46 貴婦人
マリアはこの貴婦人にまったく見覚えはなかったが、クルーガー侯爵から逃げている今は、貴族との関わりは極力避けたかった。
しかし一目でマリアをこの街の人間ではないと見抜いたのだから、嘘をついて誤魔化せるような相手ではないのだろう。
マリア咄嗟に真実と嘘を半分ずつ混ぜて答えることにした。
「仰る通り、私は王都出身でございます。夫の家に行く旅の途中で、こちらの街に参りました」
彼女の話を聞いた貴婦人は残念そうに息を漏らす。
「あら、お若いのにもう結婚しているのね」
そのとき、なかなか現れないマリアを心配したルーファスが探しに来た。彼女が簡単に事情を説明すると、彼も一緒に謝ってくれる。
「こちらが、あなたのご主人ね?」
貴婦人はルーファスをしげしげと眺め、穏やかに微笑んだ。
「まぁ、とってもお似合いのご夫婦。すてきな旅になるといいわね」
そのまま去っていく貴婦人を見送りながら、なんのお咎めもなかったことに、マリアはほっと胸を撫で下ろした。
貴婦人は馬車の中で、隣に座っていた侍女に話しかける。
「ねぇ、あなたは見た? 驚くくらい綺麗な子だったわね。宮廷一の美女と言われる王妃様のお若い頃よりも美しいんじゃないかしら」
侍女は、誰かに聞かれていたら不敬罪にも問われかねない、女主人の話を黙って聞いていた。貴婦人は悩ましげに扇で口元を隠す。
「でも結婚してるのね、あれほどの子ならジェイクも結婚してくれると思ったのだけれど」
馬車が去った後、ルーファスは何か嫌なことをされなかったかをマリアに確認した。乱暴なことをされなかったか心配しているのだろう。
「ええ、馬車に乗っていた女性がとても優しい人だったから、御者にちょっと怒られたけど、それ以上は何もなかったわ」
「明らかに貴族だったが……知っている人か?」
マリアはゆるく首をふった。
「そもそも私は社交界にも出ていないから、貴族のご婦人の顔もほとんど知らないし、私のことも知られていないの。お父様とお母様のロマンスは有名だったみたいだから、そこから髪と瞳の色で、推測はできるかもしれないけど……。
でも前ウィスタリア王、私のお祖父様には、ずいぶん多くの御子がいたみたいだから、私みたいな人はたくさんいると思うわ」
マリアの話を聞いてもなお、ルーファスの不安は消えなかった。少しでも早く国境を越えてしまいたいと、彼は遠い東の空を見上げた。




