173 幽霊屋敷
「このままマリア様を解放してさしあげます」
「いいの……? 侯爵様のご命令……ではないわよね……?」
マリアにとってはこの上ない提案だったが、そんなことをするメリットがサクラにあるとは思えない。サクラも含め、ここの使用人たちは侯爵にどこまでも忠実だったはずだ。何かがおかしいと、マリアはサクラの顔を不安げに見つめた。
サクラは悲しそうに首をふる。解れた髪が頬にかかって、サクラの顔をより一層暗くした。
「あなたのお世話をする余裕が、私たちに無くなってしまったのです。ご主人様には申し訳ないのですが、このままマリア様を放置しておくわけにも参りません。あなたに万が一のことがあれば、何よりもご主人様が悲しまれるでしょう。だからこそ私たちも苦渋の決断をするのです」
サクラは俯き気味にそう言った。
マリアは侯爵家に何かが起こっていることを確信したが、彼女の世話にまで手が回らないとはっきり宣告された以上、早くこの屋敷を出るのが賢明だろう。マリアはサクラの話に乗ることにした。
「逃がしてください、お願いします……!」
「畏まりました」
サクラはマリアの答えを予想していたようで、すぐにマリアを誘って廊下に出た。薄暗い廊下は耳が痛いほどに静まりかえっている。
「なんだかやけに静かですね……? それに逃げるのにこんなに堂々としていて誰かに見つかりでもしたら……」
マリアを匿う様子もなく堂々と歩くサクラに対し、彼女は不安を覚えた。あらかじめ人払いしてあるのかとも思ったが、それにしても生活音も含めて一切人の気配がしない。言葉は悪いが幽霊屋敷のようだ。
「その心配は無用です。このお屋敷にはもうご主人様と、家令のコウゲツ、私、そしてマリア様の4人しかいないのですから」
「え……? ほかにも大勢の使用人の方たちがいましたよね? 皆さんはどちらへ……」
サクラはマリアの問いにも前を見たままだった。
「皆、ご主人様の命令でそれぞれの里に帰らせました」
「なぜ……? それに、侯爵様のお姿もしばらく見ていないけれど……」
サクラは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。その瞳は悲しみに彩られ、涙で潤んでいた。
「ご主人様は今、重い病に臥せっておられます」
「そんな……」
マリアは絶句した。2人の間に重い沈黙が落ちた。