30 名前を呼んで
マリアは男に対する危機感も薄く、ルーファスと同じ部屋に泊まることにもまったく難色を示さなかった。
それには彼も拍子抜けしてしまうと同時に、何となく切なくなる。信頼されているのはわかるが、男としては立つ瀬がない……。
マリアが湯あみをして部屋に戻ってきたとき、ルーファスはベッドに腰かけて地図を見ていた。
「明日はどこまで行くの?」
地図を見ようと、マリアがルーファスの前に立つ。
「街道沿いにずっと進んでいけば、おそらく10日後くらいには国境は越えられるだろう。今日より明日は出る時間も遅いし、進める距離は短くなると思う。リザレの街まで行ければ十分だ」
ルーファスは地図を指差しながら言った。隣国までは東にほぼまっすぐ街道がのびており、要所要所には宿場町がある。マリアは地図を見ながら、彼に色々な質問を続けていた。
質問に答えながらも、ルーファスは目の前に立つマリアに視線を移した。
湯あみをした彼女の頬は薔薇色に上気し、濡れた金糸の髪が色っぽい。ほっそりとしているが女らしい身体からは甘い香りがして、頼りない素材の可愛らしい夜着は男の欲望をかきたてる。
ルーファスは、ベッドにいる男の前で無防備な姿をすることの危険性を、マリアが何もわかっていないことが気になった。
「それよりマリア、本当にお前は俺のそばを離れるなよ? 特に女の旅には危険が伴う。常に狙われてると思うくらいの覚悟で……」
半ば説教染みた調子で話していると、マリアが可愛らしく笑った。不可解に思っている彼をよそに、天使のような微笑みを浮かべる。
「ルーファスは……言葉づかいは変わっても、私のことを思ってくれるところは変わらないのね」
マリアは決意を込めて言った。
「実際もう私は、お嬢様でも何でもないのだから、夫婦のふりとか関係なく、一緒に旅をしているただのマリアとして扱ってほしいの」
そこでマリアは一息おいた、そして薔薇色の頬をさらに恥じらいに赤く染める。
「あなたに名前を呼ばれたのがとてもうれしかったから……。ダメ?」
「マリア……」
思わぬ可愛らしいおねだりに、ルーファスは頭がクラクラした。心臓を鷲掴みにされ、息苦しいほどの愛しさがこみ上げる。
(本当に……無防備すぎる……)
ルーファスは、理性がはち切れそうになるのを、自覚せざるを得なかった。




