248 ルーファスの過去1
「そうだな……」
ルーファスは少し迷っているようだった。
「マリアの気分が悪くなると思って、今まで積極的に話す気にはなれなかった。……だが、お前には1度きちんと話しておくべきかもしれない」
ルーファスがふと正面に顔を向けると、薄汚れた壁が目に入る。黒く染み込んでしまったその汚れは、いくら掃除したところで綺麗になることはないのだろう。
ぴったりと身体を寄せるマリアの温もりを感じながら、ルーファスはゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せた。
ルーファスは商家の長男として生を受けた。仕事熱心で子煩悩な父、美しくて優しい母、ちょっぴりわがままだけど可愛い妹。絵に描いたような理想の家族だった。
さらに彼が5歳のとき、弟が産まれた。まだ頼りない泣き声と赤みの残る小さな身体を、家族全員で取り囲む。ルーファスが「可愛いね」と母親に同意を求めれば、ほくろが魅力的な口元は上品に弧を描いた。
しかしその日は大好きな母親の笑みに違和感を感じた。彼女の瞳のその奥が、まったく笑っていなかったのだ。
弟を見るふりして目をそらす。無垢な瞳に映る動揺した自分。気持ちを落ち着かせて再び母親を盗み見た。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ慈愛に満ちた母親の姿……。
事件はルーファスが6歳になる少し前の、寒い冬の日に起きた。
その日は父親の誕生日プレゼントを買いに行くため、彼は母親との約束の場所でたった1人待っていた。
「お父様を驚かせるの。だからこのことは絶対に誰にも言ってはいけないわ。約束よ?」
誰にも言うなとの母親の言いつけを守り、こっそりと家を出た。白く色を変える息で、かじかむ手を必死にあたためる。約束を守ることに気をつかって急ぐあまり、手袋を忘れてしまった。
やがて景色と同化するような地味な馬車がやって来る。
「お母様は?」
ルーファスの質問にも、母親とよく一緒にいる年若い使用人の男は、答えの代わりに整った顔に薄っぺらい笑みを貼りつけただけだった。
今思えばすべてがおかしかったのに、明確な悪意に触れたことのないルーファスは気がつかなかった。あの当時、大好きな母親や顔見知りの使用人を疑う術など、持ち合わせてはいなかった。
暗くて狭い馬車の中、頭から被らされた毛布は臭くて湿っていて、息を吸うのも不快だった。それでも顔を出すなと言われれば、毛布の中で素直に踞る。
どれくらい経ったのか、いつの間にか眠りに落ちていたルーファスは乱暴に叩き起こされた。
見知った使用人の姿は既になく、状況もわからぬまま、突然現れた見知らぬ大男に目隠しをされ、猿轡を噛まされた。手足をきつく縛られ、食い込んで血が滲む。
追いたてられるように移動させられた馬車の中には、既に彼と同じような不幸な先客がいる気配がした。
すし詰めにされた馬車内でルーファスはひたすら揺られた。
そうしてたどり着いた先は、ガルディア王国王都シュバルツだった。
暗い話でごめんなさい。でもハッピーエンドしか書かないので、安心して読んでください。




