166 好機
侯爵がマリアに話せる範囲で教えてくれたことには、ガルディア王国王太子とアストリア王国王女の結婚式の準備に際し、お互いの主張が真っ向から対立しているということだった。
結婚式後のお披露目のパレードや舞踏会をはじめとして、アストリア王国側の警備責任者を務めている彼としては、どのような状況においても警備を万全にしなければならないが、式の日が迫る中、そもそも話が纏まらないことには計画も立てようがなかった。
それは政略結婚としてやむ無く婚姻を結ぶ王太子と、ウェディングハイの王女との間の深い溝が、どうやっても埋まらないのが原因だった。
王女や彼女に甘いアストリア王から、毎日のように要望という名の無理難題が伝えられる一方、ガルディア王国側からはアストリア王国側の意に沿うような、色よい返事は得られない。侯爵からしたらこちら側の要求が無茶なので、あまり強気な交渉にも出ることもできず、今やすっかり暗礁に乗り上げていた。
「みんながマリアのように、相手を思いやる心があったのなら、こんなに揉めることもないだろうね」
侯爵は尊いものでも見るように優しくマリアを眺めた。マリアは居心地の悪さを感じて、思わず俯く。
なぜならば、マリアは侯爵を出し抜いて、この屋敷から逃げ出すことを諦めていないからだ。部屋から出してくれるときには、彼女は屋敷の様子を観察するとともに、脱出する機会を伺っていた。
しかし常に侯爵はマリアの手を引いてエスコートしていたので、逃げ出すことはほとんど無理なように思われたが、それでも可能性は0ではない。
屋敷には小規模だが立派な庭園もあり、侯爵はよくマリアを庭園の散策に誘った。彼女は花を見るのが大好きで、侯爵は咲き誇るどの花よりも可憐で美しい、花の妖精のような彼女を眺めるのが好きだった。
ある日、仕事で疲れているのか、侯爵は庭園のベンチでマリアにもたれ掛かるようにして眠ってしまった。
「侯爵様……?」
マリアが肩に重みを感じて声をかけたときには、彼はもう目を閉じていた。よほど疲れているのだろう。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
これは神がマリアに与えてくれた、またとない逃げる好機だった。