140 部屋がわからない
部屋の外は口の字型の回廊になっている。王宮関係者御用達の設備の整った宿なので、ところどころに灯りは設置されているが、それでも丑三つ時の廊下は暗かった。
ランプの炎が頼りなく揺れるたび、マリアの心も心細さに揺らめく。
(静かで怖いわ……。あ、そういえば、私、お部屋の鍵って締めたかしら?)
マリアは心配になり、部屋に戻ろうと足を止めた。
しかしあろうことか、今出てきたばかりの部屋がわからない。ぐるぐると回廊をまわってみても、やはりまったく思い出せなかった。お酒のせいで頭が回らない。
かといって、こんな夜更けに手当たり次第に扉に手をかけることもできなかった。普通の人は寝ている時間にドアノブを回せば、不埒な侵入者と間違われかねない。
(まさか部屋番号を忘れてしまうなんて……。早くルーファスたちと合流するのが1番かもしれないわ)
そう考えたマリアが階下の食堂を目指すため、踵をかえそうとしたときだった。彼女の背後の扉が突然開いた。
驚いたマリアが思わず振りかえると、そこには吟遊詩人のハンスが立っていた。近くで見るハンスは、ルーファスと比べるとかなり薄っぺらい身体つきをしている。さらにその顔は女性のように柔和で、やたらと美しかった。襟元は寛げていて、そこからつるりとした胸板とキメ細やかな肌が見える。さすがに男性なので胸は膨らんでいないが、女装させたら間違いなく美人の部類に入るだろうと、マリアは彼を見ながらぼんやりと考えていた。
「誰かが廊下を行ったり来たりしているようだったから、部屋から出てみたけれど……そうか、君だったのか。こんな時間に君みたいな可愛い子が、1人きりでいてはいけないよ。……それとも僕に会いに来てくれたのかな?」
そんなマリアの思考を破って、ハンスが声を潜めて囁いた。頑是ない子どもに言い聞かせるような、それはそれは優しい声音で。
しかしマリアには、女性的な彼の目の奥にほの暗い情欲が見えた気がした。恐怖で鼓動が速くなる。
「いえ……あの……仲間がまだ食堂から戻ってきていないことに気づいて、さがしに出たんです。でも……お部屋がわからなくなってしまって……。足音でうるさくしてごめんなさい」
マリアがすぐに謝罪してその場を離れようとすると、ハンスは彼女の細い腕をしっかりとつかんだ。