双子馬の伝説
「アラビアンは最も運が良い馬。数千の弓矢や剣が切り結ぶ中を疾駆し、生き残り続けた。艶光りする美しい鹿毛の馬体は、敗者の血に染まり、漆黒の馬体となった。アラビアンは沢山の仔を残した。アラビアンの血を引かぬ馬は馬にあらず。そう謳われる世が到来した。しかし、神より使われし馬も、やがて死ぬ。アラビアンは親しくしていた牧夫に遺言を残した。『私が死んでその血を受け継ぐ仔の中に、何ものにも染まらない白き馬と、何ものにも染まらない黒き双子馬が生まれるだろう。その馬こそが、我が血を一番濃く受け継ぎ、次世代への担い手となるだろう』そう言って、アラビアンは息絶えた」
アンジェリカは歌い終えると、気持ちよさそうに深呼吸をした。
アラビアンは今から三百年ほど前に実在したといわれている馬だ。
現在、生産されている馬のほぼ全てに、アラビアンの血が入っていると言われている。
けれども、アンジェリカが話したお告げというのは、脚色された後世のおとぎ話に過ぎない。明確な文献は残っていないのだ。
「そんなのおとぎ話の世界だろう」
「そうです。わたくしも昨年まではそう思っていたのです。でも、お告げの通りの双子馬が誕生しました。順調に育っているようですね」
アンジェリカは紺碧の瞳をきゅっと細めて、他の馬に遅れてのんびりと水を飲もうとしている白夜
と影縫を見やった。
「どうして、うちに双子がいるって知っているんだ」
「わたくしにとってこの業界のあらゆる場所に目があり、耳があるのです。なんでも知っているし、知らなきゃいけないのです。それで、幾らで売り渡してくれるのですか?」
幾ら。その言葉で、ようやくアンジェリカの目的が分かった。
つまり、この女は白夜と影縫を金で買おうというのだ。
冗談ではない。白夜と影縫は放牧地での動きや、共に馬体も悪くない。将来は大物に化けるかもし
れないという期待感もある。
それに、なにより三人で交わした約束があった。
「白夜と影縫を売り渡すつもりはない」
断言するように、そういうと、アンジェリカは小馬鹿にしたように噴きだした。
「別に、下っ端の許可をとるつもりはないです。わたくしは双子馬の持ち主に……」
「俺に何か用か」
野太く張り上げた声が母屋の方から聞こえた。馬車の音を聞いてやってきたのか、叔父さんが悠然
とこちらに向かって歩いてくる。
アンジェリカは不気味な高笑いをしながら、上品に手を振って、叔父さんを迎えた。
「ふふふ。あら、お久しぶりですね。石井。ハクが死んだのですってね」
叔父さんは、アンジェリカの方を今までに見たことがない凄みのある目つきで、睨み付けている。
「相変わらず、生意気な口の利き方だな小娘」
「口を慎みなさい。石井。身の程知らずです」
「何が、慎みなさいだ。ちっちゃい頃は親の影に隠れてビービー泣いとったくせに」
流石は親子。陽奈の口の悪さもこの辺りから来ているのだろう。
アンジェリカは信じられないと言わんばかりに、大きな口を開けると、かちんと歯を噛み合わせて、ぎりぎりと歯ぎしりをした。
「記憶を消し去れ。抹消です……抹消!」
だんだんと白いハイヒールを擦りつけるように地面を踏みつける。芝が捲れて、土が剥き出しになり、ヒールの部分を茶色く汚していく。
「全く相変わらず、変わってねえな。で、何のようだ」
「単刀直入に言うのです。双子馬を売ってくださいませ」
「悪いが、あの馬は売らない」
叔父さんは考える間もなく即答した。
「どうしてですか? 破格の条件を付けるのです」
「破格の条件か。まあ、そいつは無理な話だな。俺は、お前のことが大嫌いだが、お前の馬を見る能力だけは買っているんだ。そいつが、大金積んで馬を買おうとする。あとは言わなくても分かるだろ
う」
アンジェリカの白い顔がだんだんと赤みを帯びてくる。
「頑固な親爺です。わたくしが再三指南してやったのに何も学んでいない。石井。あんたみたいな輩が時代に取り残されて……」
「学んでいないのはお前だ。小娘」
叔父さんはアンジェリカの言葉を遮り、半ば諭すような口調で言った。
「色んな牧場を回って、金をばらまいて、良い馬を根こそぎ持っていって、自分の馬だと威張り散らすのは本物の馬屋がやることじゃねえ。血統は育てるもんだ。じっくりと時間をかけて、良い馬に育てていく。それが生き物にとっては自然なことなんだ」
「うるさい、うるさいですわ」
アンジェリカは両手で頭を抱えて、もう聞きたくないと言わんばかりに身体をのけぞらせた。
「見るといいのです。この放牧地を、貧相な馬体を。経済のサイクルはもっと早いのです。そんなに悠長に構えているから、このざまなんです。石井が持っている馬が最後に勝ったのはいつです? 勝てない馬を作ることに何の意味があるのですか?」
「俺には、俺のやり方がある」
「ちっ、邪魔しましたね」
アンジェリカは長い金髪に手を当てて、風にさらりと流しながら、叔父さんに背を向けた。
この物語は『インフルエンサーノベリスト』橋本利一の提供によってお届けしております。インフルエンサーノベリストとは自分に影響力を与える物語を自分で書く、影響力は伝播するからきっとあなたにも届くはずをキャッチフレーズとして執筆活動を発信する小説家という意味です。




