203 重なるグラス
マリアは侯爵から言われた通りに目を閉じた。何かを取り出すような衣擦れの音がして、再び声をかけられる。
「目を開けてごらん」
瞼をあげると、そこには天鵞絨張りの小箱が置かれていた。
マリアが傍らに立つ侯爵を見上げると、彼は無言で頷いて、小箱を開けるように促す。蓋に指をかけると、パカッという小気味の良い音がして小箱が開いた。
「これは……」
中に入っていたのは、細かなダイヤモンドで囲まれた小指の爪ほどのエメラルド。そこから延びる白銀の繊細なチェーンを手に取れば、燭台の光にキラキラと輝いて見える。
「とても、綺麗ですね」
マリアは自然と感嘆の声を漏らした。侯爵はそんな彼女の反応に満足したようで、形のいい目を細め、口の端を持ち上げた。
「これは君にあげるよ」
「え……こんな高価なものいただけません」
社交界にもデビューしていなかった彼女は、高価な宝飾品の類いは身につけたことがなかった。年頃になったときには既に困窮していたので、そもそも豪華なドレスや宝石と言ったものには縁がない。
それでも、目の前にあるネックレスがとても価値のあるものだということは、疎い彼女でも何となくわかる。
マリアは辞退するが、侯爵はそんな彼女の反応も織り込み済みのようだった。
「看病してくれたお礼や、散々迷惑をかけた慰謝料みたいなものだ。もらってくれないか? そうでなければ、私の気が済まない」
「でも……」
「首もとが寂しいだろう? 私が千切った君のネックレスは、今さら探してみたけど見つからなかったんだ。君にとっては、あれが1番の宝物なのはわかっているんだが、かわりにせめて私から贈らせてほしい」
受けとるのをまだ躊躇っているマリアから、侯爵はエメラルドのネックレスを掬いあげた。
「つけてあげるよ。今日の君にとても似合うはずだ」
彼は流れるような仕草で彼女にネックレスをつける。
「あ……ありがとうございます」
これ以上拒むのも失礼だと思い、ついに彼女は受け入れた。2人の視線が交わって、ネックレスが少しだけ揺れる。
「そのかわり約束通り、最後まで付き合ってもらうよ。今夜は朝まで眠らせない」
「徹夜ですか? 私、徹夜で何かしたことはなくて……。起きていられるかしら」
マリアの幼稚な心配に、侯爵は微笑んだ。
「マリアは子どもみたいなことを言うんだね。でももうそれも今日で卒業だ」
「はい。たくさんお話しましょうね」
「それでは、乾杯しようか」
席に戻った侯爵はワインを、マリアは目の前のグレープフルーツジュースを手に取った。
「何に、乾杯しますか?」
「それでは、2人の幸せな未来のために」
そうして掲げた2つのグラスの影は重なりあう。長い夜が幕を開けた。
大人の方は深読みしてください。




