71 道中の会話(ザクセンまで)
国境の検問所は、国境警備隊に馬車の中を改められはしたものの、特に問題なく通過できた。通告証を持っていて手配さえされていなければ、簡単な検査だけで済ませてしまうものらしい。
マリアは無事にアストリア王国を脱出したことに安堵の息を漏らす。あれほど故国を出ることを寂しいと思っていたのに、いざ抜け出せたらほっとしている自分がなんだかおかしかった。
「ねぇ、ルーファス、なぜ侯爵様はまだ私を手配していなかったの? それに通行証もいつの間に取っていたの?」
幌の中からマリアは気になっていたことを尋ねた。マリアは努めて普通に話しかけたが、内心では彼を見るだけであのときの熱が甦ってきて気恥ずかしい。
一方でルーファスは、あんなに情熱的な口づけを交わした後だというのに、いつもとまったく変わらなかった。
「通行証のことはまた今度話す。クルーガー侯爵がマリアの手配をしていなかったのは、あくまでもマリアの話からの推察だが、お前が俺と結婚していないという確信がなかったからだろう。
おそらくどこかで偶然、俺たちが夫婦として旅をしているのを聞いたが、それが事実かどうかわからないから、一旦サーベルンの屋敷に監禁して確認しようとした。
そこでマリアの態度からすぐに嘘だと確信した侯爵は、既成事実をつくってから、王都に連れ帰るつもりだったんだろう。一旦、身体を結んでしまえば、お前の性格上、その相手と結婚するだろうからな」
「私がもし、ルーファスと本当に結婚していたとなれば、人妻を手配することになって、侯爵様の方がまずい立ち場になるものね」
ルーファスは頷いた。
「でも侯爵様……ルーファスに気絶させられたあと、ピクリともしていなかったけど、大丈夫なの……?」
「また人の心配か」
彼は呆れながらも答えてくれた。
「相当強く殴ったから、しばらくは目を覚まさなかっただろうが、死ぬとか後遺症が残るわけではないから大丈夫だ」
マリアは明らかに安心したようだった。ルーファスとしては、マリアを奪われそうになった怒りで、あの男を感情のまま剣の錆びにしてやろうかとも思ったが、そんなことをすれば自分たちの未来がなくなるのでかろうじて踏みとどまった。
侯爵にとっても今回の顛末は不名誉なことなので、騒ぎ立てたりはしないだろう。
ふと、2人の間に沈黙が落ちた。馬車の車輪の音だけが辺りに響く中、マリアは彼に言っておかなければならないことがあると思った。
「ルーファス……さっきは、わがままを言って困らせてごめんなさい……。でも聞いてもらえてすごく嬉しかったの……」
これだけでルーファスはマリアの言おうとしていることがわかったようで、彼は「もう良い」とでもいうように軽く右手を挙げた。
(私はあなたに恋をしていると、やっと気がついたの。あのとき、自分でもなぜあんなに大胆になれたかは、わからないけれど……)
マリアは絶望的な危機に陥り、ようやく自分の気持ちを自覚した。
(今日の夜、あなたの恋人になりたいと伝えるわ。あなたは受け入れてくれるかしら……?)
マリアは初めての恋に浮かれていたので、早く気持ちを伝えたくて仕方なかった。
「それより、ここからザクセンまではまだ距離がある。今のうちにしっかり休んだ方がいい」
いつもと変わらず自分を気遣ってくれる彼の声を、マリアはうっとりとした心地で聞いていた。
ようやく育った恋の花が、儚く散ってしまうなんて、夢にも思っていなかったから。




