227 貴人たちの修羅場
絹を切り裂くような悲鳴を聞いたのは、翌朝まだ早い時間だった。はっきりとは聞き取れないが、何かをヒステリックに叫んでいるようだ。
「騒がしいな。様子を見てくる」
「待って、私も一緒に行くわ」
出立のため早めに支度をしていたマリアは、鏡台の前に座っていた。髪を器用に結い上げながら、鏡ごしにルーファスと目を合わせると、彼は軽く頷く。
マリアを下手に部屋に残すよりは、一緒にいた方が良いと判断したのだろう。
扉を開けるといよいよ騒がしい。イザークの屋敷はホールが吹き抜けになっていて、2階から玄関先を覗くことができるのだが、階下は混乱の様相を呈していた。
そこには、昨夜マリアたちの部屋に来た男性とイザークがいて、その周辺を騎士らしき複数の男性たちが取り囲んでいた。
そして彼らと対峙するように、大柄な女性が鬼の形相で仁王立ちしている。その女性の周りには、やはり騎士らしき男性たちが群がっていた。
眦をつり上げているその女性を宥めつつ、昨夜の男性を必死に守っている、という図式だろうか。
「ルーファス、あそこで囲まれている男の人が、間違えて部屋に入ってきたのよ」
マリアは、イザークに隠れるようにして小さくなっている男性を示した。
「それならば、あの男はガルディア王国の王太子で間違いない。あのガタイの良い女は、アストリア王国のエメラダ王女だからな」
「どうして王女様が……?」
マリアはこれまでの旅路を思い返してみるが、それは容易い道のりではなかった。王女がここにいることが解せない。
肝心の喧嘩の内容については、王太子の女癖に関することのようだった。いわゆる男女の修羅場というやつで、マリアはルーファスの袖を軽く引く。
「なんだか、私たちが聞いてはいけないお話みたい。お部屋に戻りましょう?」
「ああ、そうだな」
他人の色恋の揉め事に首を突っ込むのは無粋でしかない。
ましてや王太子と王女は天上人だから、見て見ぬふりをしてさしあげるのが筋というものだ。
マリアたちが静かに立ち去ろうとしたとき、王女の甲高い声が朝のホールに響き渡った。
「どの女に御執心ですの? なんでもベイナード様は、毛色の変わった女をお好みだとか! その身の程知らずな女をここに連れてきてくださいませんか?」
ベイナードというのは王太子の名前であるが、その名を呼ぶ王女の声は、頭がどうにかなりそうなほど甲高かった。脳天を揺さぶる音量が、頭の芯を痺れさせる。
一方、王太子は良い言い訳が思いつかないのか、事の成り行きについていけないのか、情けなくまごついていた。
その態度がまた王女の怒りを増幅させ、けばけばしく紅をさした唇をひくつかせる。
「あらあら、その女を庇うのですか? 私はご挨拶したいだけですのよ? まったく……。許せない、許せませんわ……」
そのとき、王女が胸をそらして息を吸った。ルーファスはそれを見て慌てて身構える。
「来るぞ!」
「え?」
そうして戸惑っているままのマリアの耳を、大きな手でしっかりと塞いだ。




