241 あともう少しで間に合ったのに
イザークがマリアたちの部屋に来るとすぐに、ルーファスはそのまま彼と出掛けてしまった。どうやらオーランと約束している酒場で落ち合うらしい。マリアはまたしても留守番だ。
「エド? 少しお話したいことがあるのだけど。……いないの?」
エドに婚約の経緯を話すため、マリアは隣室の扉をノックしてみたが、一向に返事はない。
仕方なくマリアは自分の部屋へと戻り、何時になるかわからないルーファスを待たずに、寝る準備を始めた。
無遠慮に忍び込む隙間風が、湯浴みを終えたマリアの身体を震わせる。
トランクケースから上着を引っ張り出して、薄い夜着の上にそれを羽織ったところで、ふと気がついた。
(オーランさんの情報次第だけど、何もなければもしかしたら明日中に、ルーファスのご家族と会う可能性もあるのだわ。どんな格好をすれば良いのかしら?)
ごそごそとトランクケースを漁って、1番体裁が整って見える格好を考える。恋人の家族に初めて会うのだから、少しでも良い印象を与えたかった。
けれど、どれもこれもトランクケースに押し込んで一緒に長い旅をしてきたものだから、道のりの苦労を語るように、少しずつくたびれていた。
それに所詮マリアの服はどれも安物で、どれほど丁寧に扱っても、いくら補修技術があろうとも、間に合わない部分も多くある。
なんとか袖口にリボンがあしらわれているフェミニンで、まだ布に張りが残っている服を見つけて、ハンガーにかけた。少しだけ安心して息をつく。
(侯爵様の家を出るときの荷物の整理は、サクラさんがやってくれたのよね。イザーク様のお屋敷では慌ただしかったから、気にする余裕もなかったけど)
トランクケースを改めて開いてみれば、マリアの知らない紙袋がいくつか入っていて、その小分けにされた袋の中には、見慣れぬ菓子や可愛らしい髪飾りなど、女の子が好きそうなものが沢山詰め込まれていた。
さらにそのうちの1つには小さなカードが添えられていて、そこには几帳面そうな字で「親愛なるマリア様 これは私たちからのほんの気持ちです コウゲツ・サクラ」と認められていた。マリアの心がじんわりとあたたかくなる。
(コウゲツさん、サクラさん、本当にありがとうございます。あ、ここにも袋が……)
同じような大きさのピンクの袋を手に取ったとき、扉がノックされ、その向こうから覇気のない声が聞こえてきた。
「マリア? 俺だけど……。ちょっと話がある。入っていいか?」
「うん、私も話したかったの。散らかってるけど、どうぞ入って」
マリアはピンクの袋をベッドの上に無造作に置いて、エドを迎え入れた。隣室とほぼ同じ間取りの部屋を、彼が複雑な気持ちで見回すと、1つしかないベッドのシーツがまだ綺麗なのを見て、とりあえず安堵する。
「えっと、どこかに座って……と言っても座るところがないわね。うーん……ベッドとそこの小さな椅子しかないから、ベッドに座ってもらってもいい?」
マリアが自分が座る用に、脚が擦りきれてバランスの悪い椅子をベッド脇に置いた。
エドは湯上がりのしどけない姿のマリアを直視できなくて、足下に視線を落とす。見てしまうと後が辛い。上着があって良かった。
「ベッドは、ちょっとやめておく。俺は椅子でいい」
「座り心地が悪そうだけど、いいの?」
「なんかそこには座りたくないんだ」
そうしてすぐにエドが本題を切り出した。
「お前、本当にルーファスさんと婚約したのか? 手紙には失恋したって、はっきり書いてあったじゃないか」
「うん、報告が遅くなってしまって、ごめんなさい。実は、昨日の夜に、ルーファスと正式に書面でもって婚約したのよ」
それを聞いたエドは、凄まじい勢いで立ち上がる。
「はぁ?! き、昨日の夜だって! 超最近じゃねーか!!!」
椅子が撥ね飛ばされ、汚れの取りきれていない床に激しく音を立てて転がった。エドは顔面蒼白で項垂れる。
「……ありえねぇー。あと……あと少し早ければ……間に合ったのか……?」




