り方も変わってきそうね」


「紫都はどっちに乗りたい?」


「そりゃあ、断然乗りやすい方よ。あんたは、前に付けられる方でしょう?」


「まあね」


 僕は苦笑いを浮かべると、影縫の頭絡から引き手を外した。そして、そのまま放牧地へと放す。大

人しくなった白夜も同様に。こうして、しばらくの間、腹帯を着けたまま放牧して、環境に慣らして

いくのである。


 放牧地の奥の方へ消えていく二頭を見送っていると、エンジン音が聞こえてきた。見ると、黒塗り

のセダンが村道の向こうからトロトロと走ってくる。普段は、郵便局くらいしか来ないはずなのだが、最近では馬車やらセダンやら、色んな来客が増えたなあと感慨深げに見守っていると、石井牧場

の前で止まった。


「またあの女かァ? 来たら、陽奈がとっちめてやる」


 息巻いている陽奈の背中をがっちりと押さえ込んでいると、セダンから背広に身を包んだ男が降りてきた。髪はオールバックに撫でつけられ、銀縁の眼鏡に、赤い縞模様のネクタイを着けて、銀のアタッシュケースを持っている。都会にはありふれたサラリーマンの様に見えて、田舎の村では凄く浮いて見えた。


 男は僕らには目もくれず、母屋へ歩いて行き、インターフォンを鳴らした。出迎えた叔父さんの顔に笑顔はない。いつもより何倍もの渋面を作って、男を招き入れた。


 男の正体は誰だろうと三人で話し合うこと二十分。男は母屋から出てきて、叔父さんの方へ頭を下げた。そして、セダンへと戻ると、何事もなかったかのようにエンジンを吹かし帰っていく。


「何だったのかしら?」


 紫都が首を傾げていると、母屋の戸口で立ちつくしている叔父さんが目に留まった。


「行ってみよう。何かあったのかもしれない」


 僕は叔父さんの方を指さし、歩き出した。

 

 叔父さんは表情を硬くして、口元を真一文字に結び、腕を組んで、戸口に寄りかかっていた。僕たちがやってきた姿を見ると、険しそうな表情のまま、


「見てたのか?」


 と訊ねてくる。僕が頷くと、叔父さんはため息を吐いて、「入れ」と母屋へ手招きをした。


 居間のテーブルの前に腰掛け、陽奈が淹れてくれたお茶を啜る。春に採れたばかりの新茶の良い香りが鼻腔をくすぐった。


 叔父さんはお茶に手を付けず、みんなが見渡せる中央に陣取って、口を開いた。


「結論から言うと、融資を断られた」


「融資?」


「ああ、そうだ。石井牧場は銀行から融資を受けてやってきた。厩舎の修繕や放牧地の整備、飼料の買い付けに、繁殖や仔っこの導入。全ては金がかかる。とてもじゃないが、レースの賞金だけでやってはいけなかった。だから、銀行から融資を受けて、今まで操業してきたわけだ。それが、もう貸せないと断られた」


「返済を滞納していたのかしら」


 紫都が訊ねる。


「いや、毎月の返済は滞りなかった。俺はオーナーブリーダーとして、生産した馬を自分で所有していたが、半分くらいはよそに売ったりしてきた。それに、うちは放牧地が広いから、よその馬に貸したりする収入もある。あとはレースの出走手当や賞金だな。収入をどうにかやりくりして返済してきたつもりだった」


「おっ父ぉ。どうして、ちゃんとお金を返していたのに、もう貸さないなんて言われたんだ? おかしいだろう」


 陽奈の言うことは尤もだ。滞納していたのなら分かるが、きちんと返済をしていたのなら、融資を断られるはずはない。


「うむ。分からんのだ。表向きには、事業計画の先行き不安による打ち切り。とあったんだが、さっき来た山岸さん曰く、なんでも、上からの指示らしい」


 上からの指示。どうにも、きな臭さを感じる。


「全く、弱ったもんだ。厩舎の屋根を修繕したばかりだというのに、資金繰りが厳しくなるな。お前たちの給金も下げざる得ない」


「えー陽奈の給料も? そんなー。ひどいー」


 陽奈が頭を抱えて、うずくまる。


「とりあえずだ。今まで以上に締めていかねばならん。最悪、牧場を手放すことにもなりかねん」


 石井牧場は叔父さんの代で三代目だという。紡がれてきた血が終わってしまう。それだけは避けなければならなかった。


 牧場の給料が下がっても、僕は牧夫を辞めなかった。騎手をやりつつ、牧夫も続けるのは大変なことだったが、どちらも金になる。

 この物語は『インフルエンサーノベリスト』橋本利一の提供によってお届けしております。インフルエンサーノベリストとは自分に影響力を与える物語を自分で書く、影響力は伝播するからきっとあなたにも届くはずをキャッチフレーズとして執筆活動を発信する小説家という意味です。

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