144 知らない世界
「さみしいから……もう少しだけここにいてもいい?」
マリアの可愛らしいお願いに、ルーファスは少し躊躇いを見せた。湯上がりの無防備な姿で男にそんなことを言えばどうなるか、彼女はわかっているのだろうか。
(マリアのことだから、本当にさみしいだけで、何にも考えていないんだろうな……)
先ほど部屋から勝手に出てしまった前科を考えると、彼女を独りにしておくよりは自分のそばに置いておく方がよほど安心だと思い、彼は頷いた。
「……なら、そこで待っていろ」
ベッドの上を指してルーファスが言うと、マリアは無邪気に微笑みの花を咲かせる。カヌレのときから結局進歩していない婚約者に、彼は眩暈を覚えた。
湯あみを済ませたルーファスがマリアのところに戻ると、彼女はベッドの縁にお行儀よく座っていた。もう夜も遅いので、ルーファスは彼女をベッドの奥の方に寝かすと、自分もすぐに横になる。目が覚めてしまったのは本当のようで、彼女はいつものように彼の瞳の奥まで見つめて話しかけてきた。
マリアの他愛もない話を聞きながら、ルーファスは自分にはない、彼女のどこまでも澄んだ瞳が好きだと思った。優しく抱き寄せると、マリアは仔猫のように甘えて、そのまま彼の胸におさまる。
彼女の甘い香りも、ガラス細工のように繊細なのに、なぜかやわらかくて抱き心地の良い身体も、優しくて素直な性格も、彼女の何もかもを愛していた。
ただ自分がどれほど人を惹き付けるか、もう少し自覚してもらいたいとは思っていたが。
「考えていたのだけど、あの人は私が女だとわかってがっかりしていたみたいだったわ。邪な気持ちはなくて、本当に一緒に飲む相手がほしかっただけなのかも……」
マリアはふと思い出したかのように、とんちんかんなことを言い出した。
「本当にお前は世間知らずだよな……。あいつはマリアのことを完全に男だと勘違いしてたから、そっちの方が危ないだろう」
ルーファスは腕の中にいるマリアを強く抱きしめて、念を押す。
「俺以外の男には、絶対に肌を晒すなよ」
マリアには髪を切らせてまで少年の格好をさせているが、やはり至近距離だと女にしか見えない。あの吟遊詩人は欲望で目が雲っていたのだろう。
「どうして危険なの?」
「あの吟遊詩人は男が好きなんだろう」
「……え! 私、そういう人に初めて会ったわ。いろいろな世界があるのね……」
心底驚いているマリアに、ルーファスは呆れて言った。
「初めて? 身近にいただろう」
彼の言葉の意味がわからず、マリアは首を傾げた。
「カヌレのとき」とは、お仕置きされたあのときのことです。




