195 金糸雀(カナリア)の歌声
R15ですが、そういうシーンはありません。ただ大人の汚さが垣間見えるので、苦手な方はバックしてください。
侯爵はマリアの言葉に大きく肩を竦めた。
「企むとは人聞きの悪い……。私をそこまで信じられないのなら、マリアはジュースでも構わない」
彼がひどく傷ついた様子で俯くので、マリアは罪悪感に襲われた。元気になってもらうために思い出づくりを提案したのに、彼を悲しませてしまっては本末転倒だ。
「ごめんなさい……信じていないわけではないんです。あの……ジュースでも、きちんと最後までお付き合いしますから、侯爵様はワインを召し上がってくださいね」
「そうさせてもらうよ。最後まで付き合ってくれればそれでいい」
「場所はこのお部屋でもよろしいですか? 侯爵様はお酒も口になさることですし、すぐに横になれた方が良いと思うんです」
マリアの優しい言葉に、侯爵はほんのわずかに表情を緩めた。ここは屋敷の主の部屋だけあって広く、調度品も高級なものばかりで、お別れのディナーの会場としても充分だ。それに彼の体調を考慮すれば、これ以上ふさわしい場所はない。
「では、こちらにご準備させていただきます。お料理を頑張ってつくりますから、当日を楽しみに待っていてくださいね!」
彼女は明るく言うと、サクラと打ち合わせするために部屋を後にした。
侯爵は今しがた閉じられたばかりの扉を、じっと見つめる。真心をもって懸命に尽くそうとしてくれるマリアへの愛しさは募り、未練を含んだ切ない想いは無視できそうにない。
間近に迫った別れの予感に、彼女を支えるときに触れた右手に視線をやると、その手にはまだ温もりが残っているような気がした。
「こんなに、愛しているのにな……」
彼の愛の告白は虚空に消え、誰にも届かない。彼女の細い腕は力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢で、ガラス細工のように頼りなかった。淡い光を放つ金の髪は絹のようで、怯えを含んだ澄んだ眼差しはどんな宝石よりも魅力的だった。彼女は寝台の上で、どんな声で啼くのだろう。
3日以内にルーファスが迎えにこなければ、侯爵は金糸雀の歌声を聴かせてもらうつもりだ。たとえその後、愛する男の前で歌えなくなってしまったとしても、そんなことまで心配してやるほどお人好しではない。
恋人と再会させるという約束は、必ず守るというだけで。