163 命をかけて
燭台の炎の音さえも聞こえそうな沈黙が支配している部屋で、マリアと侯爵は向かい合って座っていた。主導権は完全に侯爵が握っていて、マリアはただ怯えるばかりだった。
そんな彼女を見ていると侯爵は嗜虐心を煽られる。歪んでいるとは思うが、早く彼女を手に入れて、身も心も壊れるほど愛してしまいたかった。
「さて、マリア。私も立場があるから婚儀はアストリア王国でしなければならない。
しかし婚約だけなら、ここガルディア王国でしても問題ない。親族もいつまでも独身の私には業を煮やしているから、むしろ早ければ早い方が良いだろう」
「侯爵様にはもっとふさわしいお相手がいらっしゃいます。どうか私のことなんて、お忘れになってください!」
たしかに侯爵ほどの有力貴族の婚儀となれば、アストリア王国でそれなりの規模で執り行う必要がある。
その結婚相手が、今や貴族かどうかすら怪しいマリアだというのは問題かもしれないが、侯爵はその点については、まったく気にもしていないようだった。
「自分のことをそんなに卑下する必要はない。君は知らないと思うが、マレーリー殿つまり君の叔父さんは、子爵位を返していないから、マリアはまだれっきとした貴族令嬢だ。
しかもウィスタリア王家の血を引いていて、何よりも清らかで美しい。どこに出しても恥ずかしくないお嬢さんだ」
マリアはそれを聞いても、なんだか別の女性の話を聞いているようだった。
彼女は自分のことを特筆すべきところもない地味な女だと思っていたし、そもそも侯爵夫人という地位にも興味はなかった。
「買いかぶり過ぎだと思います」
マリアは否定するが、侯爵はそのまま信じられないような言葉を続けた。
「そんな君は没落して、悪い平民の男に騙されて隣国に連れ去られてしまった。それを私が救う。誰もが羨むラブロマンスの出来上がりだ。
君の父上と母上と同じように、私たちの恋の話も王都ミンスターの舞台で上演されるかもしれないね」
「私は騙されてなんていません! それに、侯爵様とは結婚も婚約もできません! 私が愛しているのはルーファスだけです……だから……」
マリアはルーファスと口約束とは言え将来を誓い合っているし、そもそも侯爵は叔父の想い人だ。
「強引に話を進めたら……私は命をたちます……」
マリアは力や知識すべてにおいて、侯爵を出し抜けるとは到底思えなかった。
だから彼女に許される唯一にして最大の抵抗手段は、その命を懸けて恋を貫くことだけだった。
侯爵は少しだけ悲しそうな顔をした後、自嘲気味に顔を歪める。
「初恋に殉じようと言うのか? そんな純粋なところも可愛いのかもしれないけれど、実に愚かだ。マリアは少し冷静になった方が良い」