59 いつも通りの朝
夜が明け、いよいよアストリア王国に別れを告げる日がやって来た。検問所が開くと同時に、国境を越える計画をしている。
その日はいつもと変わらぬ朝で、ルーファスが馬車や荷物の準備をして、マリアはブラックにエサをやっていた。
「あなたにも首輪を買ってやらないといけないわね」
元気よく口一杯に頬張るブラックを眺めながら、マリアは優しく話しかけた。
ブラックにはマリアの淡い花柄のスカーフを折って巻いているが、時折ほどけてしまうので、首輪を買ってやりたいと思っている。
「ガルディア王国についたら買おうね」
「アォン!」
黒い毛並みに映えるのは何色だろうか、彼女がのんびりとそんなことを考えていたときだった。
地面を踏む幽かな音とともに、背後に人の気配を感じた。
マリアはルーファスが呼びに来てくれたのだと思い、スカートの裾を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。しかし振りかえると同時に、視界が背の高い何かで覆われた。
すぐにマリアは温かい布の感触を得て、誰かに抱きしめられていることを悟った。離れ離れの恋人たちの逢瀬のように、情熱的に固い胸板を押し付けられる。
(ルーファスじゃない……?!)
明らかに男性であるその誰かからは、重く甘い、官能的な花のような薫りがした。
マリアが懸命に身を捩り、腕の中から逃れようとしたとき、男と視線が交わる。
「あなたは……!」
驚きに開いた口元に何か布を当てられて、すぐにマリアの言葉が意識とともに儚く途切れた。そのまま男に抱きかかえられ、どこかに連れていかれてしまう。
薄らいでいく意識の中、ブラックの鳴き声がどこか遠くで響いていた。




