196 あの夜の悪夢
そもそも期限を3日としたのには理由がある。侯爵からの指示が現場に届き、諸々の手続きの後にルーファスが実際に解放されるのは、どんなに早くても明日の夕方以降だ。下手したら、明後日の朝という可能性もある。
そこからわずか1日足らずで、ルーファスはマリアを救い出さなければならないが、彼女を愛しているならばそれくらいの気概は見せてほしいと、侯爵は考えていた。
その程度の試練を越えられないような不甲斐ない男に、愛する彼女は渡せない。
侯爵は鍵のかかった引き出しから、掌に収まる程度の紫色の小瓶を取り出した。見るからに怪しげなその小瓶は、過日マレーリーから没収したものだ。まだ中身は半分ほど残っている。
(これは君の叔父さんが私に飲ませようとしたものだよ)
マリアの幻に話しかける侯爵の頭に、思い出したくもないあの夜の悪夢が、はっきりとした輪郭をもって甦った……。
あれは侯爵が仕事を終えて、マレーリーが住む旧アジャーニ邸に、屋敷の管理状況の確認のために訪れた日のこと。当該屋敷は既に、侯爵のもつ莫大な資産のうちの1つとなっているが、マレーリーには変わらず住んでもらっていた。
更には使用人も侯爵家から派遣して、貴族としての体面を保てる程度の、最低限の生活も保障してやっている。
侯爵がマレーリーのことを気にかけているのは上司としての責任が半分、マリアの唯一の身内である彼に対する憐れみの気持ちが半分だった。それにマレーリーには何となく放っておけない雰囲気があって、本来は彼の自業自得なのだが、侯爵は何くれとなく世話をやいてしまう。
その日、侯爵が帰ろうとしたときには、すっかり夜も遅くなっていて、急速に悪化した天気が激しい雷雨を呼び起こし、彼は帰ることができなくなった。
急遽、一晩の滞在を決めた侯爵に、マレーリーがホクホク顔で話しかけてくる。
「あのー、こんな天気の日は気分も下り坂ですよね? そんな冷たくて暗い夜は、僕と一緒にワインでも開けて、パァーッと楽しみませんか?」
「断る。君と飲んでも楽しめる気がしない」
侯爵はマレーリーの誘いを、被せ気味に瞬殺した。取りつく島もないといった侯爵の冷たい対応にもめげず、マレーリーは持ち前のポジティブシンキングで果敢に攻める。
「つれないなぁ。知り合いのご婦人から、超レアなとびきり美味しいワインをいただいたんですよ! 侯爵様は、ワインがお好きですよね?」
爽やかな笑顔を顔に張り付けたマレーリーの話を聞いてみれば、外国の老舗ワイナリーの、大変に稀少なワインを手に入れたらしい。マレーリーはマリアの身内だけあって、中性的ではあるものの華のある美形で、ご婦人方から貢物をもらうことも珍しくない。
興をそそられた侯爵は、妙にうれしそうなマレーリーの態度を不審に思いながらも、話に乗ることにした。




