27 王都脱出
皆の姿が見えなくなると、マリアは幌の中に身を隠した。王都を出るまでは静かにするようにと、ルーファスからきつく言い付けられている。
馬車の乗り心地は一般的に言えば、最悪だった。ほかの貴族令嬢ならば、憤慨して馬車から下りてしまうことが容易に想像できるくらいに、悪い。
しかしそんなことは、マリアにとっては少しも問題にならなかった。貧乏暮らしが長かったせいもあるが、彼女は何よりもルーファスに申し訳ないと思っていた。
宿直勤務あけから今の今まで、ルーファスはほとんど休めていないはずなのだ。その彼がこうして御者をしてくれていることを考えれば、マリアはいくらでも耐えることができた。
幌の隙間から王都の街並みが流れていく。じっと息を潜めていると、やがて王都の外に出た。王都が遠く霞むようになったとき、マリアが幌の中から声をかける。
「もう、顔を出しても大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
マリアが顔を出すと進行方向に朝焼けが見えた。御者台に座るルーファスの姿が眩しい。
「ルーファス、本当にありがとう……。きちんと御礼も言ってなかったと思って……。あなたがいなかったら、私、あのまま残って、あの人と結婚していたと思うの。王都から出たこともない私が1人でなんとかできるとは思えないし……」
ルーファスは後ろを振り返りもせずに答える。
「そうですね、お嬢様は世間知らずで純粋ですから、屋敷に残っていたらクルーガー侯爵に良いようにされていたでしょう。1人で屋敷を出ていたとしても、どちらにせよ悪い男に騙されて終わりでしょう」
優しいルーファスにはっきりと言われて、マリアは少し落ち込んだ。でも事実だから受け入れざるを得ない。
「両親もいなくて、家もなくて、身分もなくして、何にもなくなってしまったけど、その分できることは何でも頑張るから、だからしばらくは一緒にいさせて、ね?」
マリアがルーファスにお願いしたときだった。
「……ふふふ……ははは」
突然、ルーファスが壊れたように笑い出した。
マリアは一瞬戸惑うが、朝焼けを背後に振り返った彼の笑顔は、淡く橙色に染まり、驚くほど美しかった。
紺碧の瞳に宿る熱に魅入られたマリアは目がそらせない。2人の視線が絡み合った。
「そう、今のお嬢様には私しかいません。決して私のそばから、離れないようにしてくださいね」
ルーファスは、ずっとそばで大切に愛でてきた高嶺の花が、ついに今、自ら彼の手元に堕ちてきたのを感じていた。




