211 悲劇のヒロインにはなれない
マリアは読書が好きだ。血湧き肉踊る冒険譚、異国の風を感じる旅行記、古に思いを馳せる歴史物語。本はいつだって、狭い世界で生きてきた彼女に自由な翼を与えてくれた。
やがて恋に恋するお年頃になると、恋愛小説を好んで読むようになった。2人の男が1人の女性を巡り、恋の鞘当てをする場面では、そんな風に情熱的に愛されてみたいと憧れたこともある。男女が織り成す色鮮やかな恋模様は、純情な心を忙しく揺らしたものだ。
しかし、現実はそう甘いものではないらしい。
ルーファスと侯爵による、綱引きさながらの奪い合いが続いている。
「マリアを離せ」
「君が離せば良い」
「痛いから……もうやめて……。 ねぇ、離して……」
「早く離してやれ」
「ふん、君が離せば良いだけだろう?」
マリアはいつか見たヒロインのようにはなれなかった。「私のために争わないで」なんて自惚れた台詞を言える訳がない。
引き裂かれそうな心が、ただ痛い。真剣な想いを弄ぶことなんて、できる訳がない。
でもそれ以上に、マリアの身体が限界に達していた。ルーファスの手が腕に食い込み、侯爵が体重をかけるようにして細い腰を引き寄せる。
2人とも譲る気はないようで、その力はますます強くなっていた。
「…………もぉー! 離してっ!」
マリアは最後の力を振り絞って叫ぶ。痛すぎて、涙が零れていた。
「「!」」
マリアの涙の効果は絶大で、ルーファスと侯爵は驚いて同時に手を離した。急に支えを失った彼女は、バランスを崩して膝をつく。
その姿を見た侯爵は吸い寄せられるように、マリアのやわらかな頬に触れようとした。しかしそれもまた、すんでのところでルーファスに払いのけられる。
「「…………」」
男2人に引っ張られ、慣れない大声を出し、マリアはぐったりとしていた。雪のような肌はいつもにまして白くなり、アクアマリンの瞳は閉じられ、長い睫毛が影を落としている。
侯爵は大きく息を吸った。目の前には力無く座り込むマリア。彼女の腕にはルーファスに掴まれた痕があった。腰の辺りには侯爵の手の痕もついているかもしれない。白熱するあまり、お互いに力加減を間違えたようだ。
(マリアはただ1人にしか愛を誓えない。でも、私もルーファスも彼女を愛している。そして、彼女が愛しているのは……)
彼は近くて遠い、美しすぎる少女を眺める。
散々、ひどいことをしたのに恨むことすらしないマリア。待ち焦がれていたはずの恋人から、庇ってくれたマリア。
(愛している……愛しているが……それももう……)
侯爵はついに覚悟を決めた。
「ルーファス、君に決闘を申し込む。どちらがマリアにふさわしいか、はっきり決めようじゃないか」




