90 誰にも渡したくなかった
ヒーローは若干腹黒です……。大丈夫な方だけお願いします。
ルーファスはもうマリアを傷つけたくはなかった。彼は自分の腕の中にすっぽりとおさまってしまうマリアの、柔らかな身体を抱きしめる。
この優しい温もりは、彼の話が終わった後も寄り添ってくれるのだろうか。ルーファスは不安になるが、それでも話しておかなければならないと思った。
「俺はクルーガー侯爵とまったく同じなんだ……。マリアの意思とは関係なく、お前を国に連れ帰って自分のものにしてしまう予定だった。何があっても、たとえマリアが嫌がったとしても、絶対に逃がすつもりはなかった……」
ルーファスは淡々と昔話をするように話し続ける。
「でも……今は違う。これからの旅の途中で、マリアに心から好きな男ができて、その男がマリアを幸せにできるなら、もう俺は無理やりお前を連れて行きはしない。侯爵を選んだとしても、マリアが後悔しないのならそれでいい」
実際ルーファスは、クルーガー侯爵のことをかなり認めていた。マリアはウィスタリア王家の血を引くといっても、今はただの没落した貴族令嬢だ。
マレーリーがいつの時点で爵位を返すのか、あるいは返したのかは、そのことを見届けないまま旅立ったルーファスにはわからない。
しかしどちらにしても、もともと貧困にあえぎ社交界デビューすらしていない子爵令嬢のマリアと、金も権力もある格上のクルーガー侯爵との結婚は、これ以上は望めないような良縁だと言って良かった。
彼は社交界きってのプレイボーイだが初婚で、容姿端麗にして頭脳明晰、領地経営や王宮の職務でもその辣腕をふるっていた。
それにルーファスが見る限り、彼は間違いなくマリアを本気で妻にと望んでいる。多少の浮気はするだろうが、わざわざ遠い町まで祖母のお見舞いに行くくらいなのだから、結婚すればマリアのことも大切に愛するだろうし、子どもでもできれば子煩悩な良い父親になりそうだとも思う。経験豊富で強引な侯爵だが、マリアは世間知らずで従順なので、かなり相性は良いのではないだろうか。
マリアの父親のギルバートが、侯爵との結婚に反対したのは、ギルバートが生きていれば自分とほとんど歳の変わらない散々女遊びをしてきた男よりも、もっと娘に合う相手を見つける自信があったのだろう。
ルーファスは侯爵のことを、内心ではマリアにとって悪くない相手だと認めてはいたが、それでもマリアを旅に連れ出したのは、ただ彼女を侯爵に渡したくなかったからだ。いや、侯爵だけではなく他のどの男にもマリアを渡す気はなかった。
ルーファスはマリアをこの手に抱くために、親切なふりをして純粋な彼女をここまで連れてきたのだ。マリアも望んでルーファスについてきたとは言え、なんて強引で自分勝手だったのだろうと彼は思う。
ルーファスはマリアに静かに話しかけた。
「マリアは……容姿だけではなく心も何もかも、誰よりも本当に綺麗だと思う。だからこそお前は、俺の目的も何も知らないまま、慣れない旅でつらいことも多かっただろうが、文句1つ言わずにここまで一緒に来てくれた。マリアが男として俺のことを好きになってくれたこともわかった。もうこれで……俺も満足しないといけないのかもしれない。
この数日マリアが落ち込んでいるのはわかっていたが、まさかここまでマリアを悲しませているとは思わなかった……。だからせめて罪滅ぼしに、マリアを俺から解放したい」
予期せぬ言葉に、またマリアはあの朝帰りの日の捨てられた仔猫のような瞳で、ルーファスを振り返った。彼女の瞳の中の動揺を敏感に感じとった彼は、マリアの華奢な手に自分の手を重ねた。




