182 心の声
マリアは端麗な面差しを不安に曇らせる。
(実際問題として、私はお金も荷物も何もないまま、ここを出なければならないのよね……。もし、今日中にイザーク様のところに辿り着かなかったら、最悪、1人で野宿とか……)
マリアは嫌な予感に身震いし、両手で自分の身体を抱き締めた。見知らぬ街角で路頭に迷う姿を想像すると、それだけで背筋が凍るようだ。
「無事に逃げ出せるかどうか、心配しているのかい?」
マリアはどこからか聞こえてきた優しい声に、知らず知らずのうちにコクリと頷いていた。不安で凍える心には、あたたかい声がよく染みる。それはまるで寒い日に飲むあたたかい飲み物に似ていた。
「そんなに不安なら、無理する必要はない」
(でも、早くルーファスに会いたいんだもの……。それに侯爵様が目覚めたら、またあの部屋に閉じ込められてしまうかもしれないし……)
彼女はゆるく首を振った。長い睫毛に隠された空色の瞳は、皺になるほど強くスカートを握る自分の手を曖昧に映している。
「大切な君が嫌がることはもうしない。約束するよ」
(約束してもらえるのは有難いけれど、ルーファスをただ待っているだけなんて、もう嫌だわ)
それにしてもマリアの心の声に答えてくれるなんて、悩みすぎると都合の良い幻聴が聞こえるものだ。
「だからマリア、もう少し私のところにいてくれないか」
(ちょっと待って……。『私』って、誰? ……まさか!)
マリアは弾かれたように顔をあげると、すぐに状況を理解した。彼女の顔から血の気が引く。
「いつの間に起きていらしたんですか……」
視線の先には、ベッドにその身を起こし、凪いだ瞳で彼女を見つめる侯爵がいた。