141 連れ込まれて
その場を離れようとするマリアの細い腕を、ハンスはしっかりとつかんでいた。そうして彼女を強引に引き寄せて、髪に吐息がかかるくらいの距離で囁く。
「僕の部屋で飲み直そうよ」
「それはできません。……失礼します」
マリアは嫌悪感と恐怖で震えながらも、睨み返すように答えた。彼女なりの精一杯の拒絶だったが、ハンスには罠にかかったいたいけな小動物が、怯えた瞳で虚勢を張っているようにしか見えなかった。哀れな獲物がどれほど足掻こうと、彼としては美味しくいただくだけだ。その怯えた瞳も震える身体も、良い調味料になるだろう。
「おとなしく言うことを聞くんだ」
「離してください……!」
マリアはハンスの手を懸命に振り払おうとするが、すぐに反対側の手首まで取られてしまった。それでも連れ込まれないようになんとか指先だけでも部屋の入り口に手をかけたが、その手をあっけなく外され、マリアは抱え込まれるようにして部屋の中に引きづりこまれてしまう。
暴れるように抵抗を続けるが、酔っていて上手く力が入らない。それにどんなに軟弱に見えても、男性であるハンスの力には叶わなかった。
「ルーファス……ルーファス……」
涙ぐみながらマリアが頼りなく叫ぶと、ハンスは慌てたようにすぐに彼女の口を塞いだ。
「今は声を出してはいけないよ? 部屋に入ってからだ」
若干苛立ったようにハンスが言った。それでもその声だけはやたらと優しい。
(ルーファス! 助けて)
そうしてその扉が無惨にも閉められようとしたとき、扉のすき間に見覚えのある靴が挟み込まれた。ほとんど閉められようとしていた扉が、そのまま勢いよく開く。
扉の向こうには彼が立っていた。