278 鈴はあそこに
「これを使いましょう」
マリアに手渡された紫色の小瓶を、カイは目線の高さまで持ち上げた。目の前で傾けてみると、液体の揺らめきがまだ中身が半分以上残っていることを教えてくれる。
彼は許可を取って蓋を開け、試しに手のひらでパタパタと臭いを嗅いでみた。柑橘を濃縮したようなツンと鼻につく臭いがして、思わずくしゃっと顔をしかめる。
「何だ、これ?」
「これは眠り薬なの。眠れない夜を一瞬に朝にしてくれる、とっても強いお薬なんですって」
「眠り薬ねぇ。紫色の小瓶って、なんだか怪しい気もするけど……。マリクは使ったこと、あるのか?」
マリアは緩く首をふる。でも彼女にははっきりとした自信があった。何せ唯一の身内のマレーリーが、彼の愛するクルーガー侯爵の手を借りて、マリアに託した薬だ。その効果を疑う理由はまったくない。
「怪しくないわ。でもとても効き目が強いから、私だったら1滴で充分なんですって」
「ふーん、それなら大男たちにはこの半分ずつ入れた方がいいかな。なんせデカいから」
「そんなに入れちゃうの? でも効かないと困るから、それくらい入れてちょうど良いのかしら? でもちょっと臭いがきついから、飲ませるのに苦労するかも……」
カイは小瓶を決意を込めて握りしめる。彼の気持ちは前向きなものへと変化していた。
「それは大丈夫だよ。言っただろ? あいつら、頭の方は弱いんだ。飲み物が変な味でも、どうせ気がつかないさ」
「そう……? なら何とかなりそうね」
「でも相当ぐっすり眠ってくれないと、鈴は探せなさそうだけどなぁ。肌身離さずもっているらしいから、寝ている奴らの全身をまさぐらないといけない。眠らない男がどれだけ寝てくれるのか、それは正直ものすごく心配なところだ」
そうは言っても、カイはこれより良い方法は思い付かなかったので、一か八かで賭けてみることにした。
「まぁ、やってみる価値はあるな」
「カイ。だからあなたも、私と一緒に逃げましょう?」
「……そうだな。2人で逃げよう」
そのとき、カイが素早くマリアから距離をとった。突然のことに彼女がきょとんとしていると、すぐに扉がノックされる。
入ってきたのは年嵩の女性と、香油やタオルがのったワゴン。いよいよマリアが美味しくいただかれるための、入念な下拵えが始まるのだ。
部屋からごく自然に消えたカイを見届け、マリアは女性に身を委ねた。
瓶の中身は媚薬です。叔父さんはマリアに託した訳ではないのですが、彼女は細かいことは知らないので、そう信じています。
夜這い失敗→クルーガー侯爵に没収される→新婚生活に飽きたときのために侯爵がマリアに渡す→その際の説明が不十分でマリアは睡眠薬だと思い込んだ
という流れです。
媚薬のせいで、マリアが危険な目に合うことはございません。安心してお読みください。




