158 突然の別れ
ベッドから部屋の入り口は見えないため、誰が来たのかはわからないが、こんな時間に宿の個室を訪れるのは只事ではない。マリアにはその話の内容はほとんど聞き取れなかったが、途切れ途切れに聞こえてくるルーファスの声音はなんだか重いものだった。
やがて扉が閉まる音がして、ようやくルーファスが戻ってきた。彼は不安そうなマリアを見て、これから話さなければいけない内容が、もっと彼女を不安にさせてしまうことに心を痛めた。
「アストリア騎士団で重大な事案が発生しているらしい。俺も事情を聞かれることになった。緊急に行かなければならない」
「え、まさか今から……? 何があったの?」
「現時点では詳しく話してはくれなかったが、国家の存続に関わることのようだ。事が事だけに急いでいると言っていた」
「すぐに帰って来られるわよね?」
マリアは嫌な予感がして、彼の服の袖を掴んだ。
「俺はまだあくまでもアストリア騎士団の一員だから、事情聴取されるのも仕方がない。それに1人の例外もなく全員に話を聞いて回っているそうだ。無関係であることがわかれば、すぐに戻って来られるとは思うが、3日経っても俺が戻ってこなかったら、マリアはイザーク様のところに身を寄せてほしい」
そうしてマリアにいくつか細かい指示をしてから、ルーファスは未練を断ち切るように寄り添う彼女をそっと引き離した。マリアの瞳が悲しみに潤む。
「今も扉の外で待ってもらっているんだ。もう行かなくては……。すまないなマリア、本当は俺も、お前を1人にはしたくない」
「うん……」
「愛している。どうか信じて待っていてほしい」
彼等は最後にもう一度だけ口づけを交わした。たとえ離れていても、お互いの心は変わらないと信じて。
「お待たせしてすみません。ありがとうございます」
ルーファスは扉の外で待っていてくれた男たちのところに戻った。彼を迎えに来たのは、顔見知りの壮年の男性騎士と文官の男性の2人だった。男性騎士の方が言う。
「婚約者に別れは済んだのか? いや、こちらこそ、こんな時間に突然お邪魔してすまないと思っている。可及的速やかにと言われていてな」
そのとき別れを見送りたくて、マリアが扉のところまで来てしまった。男たちは突然姿を現した、この世ならぬ可憐な花のような彼の婚約者を見て、魂が抜けたように言葉を失った。マリアが挨拶をすると我に返ったのか、今度は逆に穴が空くほど熱心に見つめる。マリアはその視線を避けるように、ルーファスの陰に隠れて小さな声で伝えた。
「ルーファス、行ってらっしゃい。待っているから、必ず戻って来てね」
「ああ、行ってくる」
彼はその背中を優しく押して、部屋の中に彼女を戻した。夜着の上に羽織ものをしただけのたおやかなマリアを、ほかの男たちの目にあまり触れさせたくなかったからだ。
そうしてルーファスは男たちとともに去っていった。何よりも大切なマリアを、1人だけ残して。