242 幼なじみが経験豊富ってなんか凹む
「び、びっくりしたわ……。突然大声出さないで。うん、実は私、婚約ホヤホヤなのよ」
マリアはほんのりと桜色に頬を染め、幸せそうに微笑んだ。花も羞じらう、その可愛らしい笑顔が、エドの心を容赦なく抉る。
「はぁ!? そんな顔して、惚気てんじゃねーよ!」
堪らず毒づいたエドを見て、マリアの表情が憂いを帯びた。
「エド……もしかして、不義理をしたから怒っているの? たしかにあなたに相談しておきながら、事後報告で済ませるなんて、良くないわよね……」
しょんぼりと肩を落とし、すがるようにエドを見た。清水のように澄んだ瞳に、男の嫉妬は映らない。喜びを共有できると勝手に確信していた相手に祝ってもらえない事実が悲しかった。
エドが椅子を元に戻して座り直したときには、マリアの頬に涙の道ができていた。
「……! 泣くなよ……!」
「……喜んで、くれなかったから……」
「ぐっ」
好きな女の涙に、揺さぶられない男はいない。でもその女の「初めて」が他の男に奪われたかと思うと、悔しさと怒りで煮えたぎり、頭から湯気が出そうだった。エドは感情が抑え切れない。
「バカマリア! 喜べるわけねーだろ!」
「そんな……」
「ぐわぁぁぁぁー! 本当に、どうして、どうして、あと1日待たなかったんだ!」
エドが鬱積した感情を撒き散らして咆哮した。
そのときだった。
『うるせー!』
ドゴォッ!
マリアは慌てて人差し指を唇に当てる。
エドの部屋ではない方の壁から響く、野太い男性の声と打撃音に2人は顔を見合せた。
「ハァハァ……! 壁、やっぱり、薄かったな」
エドは叫んで落ち着いたのか、肩で息をしながら声を落とす。
わずか1日の差で、マリア奪還の難易度が劇的に変わってしまったのだから、とても正気を保ってなんていられなかった。
マリアはエドに正対し、背筋をピンと伸ばした。大切な話をする合図だ。
「エド……今さらなのだけど、話を聞いてほしいの」
「……ああ」
エドは耳を塞ぎたくなる衝動を抑えて、ぎこちなく頷くと、マリアはこれまでの経緯を丁寧に話していく。
ルーファスとの間に誤解があったこと、お互いを想いすぎてかえって回り道してしまったこと、クルーガー侯爵との和解の末ようやく正式な婚約が叶ったこと。
話が終わったとき、エドは「そうか」と言葉少なに呟いただけだった。話している最中もルーファスのことを思い出すのか、マリアの顔は幸せそうに緩んでいた。慎ましいのに艶っぽいその笑顔は、エドには見せたことのなかった女の顔だ。
(あーあ、幸せそうな顔しちゃって、余程ルーファスさんのこと好きなんだな……。あの真面目で堅物のマリアが、結婚前に既に済ませちゃってるんだもんな……)
エドは虚空を仰ぐと目を瞑った。
マリアとは赤ん坊のときからの付き合いだ。そのマリアが、後から現れた手慣れた男に、毎晩ベッドの上で啼かされているなんて信じたくない。悪夢なら、早く覚めてほしい。
可愛い可愛い幼なじみが、いつの間にか経験豊富になっていたなんて、凹むしかない。
(マリアが娼館のお姉様方みたいな、お色気ムンムンなタイプだったら、ご指導いただくのは吝かではないんだけど、マリアにはそういう役割はまったく望んでなかったのに……。
むしろ知らないでほしかった。そうしたら俺がリードしつつ、2人で経験を重ねて……。はぁ……)
エドの肩に「婚約破棄」の言葉が重くのし掛かる。その言葉を口にするには、自信を喪失し過ぎていた。
エド、頑張れ(。´Д⊂)!




