62 知らぬ間の婚約
マリアは最初、クルーガー侯爵の言葉を理解できなかった。彼と婚約関係にあったなんて、叔父のマレーリーは何も言っていなかったのだから。
「マリア、君は知らないかもしれないが、私たちは正式に婚約を交わしていたんだよ」
「嘘よ! そんな話は聞いていないもの……」
「マレーリー殿との間に既に話はついている。君が16歳になる前のことだ。もしかして君は知らなかった?
金に困って大事な姪を売ったなんて、さすがの彼も言えなかったのかもしれないが、それにしてもいい加減すぎる。王都に帰ったら問い詰めなければいけないね」
「叔父様が……私を……売った……?」
「君が私から逃げ出すのをマレーリー殿が許容したのも、自分の罪悪感に耐えきれなくなったからだろう。マリアも災難だったとは思うが、婚約は履行してもらう」
侯爵はそこまで話した後、マリアの瞳を試すように覗きこんだ。彼のエメラルドの瞳は底知れぬ大人の闇を孕んでいて、すっかり飲み込まれてしまったマリアは、目をそらすこともできない。
「婚約期間中に働いた不貞も罰せられるって、世間知らずのマリアでもわかっているよね? もし不貞が事実であれば、私から君を奪ったルーファスはただでは済まない。平民が貴族の婚約者を寝盗ったとなれば……なおさらね」
あの最後の晩餐の日、マリアに屋敷から逃げるように言ったのは叔父のマレーリーだ。しかし16歳未満の場合、婚約は保護者の同意のみで可能だ。貞操を守る義務も発生する。
もし侯爵の言う通り、マレーリーが、侯爵とマリアの婚約を許していたのなら、ルーファスと身体の関係を結んだと誤解されればどうなってしまうのか。自分のことはどうでもいいが、彼だけは罪に堕としたくなかった。
侯爵の瞳に囚われた哀れなマリアは、もう嘘はつけない。




