77 髪を切る決断
アストリア王国及びその周辺諸国は共通の文化圏に属している。その文化圏に属する者にとっては、長い髪は女性の絶対的な美の基準の1つであった。
デリシーの言う通りに髪を短く切ってしまえば確かに女性には思われないだろうが、何事も素直に聞き入れるマリアでさえも、その要求を受け入れることは躊躇われた。
「ここから王都への道は野盗が多く出るわ。女がいるってだけで野盗の目の色が変わるのよ。ましてやマリアちゃんは目立つんだから、こちらとしては少しでもリスクは減らしたいわ」
デリシーはマリアに決断を迫るが、ルーファスはマリアの気持ちを考えると無理強いはしたくなかった。
「俺がマリアのことは絶対に守ってやる。デリシーの言うことは気にしなくていい」
近くのテーブルを拭いていたトムが、手を止めて3人に寄ってきた。彼らの話をしっかり聞いていたようで、トムは鬚を撫でながら人の良さそうな顔を曇らせて言う。
「デリシーも言い方がきついんだよ。たしかに野盗は男だけだったら、抵抗せずに金目のものさえ置いていけば、命まではとらないことが多い。
でも女がいるとそうもいかない。男は殺され、女はアジトにつれていかれて死ぬよりも辛い目に遭うと言うよ。
だから護衛をあまりつけられない旅の場合、女性が男装することはそう珍しいことではないだろう。
それに最近の野盗はますます凶悪化していると、この前うちの宿に泊まった人も言っていたよ」
「だからと言って、旅のためだけに女に髪を切らせるなんて聞いたこともない」
トムは説得するように更に言葉を続けた。
「質の悪い絡み酒に一晩付き合ってまで、わざわざデリシーに旅の同伴を頼んだってことは、ルーファスだってマリアちゃんを連れての旅がどれだけ危険かわかっているんだろう?」
衝撃的な要求をなんとか自分の中で消化しようと考え込んでいたマリアだったが、食堂に流れる空気が険悪になったことを肌で敏感に察知した。
自分を庇ったせいで、ルーファスが彼の大切な恋人や知り合いと仲違いしてほしくなくて、マリアは慌てて決断を下す。
「わかりました。髪を切ります!」
「マリア……」
ルーファスは隣に座るマリアを痛わしげに見つめた。
「心配しないで。髪はまた伸ばせばいいだけだもの」
マリアはルーファスに心配をかけたくなくて、わざと明るく微笑んだ。
マリアのこの答えはデリシーを満足させたようだった。冷たかった目が一気に好意的に変わる。
「意外と根性あるのね。じゃあ、髪は明日私が切ってあげるし、服も急いで用意するわ」
「はい、何もかもすみません。よろしくお願いします」
話が終わり、ルーファスがマリアの肩に手を置く。
「マリア、部屋まで送るから」
そういって部屋まで送ろうとするルーファスに、デリシーが苦笑する。
「部屋までって、ほんのちょっとの距離じゃない。過保護すぎるわ」
彼がデリシーを睨むと黙ったが、マリアは居たたまれなかった。
「ルーファス……さん。デリシーさんの言う通り、大丈夫だから……」
マリアはルーファスの申し出を断ろうとしたが、彼はまたわずかに眉間に皺をよせると、さらうようにマリアを抱え込んで強引に食堂から連れ去った。




