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プルスウルトラ  作者: 橋本利一
15/35

アンジェリカ

「むぐむぐ……ウチにお客かなぁ」


「いや、もっと先の柴田さんとこじゃないかな」


「じいじの所か。あそこは良い血統が揃っているもんねぇ。なんたって、ウチのは古い血統ぉばっかだし」


「こら、そんなこと言うんじゃない」


 陽奈に軽い拳骨を食らわせているうちに、ようやく馬車が姿を見せた。


 健康そうな立派な栗毛の馬体を持った馬が二頭。遠目からでもよく調教、手入れされているのがよく分かった。恐らくは良い血統の出身だ。うちが手がけている血統とは明らかに筋肉の付き方がちがう。


 荷車も豪華絢爛だった。窓硝子以外は全て、贅沢な漆塗りだ。精緻な手仕事が施された壁面には馬の彫刻があり、所々に異国の文字が見てとれた。


 御者台には使用人然とした男が一人、馬を繰る長鞭を振るっている。


 今時馬車だなんて珍しいと思った。一昔前までは、この辺りでも馬車での移動が主流であったが、今はほとんどが自動車を使う。


 やがて、馬車は僕らがいる放牧地の前で止まった。


「あ、うちの前で止まった」


「来夢兄ぃ、あれは絶対偉そうな奴だぞ。もしかしたら、国家権力で、土地を奪い取りに来たのかもしれないなぁ」


「いや、それはないだろ」


 そうつっこむと、陽奈は舌を出した。


 男は御者台から降りると、荷車の方へ回り込んで恭しく礼をしながら、扉を開けた。


 荷車から降りてきたのは少女だった。


 年の頃は十代後半くらい。腰まで届く長い金髪が大きな白いリボンで背後に結われている。紺碧の瞳はまるで世界の全てを見通すように鋭い。着ているワンピースも白く、二段重ねの襞付きで、凪いだ風を優雅に纏っていた。腰はコルセットでも巻いているのか、きゅうと苦しそうなほどのくびれができており、その反動でまるで乳牛を思わせるかのように膨らんだ胸が更に大きく強調されていた。


「あ」


 見覚えのある顔だった。無論、直接話したことはない。しかしながら、競馬界に片足を突っ込んでいればその名前は聞いた事がある。


 アンジェリカ・ヴァンベリー。


 日本屈指の競走馬生産集団。ヴァンベリーファームのお嬢様。海外から強い種牡馬を何頭も輸入し、数々の名馬をターフへ送り出してきた。言わずと知れた最強集団である。


 アンジェリカは男に軽く声をかけてから、こちらに向かって歩いて来た。


 無遠慮な視線を辺りに向けながら、断りもせずに勝手に放牧地の柵を開けて、中に入ってくる。


 いくら田舎でも、柵の手前で呼びかけるのが礼儀ってものだ。他人の家に土足で踏み込んでいくやつがあるか。それとも、海外ではこれが普通だというのか。


 そんな文句が頭を過ぎる。


 アンジェリカは僕らの前で立ち止まると、スカートをちょんと持ち上げて、小首を傾げお淑やかな令嬢らしく一礼すると、口を開いた。


「わたくしの名前をご存じですか?」


 絹を裂くような甲高い声。異国人に多く見られる変な抑揚と日本語が入り混じったしゃべり方だった。それでも、失われない気品と他を圧倒する迫力はその服装と佇まいからくるのだろう。


「こんにちは、アンジェリカ・ヴァンベリーさん」


「結構ですわ。貴方、お名前は?」


「遊馬来夢です。一応、騎手をやっています」


「聞いたことありませんね」


 そりゃあ、そうだ。弱小騎手の名前なんざ。覚えているほうがおかしい。


「お前、えらそぉだぞ」


「間違えてはなりませんよ。わたくしは偉そうではなく、偉いのです」


「ふ、ふざけるなぁ」


 かぁと頭に血が上った陽奈が今にも飛びかかりそうな勢いだったので、慌てて首根っこを掴んで、引き留める。


「何すんだよ来夢兄ぃ」


「冷静になれ、陽奈」


「陽奈は分かるもん。こいつ、絶対悪者だもん」


 陽奈は暴れるが、アンジェリカはどこ吹く風で、再び放牧地を見渡す。


「それにしても、貧相な放牧地ですね。森を切り開いて、柵で囲っただけの空間。馬のことなんてこれっぽっちも考えられていませんね。土の質も最悪です。肥料は何年も撒かれていないですし、土地も休ませてない」


「なッ」


 ちらりと辺りを見渡して、少しばかり歩いただけで怒濤のだめだし。初対面であるはずなのに、高圧的な態度。出会ったばかりの紫都もそうだったが、女の子というのは、元来こういう生き物なのだろうか。


 アンジェリカは地面に視線を落とすと、しゃがみこんで牧草を数本抜き取った。


「アーチャードグラスとクローバーの混合ですか。安価で手に入りやすい牧草ですけれど、栄養分は空っぽです。あなたたちは頭も空っぽ、お財布も空っぽ、もしかして空っぽがお好きなのですか?」


 アンジェリカは抜き取った牧草を空に放つ。牧草は流れてきた風に乗って、少しだけ遠くへ飛んだ。


「おめぇ、無断でずかずか踏み込んで来て、文句ばかりだなぁ。冷やかしに来ただけなら、帰れよ」


 首根っこを捕まれたままの陽奈が吠える。全くその通りだ。


「わたくしとしては、指南しているつもりです。ですが、聞く耳すら持てないのですね」


 アンジェリカは露骨にため息を吐いて首を振ると、ようやく本題に入った。


「あなたたちはお告げを知っていますか?」


「お告げ?」


「そうです、この地に舞い降りた三大神馬の一頭【アラビアン】が残した伝説のお告げです」


 アンジェリカはそう言うと、声色を変えて、朗々と歌うように伝説を語り始めた。


 この物語は『インフルエンサーノベリスト』橋本利一の提供によってお届けしております。インフルエンサーノベリストとは自分に影響力を与える物語を自分で書く、影響力は伝播するからきっとあなたにも届くはずをキャッチフレーズとして執筆活動を発信する小説家という意味です。

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